【短編】君がいた日の月影

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「……そうだ」  綺麗になった子猫の身体を抱えあげ、あの交通事故の日から、ほぼ手をつけずそのままにしている美琴の部屋に足を向けた。 「みゃぅ」  扉を開くと、子猫が腕の中で小さく鳴いた。この部屋には初めて連れてくる。見慣れない景色に不安感があるのだろうか。そんなことを考えながら、義両親が作ってくれた美琴の仏壇の前に腰を下ろす。  子猫を腕に抱えたまま、ろうそくに火を灯す。線香の煙は猫に有害である可能性も否めないという知識も得たから、今日は手を合わせるだけ。 「……美琴。この部屋、この子の部屋兼用にしていい?」  問いかけたって、言葉は帰ってこない。結納の時の恥じらうような笑顔を浮かべた遺影に向かって、ただただ小さく言葉を続ける。 「この子ね、親に捨てられたみたいなんだ。俺も仕事に行く時、この子をひとりにしちゃうだろう。誰かと一緒なら、寂しくないと思うんだ」  腕の中に視線を落とすと、先ほどのシャワーの時とは対照的に大人しい姿が視界に映る。子猫特有のキトンブルーの瞳は、美琴の遺影に真っ直ぐに向けられていた。手を伸ばし、指先で頭をそっと撫でる。 「……美琴も、ひとりにならなくて済むだろう?」  ろうそくに灯された炎が――俺の言葉に返事をするかのように、ゆらゆらと揺れた。それが美琴の返事のように思えて、口元がふっと緩む。 「ごめんな。俺のワガママで。ありがとう。……あ、そういや、名前……どうしよう。美琴、何がいいと思う?」  こんな気持ちで仏壇に向かい合える日が来るなんて、思ってもいなかった。仕事から帰ってきてから就寝直前まで、そして休日も大抵ここに座っていたけれど、美琴がいないという現実を噛み締めるだけの時間でしかなかった。こんなに穏やかな気持ちになれたのは、紛れもなくこの子を拾ったから、だろう。 「う~ん……『みぃちゃん』、はどう思う? 女の子だし、三毛猫だし、みぃみぃ鳴いてるし」  我ながら安直すぎる名付けだろうか。そういえば、結婚する前に子どもが出来たら付けたい名前を挙げていた時も、春生まれだったら春を連想させるような名前がいいんじゃないかなんて口にして……美琴は「こーちゃん、安直だよ」と、困ったように笑っていた。  腕の中から子猫を抱き上げ、その顔を覗き込む。 「……決めた。君は、今日からみぃちゃん」 「みゃう」  俺の声に、みぃちゃんが大きく鳴いた。こーちゃんらしい名前だね、と。美琴も、そばで笑ってくれているような――そんな気がした。
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