再会の日

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再会の日

(ふー、なんで私はこんなに意志が弱いの?) まだ、気持ちよさそうに寝ている男、出川俊哉(でがわとしや)の顔をみながら、石川ちる(いしかわちる)は、そっとベッドから離れた。 こんなはずではなかった。 偶然、彼を見たのは、昨日のお昼頃。なんで?そう思いながら、エスカレーターで、すれ違うように、降りてくる彼に軽く会釈する。 もしかしたら、気のせいだったのかもしれない。そう思いながら、ちるは、今日受けるセミナーの会場へと急いだ。席についてもなかなか落ち着かない。今のは本当に彼なのだろうか。軽く会釈した私を、笑うかのようなあの表情。目線をそらされるわけでもなく、驚いている様子もなく、不思議がっている感じでもなく、あの頃と変わらない、少しからかうような顔。やっぱり、きっと出川俊哉だ。 セミナーが始まっても、なかなか集中ができないでいた。人との出会い、コミュニケーション、パーソナルスペース、人生グラフ。人と関わらず生きていくことは出来ない。 時折メモを取りながら、徐々に講師の話に耳を傾けていく。 2時間のセミナーを聞き終わる頃には、俊哉のことは、やっと頭から離れる。会社へ電話をいれ、何人かのお客にも電話をする。たった2時間で、何本も電話がなっていた。携帯電話というのは、本当に厄介だ。 ふー。一息ついたとき、目の前に誰かが立った気配に、ちるは、顔をあげた。そこには、さっきすれ違った男、出川俊哉が立っていた。 「あっ」 「久しぶり。」 「うん。元気そうだね。」 「まあね。ちるに振られたりしてなかったら、もっと元気だったと思うけどな。」 「相変わらずね。」 「何が?」 「適当なとこ。」 「まあ、そうかな。でも、まあ、そうでもしないと、俺、どうにかなりそーだ。あんな風に、軽く会釈されて、他人みたいな。いや、まあ、他人だけど。なんていうか、もう、10年も経ってるし、仕方ないけど、こんな偶然って、ないよ。そう思わないか。仕事なんて手につかないよ。といっても、流石に客を放置はできないからさ、すぐには駆けつけられなかったけど、良かった。また会えて。」 そう、彼は一気に喋った。昔からよく喋る男だった。 「元気そうで何より。」 「なあ、今日、メシいこーよ。」 「そうだねー。でも、なんで、そもそもここにいるの?」 「転勤。」 「えっ、そうなの?」 「ああ、半年前かな。」 「へえ。そーだったんだ。」 「健(たける)から、聞いてた。」 「何を?」 「ん?あー、ちるがまだここにいるってさ。」 「そっか。健くん元気?」 「ああ、連絡取ってなかったのか?」 「最近は、忙しくて、仕事。」 「いつまで…いや、まあいいや。積もる話は酒飲みながらだな。今日これからは?」 「これで、終了。」 「そっか、じゃあ、俺も終了。」 「なにそれー。」 「営業職ってこんなもんだろ。」 「まあ、そうかもね。」 なんとも、昔から要領がいいというか、適当というか、よくわからないけど、器用に何事もこなせる人だった。頭の回転も良く、口から生まれたと言われるくらいのマシンガントークでお客は彼に引き込まれる。きっと、成績も優秀に違いない。身につけているものがあの頃とは違う高級そうなものだ。20年前、家庭菜園を楽しそうにしていた彼の姿は今からは想像できない。 「再開にカンパーイ」 ちると俊哉は改めて再開を祝す。二人の恋愛関係は、12年前に終止符を打っていた。それからも、友人としての付き合いがあったが、彼の転勤をきっかけに、疎遠になっていった。噂では、結婚したと聞いていたが、とりあえず、薬指に指輪はない。 「うまいな。この肉。」 「うん、久々の高級肉かもー。」 「なんだ、それ。大丈夫なのか、ちゃんと食えてる?」 「それはまあ、もちろん。でも、昔みたいにほら、お客さんと食事、とかも減ってるじゃない?正直。相変わらずの貧乏性で、自分だけの贅沢は出来ない。」 「ちるらしいな。そういうとこ、家庭的っと思ってたけど。」 「それは勘違い。最近特にねー、結婚して主婦なんて出来なかったってつくづく思うの。職種が変わって余計にね。」 「何?会社変わったの?」 「そういうわけじゃなくて、営業部の中でも、クレーム担当で。メンタルがねー。もう嫌になっちゃう。」 「ちる。無理すんなよ。昔から、優しいから。会社の言いなりになってんじゃないのか?なんで、クレーム担当なんて。見返りあるのかよ、それ。」 「見返り?」 「そー、だってさ、メンタルやられてんだろ。そんな大変なことを引き受けてるんだ、しっかりもらうものもらわないと。」 「まあねー。でも、営業マンみたいに数字に振り回されることはないんだー。クレームがなければ、平和だし(笑)お給料は、まあ、安定してるかな。」 「安定ねー。でも、頑張ったからってご褒美もらえないんだろ?俺は、ご褒美ないのに頑張れないよ。」 「あははは、俊哉らしいね。」 「まあ、それが俺。でも、ほんと心配だよ。大丈夫か?」 「ちょっと大げさに言ってみただけよ。大したことない。基本は謝ってればいいしねー。今日のセミナーもね。心理学だったんだけど、相手にどう対応するべきかは、勉強してるし。というか、こういうセミナーこそ、クレームにならないように、営業マンが受けるべきだわ。そしたら、私の仕事が減るってもんよ。結局、言い方や態度、対応、事やモノより、人に対するクレームが多いんだよねー。ったく、なんなん?って感じ。」 ちるも、お酒のせいか少しずつ饒舌になってきていた。 食事を終え、二人は別れることなく、なんとなく道を歩き出し、 「もちろん、デザート行くよな?」 「はーい。」 お酒はあまり強くないちるは、飲んだ後にコーヒーとデザート。俊哉はそんな、ちるを見ながら、さらに酒を飲む。二人の間では、当たり前のこと、時はずっと昔に戻っていた。 「またー、結局飲み過ぎ。」 「うーん。ちるは、もう酒抜けてんの?」 「そんな飲んでないし。」 「うーん。もっと飲んでよー。二人で、ドロドロになりたい。」 「何いってんのー。」 「カラオケー。」 「そんなんで歌えないでしょう。」 「ちる、優しくない。」 「そうよ。今知ったの?」 「うんーにゃ。前から知ってた。好きだもん。ずっとずっと好きだもん。俺はずっとちるが好きだもん。」 「・・・」 そう、俊哉は私を好きだと、あの頃もずっと言い続けていた。
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