十 見えない相手

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十 見えない相手

「みなさん。本日から入った佐藤雪子さんです。交換手のお仕事なので、どうぞよろしく。さあ、佐藤さん、ご挨拶を」 「はい」 朝の岩倉貿易ビルの三階の仕事場。十人ほどの社員の前。雪子は前にて自己紹介をした。 「初めまして。私、佐藤雪子と申します。どうぞよろしくお願いします」 テニスの会ですでに知り合いのいる彼女。拍手で迎えられた。そして研修として仕事は始まった。 交換手の女先輩の横山は見学をしていろと椅子を進めた。 やる事は電話を取る事。そして相手の言う通りのビル内部にいる岩倉社員に電話を回す事である。その際、機械の操作があるが、それは単純作業。この説明の間も電話が鳴っていた。 「あの……横山先輩、電話に出なくていいのですか」 「うちの会社は九時からだから。基本その前は出ないのよ」 「でも急ぎかも」 テニス会でのしっかり者のイメージの雪子。女先輩の横山は彼女に好印象を持っていた。新入りの素朴な質問を嬉しそうに答えた。 「これを取るようになるとね。次回も出ないといけないのよ。だって『この前は出たのに、なぜ出ないんだ』ってなるでしょう」 「はい」 「そうしたら社員さんが早く出社しないといけない。でも、その時間、電話が鳴るとは限らない。この九時前の電話を出ると言うことは、会社に大きく影響するの。時間は厳守してね」 「はい」 大企業の考え方。雪子はどんどん吸収していた。 やがて九時。横山は電話に出た。 「おはようございます。岩倉貿易株式会社、本社ビル。交換手、横山でございます」 澄ました声。雪子は彼女の台詞を書き記していった。 『すいません。総務の山本さんお願いします」 「総務の山本ですね。お待ち下さい」 横山は慣れた様子で機械を操作し、山本へ内線をつなげた。 「山本さん、函館ガスさんからお電話です、お願いします」 ここで横山は電話を置いた。雪子は尋ねた。 「横山さんはその、山本さんの内線番号を覚えているんですか?」 「表を見てるわ……それにね。総務は『1』から始まる番号で、経理はね『2』から始まるのよ」 「なるほど」 仕組みをどんどん覚えていく雪子。ここで横山に入った電話に注目した。 「お客様。それはどの小林でしょうか」 『だから!昨日会った、お宅の小林だよ』 「男性ですか、女性ですか」 『男だよ。勘弁してくれよ』 こうして繋いだ横山。雪子は思った。 ……そうか。相手が誰か、わからないでかけてくる人がいるんだわ。 「雪子さん。うちにはね。小林さんが男と女、二人いるのよ」 「私も佐藤でたくさんいるし、そうか。そう言うことがあるんですね」 さらに同じ苗字の社員などは雪子にも判別不明。横山にどうしているのか尋ねた。 「慣れてくれば、電話の相手会社で、こっちの担当者が見当つくのよ」 「慣れですか」 「でもね。やっぱりどの人に繋いでほしいか、わからない時があるわね。おっと」 そこにちょうどそのような電話が入った。今度は名前も不明。とにかく連絡船についての問い合わせであった。 「少々お待ちください……あの、交換手の横山です。問い合わせお願いします」 「どこに繋いだんですか」 「総合案内のような人よ。この人に回せばこの人が然るべき担当者に回してくれるのよ」 「へえ」 「何でもかんでも回すと怒られるわよ?今日は見学でいいからね」 そばで見学をしていた雪子。横山のひっ殺技を必死にメモしていた。 電話をかけてくる相手。岩倉の誰に用事があるとはっきりしていることが多いが、やはり不明な内容が多い。「昨日会議で一緒だった人」「背の高い人」「前に電話で話した人」。この情報で横山はなんとか相手から岩倉の社員を特定している。 この他に雪子は岩倉の部署を覚えなくてはならない。その部署が何の仕事をしているのかもだった。 ……これは、思ったよりも大変だわ。 お弁当を済ませた午後。午後は電話が少なかったので、雪子は横山がくれた内線電話一覧表を見ていた。 部署と名前と内線番号だけの表。雪子には今一つ、ピンと来なかった。 「すいません。会社の見学をしてきていいでしょうか」 「どうぞ。部署でも見ていらっしゃい」 手帳を片手の雪子。岩倉ビルをを見学し始めた。 ……ここは、経理。あ、テニスの時の人だ。 向こうも気が付き互いに挨拶をした雪子。事情を話して本人確認していた。 「じゃあさ。電話で経理の誰かわからなかったら、私に回して。私が経理の誰か探してあげる」 「いいんですか?ありがとうございます」 思いがけない救世主。頭を下げた雪子。他部署もテニス仲間を発見した彼女。向こうから窓口になる言う申し出に、感動していた。 ……ここは良い会社だわ。驚くことばかり。 意地悪ばかりされてきた過去。どこか肩透かし状態の雪子。気がつけば社長室のある階に降りてきていた。 ……さすがに、ここは必要ない、か。 この階だけ床にはレッドカーペットが敷いてある豪華な作り。見惚れていた雪子は誰かとぶつかった。 「痛?!」 「なんだ」 「申し訳ありません」 「……見慣れぬ顔だな。新人か」 「は、はい」 いかにも偉そうな中年男性。厳しい目つきで自分を見ていた。 ……あ?社長だ!哲嗣さんのお父さんだわ。 途端に冷や汗が出てきた雪子。威圧感たっぷりの彼を見つめた。 「お前の所属は?ここで何をしておる」 「電話交換手です。社員さんを確認しようと」 「確認?電話を回すのに、相手の顔を知る必要があるのか」 不思議そうな元栄。雪子は必死に答えた。 「電話のお客様で、お名前ではなく体の特徴でおっしゃる方がいるので、その、本人を直接見ようと」 「そんなのは、相手からこちらの所属を聞けば簡単であろう」 「でも……先程の電話では『白い車に乗ったメガネの岩倉の男性社員』と話がしたいと」 「ふふ……ハハハハハ」 雪子の困り顔。元栄は大笑いした。 「山ほどおるではないか。それは難儀。俺には無理だな、その仕事。ははは」 「父上、何を廊下で騒いで、あ、雪子ちゃん」 「なんだ。知り合いか」 しばしの沈黙。哲嗣はおほんと咳払いをし、彼女の肩を抱いた。 「父上。ご挨拶が遅れました。例の、下屋敷のお嬢さんです」 「これが?そうか」 雪子をしみじみ見つめる元栄。ほら!と背を推す哲嗣を前に、彼女は再度挨拶をした。 「お世話になっています。佐藤雪子です」 「……お前が、そうか」 背が高い品の良い娘。それを見守る息子の恥ずかしそうな顔。父が目を細めた。 「まあ良い。今度、家に連れてこい」 「はい。さあ。雪子ちゃん、仕事に戻れ」 「はい。失礼しました」 「おい……雪子とやら」 「はい」 呼び止められた彼女。元栄をじっと見た。 「俺の顔は覚えたな。良いか?俺に変な電話を寄越すなよ?ハハハハ……」 こうして情報を集めた雪子。午後、手作りの表を作り下屋敷に帰ってきた。 ◇◇◇ 「まあ、会社の見取り図ですか。地図みたいで一覧表よりも見やすいですね」 「この方がイメージ湧きそうで。でもまだ、本人の特徴を掴まないと」 頑張り屋の雪子。感心する瀧川にまだまだと首を横に振った。 「瀧川さん。先輩の横山さんはすごいんですよ。『いつも青い服を着ている人』ってそれだけで社員の誰なのかわかるんです」 「大したもんですね」 「本当にすごいです。私、気になってその人を見に行ったら、本当に青い服でした」 「ほほほほ」 「しかも。その人、青木さんって言うんです」 「はははは。わかりやすいじゃありませんか」 「ただいま。外まで笑い声がしていたぞ」 玄関まで出迎えが来ないとむすとした哲嗣。雪子は慌てて彼の上着を受け取った。 「ごめんなさい。ふふふ」 「何をそんなに騒いでいる」 「お仕事の話です」 「そんなに楽しかったのか」 ネクタイを外した哲嗣。受け取る浴衣姿の雪子を見た。会社での制服姿の彼女。髪をきりりと結び、どこか大人びて見えた。 しかし。ここにいるのは若さあふれる白いうなじの少女。優しい笑顔で自分の服を受け取っている。 ……まあいいか。この顔を見られるのは俺だけだから。 今日の出勤だけで話題沸騰の雪子。最高にやきもちを焼いていた哲嗣は、この彼女を見て心落ち着かせていた。 それよりも何よりも。父親と雪子が親しく話をしていたことが気になっていた。 「では話してもらおうかな。父上と何を話していた」 「別に、なんでもありません、きゃあ?」 「雪子ちゃん……俺は隠し事は嫌いだよ」 ふざけて抱きしめた哲嗣。雪子は違うと笑った。 「違います。そんなんじゃないです」 「言え。こら」 背後から頬寄せ合う二人。笑っていた。 しかし、哲嗣がおとなしくなった。 「哲嗣さん?」 「雪子ちゃん。あのな。俺は君のことを尊重するつもりだ」 抱きしめたままボソと話す彼。彼女はじっと聞いた。 「でもな。同じビルでも君が見えないから心配なんだ。なんでもいい。俺に話してくれ」 心配してくれる哲嗣。雪子の胸は高鳴った。 「わかりました。なんでも話します。心配しないで哲嗣さん」 「約束だぞ」 頬寄せる哲嗣。やんわりと雪子のその頬に口付けた。受け入れるように彼女も目を瞑り身を委ねた。震えるようなこの刹那。函館の夕日。若い恋を焚き付けるように、抱き会う二人を照らしていた。 「見えない相手」完
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