口上

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「おゆふ、『天下の淡路屋』だったらよ、 町家のことなら大抵のこたぁ、耳に入ってくんじゃねぇのかい」 兵馬は目に力を込めて、おゆふをぐっと見た。 確かに、淡路屋は江戸でも指折りの廻船問屋である。 主人(あるじ)である大旦那は顔が広いのは云うまでもなく、同じ廻船問屋が集まる株仲間の(おさ)や、商家をはじめとする町家連中を束ねる町名主を、幾度も任されていた。 ゆえに、御公儀(おかみ)の御用を担う岡っ引きや下っ引きと較べたとしても、舞ひつるの行方を辿る伝手(つて)が、ずっとあるに違いない。 「……若さまは…… 舞ひつるの行方を追うために…… わざわざわっちを呼び出しなんしかえ……」 おゆふはその眼力に耐えきれず、ふっと目を逸らした。 あれから淡路屋に嫁入って、早々に(はら)に子を宿し、店じゅうの者から滅法界もなく大事にされている。 生まれは秩父の水のみ百姓のおなご(・・・)が、今やだれが如何(どう)見ても立派な「玉の輿」に担がれていた。 それに、おゆふ自身も日々「仕合わせ」を噛み締めていた。 にもかかわらず—— おゆふの心の臓が……ぎりりと音を立てている。 「おゆふ、頼む。 おめぇさんに断られちゃ、あいつの行方を探る手立てが、さっぱりなくなっちまうんだ」 さように告げると、おゆふに向かって兵馬が頭を下げた。 「あいつに関することなら…… たとえ『行方』でなくとも構わねえ。 淡路屋で(わか)ったことだったらよ、何だっていいんだ」
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