口上

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「わっ……おまえ、何奴だっ」 縁側の庭先に急に現れた与太を見て、佐久間 内匠(たくみ)()()りつつも、傍らに置いた刀を左手で引っ掴んだ。 先般、前髪を落として元服したばかりの佐久間家の嫡男・内匠は、いよいよ見習い与力として北町奉行所に出仕することとなった。 そして、今宵も御役目を終えて戻ってきた従兄(いとこ)の兵馬に、心得などを教わっていた(ところ)であった。 先日より、なぜか嫁ぐ前の叔母が使っていた座敷の()に密かに寄留するようになった兵馬であるが、内匠にとってはまさに「渡りに船」だった。 気立ての良い母親の血筋か、それとも一人息子で大事に育てられた所為(せい)なのか、素直で従順な気質の内匠は兵馬のことを実の妹よりもずっと「兄」と慕っていた。 兵馬の妹・和佐はと云うと、見かけは(たお)やかで母親と瓜二つであるが、中身は父親そっくりであった。 南町奉行所の見習い与力で再従兄(はとこ)でもある本田(ほんだ) 主税(ちから)に嫁入ったのだが、兵馬は我が妹ながらあのような気の(こわ)いおなごを娶ってしまった朋輩が気の毒に思えてならない。 ちなみに、本田 主税の母親と佐久間 内匠の母親は姉妹である。 そのため、従兄弟(いとこ)同士の間柄だ。 かくのごとく、奉行所内では「手近」な(ところ)で縁組されているものだ。 返す返すも…… 兵馬の縁組だけが、ほかと異なっていた。
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