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さわやかな休日の不快な目覚め
窓の外から聞こえてくる小鳥の鳴き声と、レースのカーテンからチラチラと漏れる朝日をまぶたに受けて、真理は目を覚ました。ダブルベッドに一人、手を伸ばすが、触れるものは毛布のみ。
「は!」
真理は、ガバっと上半身を起こした。改めてベッドの周りを見渡す。
右、左。裸で佇むのは真理一人。
視線を室内に移す。チープな応接セット、洗面所、ユニットバス。人の気配なし。
ベッドに備え付けの時計を見る。午前7時。
「あのやろう。逃げたな」
ふと、ビール缶の散乱するテーブルを見ると、メモ書きが一枚。
『きのうは、たのしかったよ。
まりちゃん、おきないから、さきにかえるな。
あとのしはらいよろぴく。じゃ、いい休日を』
と、書かれてあった。
「なんじゃこりゃあ。しかもひらがなばっか。何が支払いよろぴくだ。薄給の私に。なんちゅう男じゃ。もう、二度と付き合わんぞ。未練はないわい」
男とは、三度目のデートでここに来た。
目的を定めた男と女の夜のドライブコース。
海を臨む小高い山の峠にあるホテル『ノーザン・ハイドアウト』訳して北向きの隠れ家。各部屋の北向きの窓からは、瀬戸内海が見える。
今日は風も無く、海面が鏡のように輝いている。10月にしては珍しい凪の海だった。ゼリーの表面を切るように、漁船が進んでいた。
真理は裸のままシャワールームに行き、コックをひねった。ぬるめの湯がショートカットの茶髪をつたって次から次へと顔の前を滴り落ちた。
「うう……。ばかたれ」
と、呟いて真理はシャワーを冷水にした。
冷たい水が、自分に纏わりついている嫌悪感を清め流してくれる。少しずつ冴えてくる意識の中で真理はそう念じた。
真理は、シャワールームを出て、スウェットにマーメイドスカートをはいた。ドレッサーの前に座ったが、
「ま、いいか」
と言って、すっぴんのまま所持品をポーチに片付けた。ドアを開ける。周りを囲まれた通路状の下り階段になっている。1階部分はガレージになっている。真理は階段を降り、通路の出口横にある受話器を取ってフロントに連絡した。ここから出るにはもう一つドアがあるのだ。
「今から出まーす」
「はい、ご利用ありがとうございました。料金は、そこにある精算機にてお願いいたします」
若い男の声だった。事務的な話し方だった。
真理は男に聞いた。
「あのー。連れは何時ごろココを出ました? 」
「そうですね。お連れ様は、午前5時頃ご退室となっております」
「そう。ありがとう」
そう言って真理は、受話器を置いた。そして、精算機に部屋の番号を打ち込んだ。ディスプレイに映し出された代金を入れると、ドアのロックが外れる音がした。
静かな、人里離れた峠のホテル。真理は、左手手首の時計を見た。午前8時5分。
ガレージを出ると青い空が高かった。
「さて、麓までここからどうやって帰ろうか……」
ホテル代で所持金はほとんど使い果たしてしまった。バス代くらいはあるが、バスは通っておらず、タクシーを使うにはお金が足りない。ヒールが高いパンプスを恨めしそうに見ながら、
「ぼちぼちと歩いて下まで降りるか……」
仕事は、定休日なので焦ることはない。 真理はポーチを肩にかけ、ぽつぽつと麓に向かって車道の隅を下り始めた。
天気は良好、気温も快適、空気もうまい。でも、足が痛い。こんな日に限って車一台通らなかった。
小一時間も歩いただろうか、足の痛みに耐えつつも歩き続けたので、山の中腹辺りまで降りて来た。
道路わきにちょっとした公園程度の広場があった。誰かが管理をしているのか芝生の広場だった。真理は、靴を脱いで休憩をすることにした。
北向きにひらけた広場からは瀬戸内海播磨灘が一望できた。朝に見た時と同じく海面は凪いでいる。
あそこで、ほぼ毎日ヨットに乗っていたんだ。私も若かったなあ。真理は、高校生時代を思い出した。
「青春を駆け抜けたなあー」
北之灘高校の女子ヨット部での活躍が認められて特別推薦で東京の大学に入学。
4年間のヨット三昧で全日本学生選手権470級優勝を経験した。
東京で、企業に就職。5年間事務職を続け、都会の恋をして、疲れ切って地元に帰った。
海沿いの漁村北之灘で、団体旅行の観光バス客相手に海産物を売る土産屋の店員として、再就職して今日に至る。
その間、田舎の恋もした。決して実ることのない恋だった。というか、真理には初めから愛やら恋やらを育むと言うことが分からなかった。ただ、付き合って楽しければそれでよかった。
仕事は真面目にしてきたつもりだ。それゆえ間もなく帰郷10週年を迎える。
今の仕事もそろそろ10年目。区切りをつけてもいいのかな……。だからあんな話が来たのかなあ。真理は、数日前にかつての高校の恩師から転職の誘いを受けていた。
真理は、芝生の上に靴を脱いで寝っ転がった。
「また、青春するかなあ」
空を見て真理は、目をつむり北之灘高校ヨット部時代を思い出していた。
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