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長い休日の終わり
自動車道からそれて山道を10分ほど行ったところに、古民家があった。長い縁側、障子戸は開かれていた。母屋の横には納屋があり、その前でニワトリが地面をつついていた。絵に描いたような田舎屋敷であった。真理は体中を縮こませていた力がふっと抜けて行くのを感じた。土間の玄関から家に上がった。
かねなが ただし少年に茶の間に案内された。襖を開けてお勝手から老婆が来た。
「これはよう来てくれた。ここの家の者は今日は鳴門の街へ買い物に行っておらんのや。今から、お昼ご飯にするけんいっしょに食べて行きなさい」
「あ、はい、突然押しかけてすみません。私、黒木真理といいます。あの、お手伝いします」
「ほうかい。じゃあ、おひつや鍋を運んでくれるかいな」
老婆がお勝手に戻ろうとした時、かねなが ただし少年が言った。
「ばあちゃん、ちっと美郷ちゃんの所に行ってくるけん。すぐ帰ってくるけん」
少年の手には大きな昆虫図鑑が抱えられていた。
「わかった。早う帰っといでよ」
「さっそく行くのね。成功を祈る」
そう言って真理は、少年に向かって親指を立てた。
真理の手伝いで、かねなが家のお昼ご飯の用意が整った。ちょうどその頃かねなが ただし少年が帰って来た。
真理は、かねなが ただし少年と美郷ちゃんが仲直りできたか興味津々だった。そして、少年に言った。
「ただし君、どうだった? 」
かねなが ただし少年は、親指を立ててほほえんだ。
「おねえちゃんの言うとおりにしたら、美郷ちゃん分かってくれて、仲直りができたで。それに美郷ちゃんも言い過ぎたって謝ってくれたんや。こんど蜂の子をいっしょに食べたいって言うてくれたんや」
「良かったね! ただし君。君の思いが通じたんだよ。本当の思いが」
「おねえちゃんありがとう。ばあちゃんお昼食べよう」
「そうすっか」
献立は、ご飯にワカメの味噌汁、つけもの、地元瀬戸内海のガシラ(カサゴ)の煮つけだった。真理は、素朴な食事の味に心のわだかまりが全て霧散する感じがした。
ゆっくりと食事をして、食後のお茶と鳴門金時の焼き芋をいただき、お腹がくちくなったところで真理は、かねなが家にいとまを告げた。
「また、いつでもきなさい」
老婆は、そう言って真理の姿が見えなくなるまで家の前で見送っていた。
かねなが ただし少年は、ずっと、真理と一緒に歩き続けた。結局真理の働いている土産屋の前までついてきた。
「ただし君、もうここでいいよ。ありがとうお昼までごちそうになって。私本当にあなたに会えてよかった。迷いも吹っ切れそう」
かねなが ただし少年は、真理を見上げて、言った。
「おねえちゃんはええ人や。おねえちゃんの言うたことを信じて行動したら美郷ちゃんと仲直りができた。おねえちゃんが何を悩んどるか知らんけど。おねえちゃんは、ひとに教える仕事をしたらええと思うでよ。みんなおねえちゃんを信じてくれるでよ。じゃあね。また、遊びに来てね」
そう言って、かねなが ただし少年は、山に向かって、来た道を走って引き返して行った。
「ただし君…………私、そのこと……教える仕事をするかどうかで悩んでいたんだよ。何で分かったの? 迷いの答えをくれたの? 」
真理がふと気が付くと、もうかねなが ただし少年の姿はなかった。
真理は、ゆっくりと海に向かって歩き出した。土産屋から休日出勤している同僚が、真理の所にやって来て言った。
「どうしたの。黒木さん。大丈夫。何か疲れているみたいだけど。山から下りて来た時、誰と話してたの? 」
「え? だれって。小学4年生のかねなが ただし君だけど……。お昼ご飯までごちそうになってね」
「黒木さん、まじ大丈夫。小学生なんていなかったよ」
「え? 」
「それに、山に向かって動物が走って行ったけど、あれって狸だったよね」
「たぬき? 」
狸? かねなが……。真理は、独り言をつぶやき始めた。
「かねながの、かねって金のことよね。ながは長いのながってことはあわせて金長だ。かねなが ただし君は金長だぬきってこと? 。金長だぬきが私の悩みに答えてくれた……」
「金長だぬきって徳島に伝わる伝説の狸のことだよね。黒木さん本当に大丈夫? 」
「わかった! ただし君! もう決めたよ悩みはふっきれた! わたし、土産屋さんやめる! ヨット部の顧問になる! 」
そう言ってかかとの高い靴を脱ぐと、真理は漁港の堤防の先に向かって走り出した。
真理は、北之灘高校の校長から教員にならいかとの打診があったのだ。
教員免許は大学時代に体育科教員の免許を取得していた。
まず、臨時の講師として採用されて、来年採用試験を受けて合格すれば正式な教諭として北之灘高校に赴任することができる。そして、真理に北之灘高校女子ヨット部の顧問をしてもらいたいというのが北之灘高校の校長の願いだった。真理は、高校時代ヨット部で活躍し、大学でもインカレ優勝をしているので、ヨットをやることに対してはやぶさかではなかった。しかし、生徒を指導すると言うことに不安を感じていた。不安を感じつつも部員の育成をしたいと言う思いもあった。それらの心の整理がつかず真理は悩んでいた。
教員になってヨットをするか、断って今の仕事を続けるか。
今、真理は決断した。
「ヨットをやる! 」
真理は、堤防の端までたどり着いた。目の前の海面にはいつの間にかヨットが3杯走っていた。いずれも420級のヨットだった。北之灘高校女子ヨット部が練習をしているのだ。
真理は、1杯1杯を腰に手を当てて見つめた。
ヨットからは、堤防の端で見ている真理に気が付いていた。ヨットを走らせながら女生徒が言った。
「だれ? あれ。なんでこっちみてんの」
「あ、あれ土産物屋の黒木さんだよ。何なんだろうね」
真理は、堤防から海に向かって飛び込んだ。
「おりゃあ~! 私の長い休みは終わった! 待っとれよー。北之灘高校女子ヨット部! インターハイ優勝じゃああ!! 」
数日後、新監督による北之灘高校女子ヨット部の指導が始まった。
秋 真理の休日 終わり
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