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序章
胡桃のことが好きだった。
心の底から彼女のことを愛していた。
彼女のことを、絶対に手放したくなかった。
夕焼けを背景に満開の桜の樹の下で微笑む胡桃の顔を、僕は今でも鮮明に思い出すことができる。口元に小さく笑みを浮かべながら涙を流す彼女は十七歳で、僕も同じ十七歳だった。高校の制服に身を包んだ僕と彼女の間には五メートルくらいの距離がある。近すぎはしないが遠すぎもしない距離。それが僕と彼女の距離を如実に表していた。
新大阪発博多行の新幹線の中で、僕はそのときのことを思い出している。手には小倉までの特急券と直方までの乗車券。目の前のテーブルの上には缶ビールが二本。左手の腕時計は午後二時を指している。二人がけの席には僕しか座っていないから何の気兼ねもない。
せっかくの晴天にもかかわらず、山陽新幹線はトンネルが多いから車窓を流れる景色を楽しむこともままならない。僕はぼんやりと車両前方の電光掲示板に流れる文字を見つめる。天気予報は福岡が快晴であると伝えている。
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