Ⅰ.鎮神の意

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 登校の時だけ開けられる西門の向こうに、ずんぐりむっくりとした爺さんが立っている。  国語の授業中、影太は先生に腫れた顔を見られたくないこともあり、うつむき気味に、ずっとその老人を眺めていた。 「よだかは、醜い鳥だったのね。だから、他の鳥からいじめられて、鷹からは、名前に『たか』を入れるなとまで言われちゃったの。その時、主人公のよだかは、どう思ったと思う? じゃあ、陰陽寺くん、答えて」 「えっ?」  原田先生の声に反応して、影太はそろりと立ち上がった。パブロフの犬のように、指名されるとオートマチックに立ち上がってしまう。先生と目が合った気がしたが、影太の腫れた顔を見ても、それについては何も触れなかった。 「陰陽寺くん、今までの話を聞いていれば、わかるわよね? どう思ったと思う?」 「あ、いや、その……」  影太は、隣の朝野里加(あさのりか)を見下ろす。が、里加は前を向いたまま、目を合わせてくれない。 「ふざけんな、コノヤロウとでも?」  でまかせで答えたら、原田先生の反応はまんざらでもない。 「そうね、気が強ければ、そう思うかもね。でも、よだかはそうはせずに、故郷を離れちゃうの。そして、たくさんの虫を食べて生きて行くうちに、嫌気がさすの。なぜだか分かる?」  そんなの知らん、と思いつつ目を逸らす。 「虫の命を奪い続けていることに気付いたの。それで、自分が生きることに絶望したのね」  ずんぐりとした老人は校門をすり抜け、校庭に侵入していた。 「そんなことくらいで絶望したんですか? 弱くないですか?」 「はちすずめや、カワセミといった弟たちと離れたのもつらかったんでしょうね……。孤独になっっちゃった影響も大きいと思うわ。ちょっと、精神的に不安定になっちゃったのかな」 「先生! ボクは、弟と離れたけど、平気だよ。虫、食べないし」  四年一組の教室中がどっと沸いた。  発言したのは、両親が離婚して、母親と二人暮らしをしている宮崎だった。弟は父方にいったらしい。 「そうだ、虫を食べると言えば、昨日のヤングザッツ大集合、観た人いる?」 「あ、私、観ました!」「私も観た」「私も!」  結構な数の女子が手を挙げた。ヤングザッツは、ザッツ事務所のデビュー前の男性アイドルの総称で、彼らが色んなお題にチャレンジするバラエティ番組は、社会現象になるほど人気だった。 「あー、結構いるね。先生も観た。毎週、欠かさず、観てる。ヤングザッツの子たち、すごかったよねえ」 「先生! あの番組の企画で、ヤングザッツの子が虫食べてたよ。私なら、絶対イヤ」 「みんなで協力して獲ったハチの巣からハチノコとって食べてたね」 「先生、毎日、虫を食べる国とかあるんですかあ?」  当てられて立たされている影太にお構いなく、周りの女子が盛り上がる。  原田先生は、国語の教科書を脇に挟んで、パンパンと二度、手を鳴らした。 「はいはい、ちょっと静かにして」  注意しているのに、原田先生の表情は緩い。新任でまだまだ若い原田先生がアイドルオタクなのは、影太を含め、みんな知っていた。 「陰陽寺くん、いいわよ。座って」  アイドル話で盛り上がって、気を良くしたのだろう。原田先生から解放された。  影太が再び校庭を見ると、老人が、体育の授業をしている六年のクラスの児童を追いかけまわしている。 「どうしたのよ、影太? ひょっとして、また見えたの? 陰陽寺の人間だけが見えるという……」  里加が小声で話しかけてきた。 「疫病神な。ああ。今も見えるよ。ほら、六年の男子と混じって、校庭で走り回っている」 「どこ?」 「ほら、鉄棒の前、あそこだよ」 「金井先輩のそば?」 「そそ……って、あれ、晋ちゃんか……あ!」 「あ、金井先輩、転んだね」 「コラッ! 朝野さん、陰陽寺くん、おしゃべりやめなさい!」  影太と里加は、開いた教科書に顔を隠す。シンクロした動作にクスクスと笑う声が聞こえた。  国語の授業が終わるまで、ずっと影太は校庭が気になった。  晋太は左足首を押さえ、苦悶して何かをさけんでいた。やがて、異変に気付いた児童が晋太を取り囲む。間を置かずその輪の中から、先生に肩を抱えられた晋太が保健室に運ばれた。  休み時間になっても、校庭はまだ、ざわついている。 「あの疫病神、晋ちゃんの左の足首を抱えて、捻りながら押し倒しやがった……」  影太は結局、国語の授業をほとんど聞いていなかった。 「え? その疫病神は、今はどこにいるの?」  里加が影太の机に両手をついて、校庭をのぞき込んだ。 「大笑いして、西門から出て行ったよ」 「え? そうなの? 退治しなくてよかったの?」 「あんな通りすがりの疫病神ごときで、壺は使えないよ」 「壺? あの悪趣味の壺?」 「まあ、正確には、香炉っていうんだけどね」  影太はウエストバッグのチャックを開け、ごそごそと中をまさぐり、香炉を机の上に出した。 ――旧家の陰陽寺家には、宝物庫と呼ばれる蔵が建っていた。二年前、影太が二つ下の妹のミクと蔵で遊んでいた時、地震が起きた。  たまたま棚の一番上に上っていた影太は、バランスを崩して床に落ち、勢い余って壁に背中を打ち付けた。と、壁の向こうで、陶器の割れる音がした。  壁の向こうには、本殿と呼ばれる部屋がある。本殿は、父以外立ち入り禁止になっている。 「お兄ちゃん、大丈夫? 本殿で何かが割れるような音がしなかった?」  地震の揺れがおさまると、ミクが心配そうに聞いてきた。心配しているのは、影太のケガというよりは、何かを壊してしまったことだろう。 「そ、そうだな……なんか、割っちまったかな」  今の地震で、本殿の扉が僅かに開いている。影太は、絶対に覗くなと厳命されている本殿の扉に近づいた。 「お兄ちゃん! そんなの、ダメだよ!」  ミクの制止とは関係なく、扉の向こうに気配を感じて、影太が止まる。  真っ暗闇の部屋から、にょきっと顔が出てきた。おでこに丸い痣のある老紳士風の顔立ちである。  老紳士は、何度も左右に首を振った後、大股で影太の目の前を通り過ぎた。スラリと背が高く、タキシードを着ている。 「だ、誰だ、お前!」  老紳士は、影太の声に振り返ることなく、スッと蔵から出て行った。 「お、お兄ちゃん、誰だったの、今の? こ、こわいよ」  影太は、覗いてはいけないという、奥の部屋をのぞき込んだ。本殿と呼ぶからには、神聖な空間を想像していたが、内装は宝物庫と変わらず、白壁も、柱も梁もむき出しで、質素なものだった。ただ、頭上高くの壁一面に、紅色の神棚が備えられていて、それが唯一、本殿と呼ばれる由縁らしき装飾であった。 「お兄ちゃん、覗いていいの? 覗いちゃいけないんじゃないの?」  神棚の下、床に落ちた香炉が割れていた――  影太の机の上には、あの時割れたものと瓜二つの香炉が置かれている。 「おお、いつ見ても趣味の悪い壺だね」  香炉に手を伸ばす里加の手を払いのける。 「痛っ! 何よ、ケチ。触るくらい、いいじゃない」 「前にも言ったけど、この壺は一つしかない、神聖なものなんだ。むやみやたらに触るとバチが当たる」  ベチャベチャと廊下に響くのは、かかとを踏み潰した指定靴で走る音だ。近づくその靴音につられて目を向けると、噂好きの宮崎が駆け込んできた。 「号外号外!」  宮崎は机を押し分け、教室の中心にある自分の椅子の上に立った。 「六年の金井晋太くんが、タクシーに乗せられて、病院に行ったって。足の骨、折れてるらしいぜ」 「おおお」教室中がどよめいた。  晋太は、小学校で、一番の有名人だった。
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