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宮崎との交渉が成立した。宮崎に憑く貧乏神を鎮神することになり、里加にも声をかけた。
放課後、ランドセルを置きに帰ったあと、どんぐりの木がある公園に集まった。
「そもそも貧乏神って、貧弱で貧相な爺さんのイメージだったんだけどそうじゃないんだ……」
里加の機嫌が直ったようで、影太は胸を撫でおろす。
「仁王像のようでもある。ずっとこっちを睨んでるよ。関西弁で凄んでくるし」
「こ、こわいね……」
「うん、ボクも怖くないわけじゃないよ。でも、宮崎のためだから、一肌脱ぐよ」
里加との会話の間も、宮崎は棒立ちしていた。緊張しているらしい。
「じゃあ、始めようか。宮崎は、目をつぶって」
影太は持参したビニル袋の中から、お香を一つ取り出した。
「陰陽寺代々受け継がれた、秘伝のお香ね」
余計なことを言いながら、影太はライターで香に火をつける。リンゴのような、すうっと鼻の通る香り。煙が出るのを確認して、香炉に入れる。
「リン、ピョウ、トウ、シャ、カイ、ジン、レツ、ザイ、ゼン……」
影太は九字を切り、ぶつぶつと経を唱え始めた。
「な、な、何をしてるんだ? ……ぼ、僕はいったい、どうしたらいい?」
目を閉じたまま動揺する宮崎を睨めつけ、「エイッ」と、影太は手刀を一閃した。
それは、父がやっていたうろ覚えのアクションだった。
――父の義春が鎮神するのを見たのは晋太の父の通夜から数日後、長野の田舎にある、母の実家に帰った時。父の鎮神の行を間近で見たのは、後にも先にもあの時だけだった。
「エーエイッ! 鎮まれよ!」
義春は、右手でつくった手刀を振り下ろした。すると、左手の香炉に、小汚い爺さんが吸い込まれる。影太はびっくりして、母に聞いた。
「陰陽寺家に代々伝わる鎮神って言う儀式らしいわ」
「お爺さん、吸い込まれちゃったよ」
「おじいさん? 影太のおじいさんのこと? 吸い込まれてないわよ。ちゃんとそこにいるじゃない」
影太の祖父が、病床に臥し、息苦しそうに呼吸をしていた。その枕元に、さっきまで、小汚い爺さんが座っていた。義春は、その爺さんを香炉に封じ込めたのだった。母には、あの小汚い爺さんが見えていなかったらしい。
「終わりましたよ。もう、大丈夫です。じきに良くなると思いますよ」
義春は蓋をした香炉を、ウエストバッグに入れてから言った。
「義春さん、すいませんねえ。わざわざ来てもらってしまって。ささ、こっちきて、お茶でもどうぞ」
割烹着を着た祖母が、義春を居間に誘う。義春は、影太の前を通りすがりに口を開いた。
「影太。お前も陰陽寺家の長男だから、これをできるようにならないとな。これから、少しずつ、教えていくよ」
影太はゴクリと唾を飲み込んだ――
宮崎に憑りついた仁王像のようなムキムキマンは、見た目通りに、強い。
お経を唱えて、手刀を振り下ろしても、尻ごみをする様子も見せず、食って掛かってきた。
「てめえ、ずーっと、舐めくさりやがって。ここでてめえを、ぶっ殺してやる」
「何言ってんの? お前には殺せないでしょ。せいぜい人を貧乏に陥れるくらいしかできないくせに」
「な、なんやと!」
影太は、じりじりとムキムキマンの風上から間合いを詰め、お香の煙をなびかせた。
経を唱えて九字を切る。
やがて、香が効いてきたのか、ムキムキマンの動きが緩慢になる。
そうと見るや、影太は一歩踏み出した。
影太は再び、手刀を一閃した。
手刀は、ムキムキマンの右肩を切り裂いた。影太はすかさず、ムキムキマンの首を掴んで香炉に押しつける。
「鎮まれよ!」
ムキムキの貧乏神が、香炉に吸い込まれ……ない。入らない。
ムキムキマンは、おでこに香炉があてがわれた状態で踏ん張っている。香炉の中に吸い込まれそうにない。
ただ、カモミールの煙が顔中に当たって、力が入らなくなっているのは確からしい。影太の心許ない腕力でも、筋肉の権化を抑え込めている。
「いい加減、観念して、入れよ、ムキムキ野郎!」
「影太、どうしたの? まだ、ダメなの?」
里加が心配そうにこちらを見ている。
影太は、はあはあと息を荒げて、「大丈夫。もうすぐ、終わる」と告げてはみたが、次に打つ手が思いつかない。
「なかなか、やるやねえか……」
香炉におでこを押し付けられているムキムキマンがささやいた。
「せやけど、ワシは、負けへんぞ。お前も、引くに引けなくなってもうてるやろう? いっちょ、取引しようやないか」
「取引?」
「ああ、取引や。今回は、お前の顔を立てて、宮崎とかいうコイツに憑りつくのを止めてやる」
影太は心が揺らぐ。
影太は里加や宮崎に聞こえないように、蚊の鳴くような声で話す。
「マジか。それなら、それで、目的は果たせるからいいけど……」
「だろ? お前は、ワシを鎮神できたかのように演技をすれば、お互いハッピーやないか?」
「乗った。約束は、守れよ」
影太はムキムキマンを解放し、右手を掲げる。
「エエエイッ! 鎮まれよ! 貧乏神!」
一転して、ご近所まで響くような大声を張り上げた。時代劇の役者のように、見得を切る。
右手で作った手刀を振り下ろし、「観念せえ! 召し取ったりいい! エイ、エイ、オー」と、大げさなアクションで勝鬨を上げ、香炉に蓋をした。
「影太? だ、大丈夫? うまくいったの?」
里加は気が気でないようで、うろたえている。
「ああ、なんとかやれた。かなり手強かったけど、ボクのまじないが効いたんだ」
手の甲で汗をぬぐい、さわやかに笑って、苦闘の上の勝利者を演じた。
里加から発せられる羨望の眼差しが眩しい。うっとりとした表情に、影太は、少し心が痛む。
「宮崎、終わったよ。いいよ、目を開けて」
影太がそう言うと、宮崎は目をまん丸とさせて、腰を抜かしたように、その場に尻もちをついた。
「本当かい? 助かったよ。ありがとう、影太。恩に着るよ」
「こんなの、どうってことないさ。また、憑りつかれたら、やってあげるよ」
影太は、香炉を持ってない右手で、何度も、何度も、あたりをはらう。
「影太どうしたの? 蚊でもいるの?」
「来なくていい。巻き込まれるから」
里加が近づいてこようとするのを影太が制した。
(どっか、行けよ)と思いながら、なおも影太はあたりをはらった。
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