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プロローグ
「うちの下の子が、見えるみたいなのよ。いつもパパの後ろの方を指さして、誰かいるよって言ってくるの」
長い髪をシュシュでとめた女は、グラスの氷をストローでつついて混ぜる。カラカラと涼し気な音色が、他に客のいない店内に響いた。
「そうなのか? たしか、まだ幼稚園に入ったばっかだったよな。そんな小さな子にも、見えるんだ」
短髪を後ろに流した男は、色付きレンズの眼鏡を外して、テーブルに置く。香水はつけていないが、男からは、カモミールの香りがした。
「むしろ、小さい子の方が見えるのかな。私だって、結婚する前くらいまでは見えてたし」
「そっか……そうかもな……。上の子は? 長男は、見えていないの?」
「たぶん、見えてない。寡黙な子だから、分かりにくいけど、見えてないんじゃないかな」
「そうか。じゃあ、その下の子、自分が周りの子と違うものが見えてるって知ったら混乱するんじゃないかな。上手く、説明してあげないといけないね」
「そうね、注意するようにするわ。陰陽寺の血が流れているっていうのも、良し悪しだね」
コーヒーカップに口をつけていた男は、自分が軽蔑されているようにも聴こえたのか、少し眉をひそめた。
「しかし、お前も大変な男と結婚したな。この先もきっと苦労するぞ。いつも何かが憑いてる。ついてない人間にはよく憑くとは聞いたけど、あれほどひどいのは初めて見たよ」
「いつもお祓いしてもらってゴメンね。なるべくお兄ちゃんには迷惑かけたくないんだけど」
「そんなの、全然いいよ。逆に、あんまり気を遣いすぎるなよ。手遅れになったら、取り返しのつかないことにもなりかねないから」
「ありがとう。そう言ってもらえると助かるわ」
その言葉を待っていたかのように、男が身を乗り出す。
「ところで、俺からも、相談っていうか、お願いがあるんだけどさ」
リンゴに似たカモミールの香りが女は好きでは無かった。この香りに助けられたことも多いが、いつか自分を不幸な目に遭わせるんじゃないかと、勘ぐっている。
男の話を聞くうち、女は気持ちが沈んでいき、そんな吉凶の織り交じった香りが鼻についた。
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