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三十四 参考人
六月三日、日曜、午後。
R署の記者会見場で、田崎署長はおもむろに口を開いた。
「天野四郎さんの死因は急性アルコール中毒によるショック死と判明しました。
体内に残っていた薬物は激しい肩凝りを緩和するような薬で、服用しても心停止に至らないことが判明しました。以上です」
「容疑者があがっていたように聞いています。その人はどうなりましたか?」
記者が質問している。
「参考人です」
田崎署長は質問した記者を睨んだ。
「容疑者ではないと?」
記者は容疑者をあげつらって新聞記事をにぎあわせたいらしい。
「よろしいですか!当署は参考人の人権保護を行っています!
この件に関してコメントはしませんよ。
なお、報道の方は当署の方針を妨げないよう、参考人の人権保護に協力してください!」
田崎署長はふたたび激しい口調で質問している記者たちを睨みつけた。
「わかりました・・・」
記者は納得した。
「発表は以上です」
「やるねえ・・・」
会見場から記者たちが去ると、真理は佐介につぶやいた。佐介が野本刑事に話したことが、そのまま上部へ伝わった結果だった。
「むりに容疑を並べたてれば後味が悪いだけだよ。
参考人に課せられるのは始末書か厳重注意だけだろうね・・・」
田村省吾は尾田ノリコに処方薬を譲渡した。二人ともそれなりの処分を受けるだろうと佐介は楽観的だ。
「薬事法にも抵触しない・・。
重過失致死罪も成立しない・・・。
自殺幇助も成立しない・・・。
処方薬の譲渡だけださ・・・」
真理も佐介と同じ考えだ。
会見場を出て、R署の外へ出た。二人は車に乗った。
「真理さんはセツコさんとノリコさんへ連絡してくれ。
俺は田村へ連絡する。アフターケアだよ」
「わかった」
真理は佐介の意を了承した。
佐介は田村省吾に連絡した。
「飛田です。夜、田村に会いたいんです。田村はいますか?」
「ええ、どうぞ!省吾から言いつかってます。今、お風呂に入ってます。ぜひうちで夕飯を食べてください。六時に用意しておきます」
「わかりました。ではそのときに・・・」
佐介は通話を切った。
真理がセツコに連絡すると、
「天野の死は、私がいなくなったのが原因だわ・・・」
とセツコは言った。
天野四郎が元妻と生活したのは子どもが生まれるまでの一年程度だ。元妻と新婚生活を送りながら、天野四郎はセツコと付き合い、元妻と離婚後は、セツコと同棲をつづけ、ノリコやかほるをはじめ、店の女に手を出し、これらの女たちとも半同棲をつづけていた。
セツコは説明する。セツコが天野四郎の家を出たのは今年四月、天野と暮すようになって六年後だ。
「私は他の女たちの存在にずっと気づいてたけど、気づかないふりをしてきたわ。いつか天野が、妻としての私の存在に気づいてもどってくると信じてたから・・・。
天野は私を母親のような存在に思っていたみたい。だから、他の女に手を出しても、平気で家にもどってきて、私に甘えてた。
私は実家へもどって天野の意志を確かめようとした。私を迎えに来れば、ずっといっしょに居ようと思ってた・・・。
でも、天野は迎えに来なかった。私を他の女たちのように扱っても、必ず私がもどる、と見栄を張ってたんだと思う。
私はひと月たっても、もどらなかった。
天野は、私がいなくなって、私の存在が大きいことに気づいたと思う・・・。
天野は私から見捨てられたと思い、私という拠り所を無くして生きる気が無くなったんだと思う。
天野はバカよ。迎えに来て一言詫びれば、もどってあげたのに・・・。
いつかこんな日が来るような気がしてた。
真理ちゃんありがとうね・・・・」
電話の向こうでセツコはむせび泣いた。
「セツコのせいじゃないと思うよ」
天野四郎は一人の女を愛しつづける男ではないと思っていたが、セツコの話を聞いているうちに、セツコの話すとおりなんだろうと真理は思った。
「明日、実家へ行くから、セツコに会いに行くね」
「待ってる・・・。そしたら、あした・・・」
セツコは通話を切った。
そのあと、真理が尾田ノリコに連絡すると、ノリコはぜひ今から店に来てほしいと言った。
「ノリコさんが、今から店に来てくれって言ってる」
「それなら店へ行って、そのあと、田村の家へ行こう」
「これから行くわ」
真理の声を聞きながら佐介は車を発進した。
炉端焼き・里子で、ノリコは店の二階に佐介たちを迎え、
「いろいろありがとうございました。飛田さんたちが野本刑事に口添えしてくれたのを野本刑事から聞いてます」
壁際の棚の位牌と手前の遺影を見た。
「あのバカに代ってお礼を言わせてください。ありがとうございました」
正座して深々とおじぎしている。
「大変でしょうが、がんばってください。
警察はノリコさんと田村の名を明かさず参考人だと発表しました。報道関係から二人を守る方針を話し、報道関係を説き伏せました」
佐介は警察の記者会見を説明した。
「ありがとうございます。それも飛田さんの口添えですね」
ノリコが恐縮している。
「野本刑事の配慮でしょう」
と佐介。事実、野本刑事が参考人二人を配慮した結果だ。
「いろいろありがとうございます」
ノリコがふたたび遺影を見た。
「こいつ、さんざん女に手を出して、挙句、本命が逃げたからって死んじまって、残されて者の身にもなれってもんさ・・・」
ノリコは佐介たちを見て、
「・・・死んじまったら、私らの気持はわからねえか」
苦笑いしている。
「何家族いても暮すだけの余裕はあったんだ。なんであのバカ、死ななきゃなんねえの。残された私だって死にたいわ」
ノリコは、突然、ワッーと声をあげて泣きだした。真理はノリコのそばへ行って、背中をさすった。
「天野を愛してたんは私だけじゃない。かほるもユミも、あたしらには隠してた小畑セツコも、みんな天野を愛してる。死んじまっても気持は変んない」
いつ知ったのかノリコは小畑セツコの存在を知っていた。
「いっそのこと天野と同じ薬を飲んで死のうと思ったけど、死ねるような薬じゃなかったんだね・・・」
ノリコは涙を拭いてケラケラ笑って話しつづけた。
「ああ心配しないでね。店を切り盛りして仲間たちの面倒みるよ。私には家族も仲間もいる。全員を守ってゆく責任がある。絶対に見捨てないよ」
ノリコの顔にキラキラしたものが現れた。ノリコの背後に何かがいるのを佐介は感じた。
「みなさん、夕飯食べてってくださいね」
ノリコは言った。
「このあと田村に会う約束をしてます」
と佐介。
「残念だわ。田村君に、よろしく言ってください。
また店に顔を出すように言ってください」
ノリコは笑顔になった。
「みなさん、田村君に会ったあと、N市へ帰るんですか?」
「今晩D市の実家へ行って、明日、T市の実家に寄ってから帰ります」
佐介と真理の実家の所在地は、ノリコに話してある。
「こちらにもどったら、ぜひおいでください」
朗らかにノリコが言った。
「はい、必ずうかがいます」
佐介と真理はノリコに挨拶して炉端焼き・里子を出た。
夕刻。
座卓に夕食が用意された田村の家の居間で、真理は明美に優しく訊いた。今回の事件で明美の心労は計り知れない・・・。
「明美さんは田村くんの行動を知ってたんだべ」
「省吾は頼まれると断れない性分だから、きっと何かあったんだろうって思ってました。
省吾の筋弛緩剤は、大量に飲まなければ危険はないのを病院で教えてもらい、安心してました。処方薬の譲渡が罪になることはわかってましたから、薬を天野さんに渡していれば罪になるのは覚悟してました。
いちばんは天野さんの死因でした。
自殺なら、省吾がそれを手助けしたのではないかと気になってました」
明美はおちついている。
「俺が説明する。
天野さんが疲れてて眠れない、当り散らして何か壊したりしそうだ、とノリコさんから聞いて、筋弛緩剤をほしい、と言われたので二錠、譲りました。
合成した薬はここにありましたが、天野さんが亡くなったので疑いを恐れ、大学の化学実験材料係官に事情を話し、係官は成分も調べて廃棄処分しました。
最初にみなさんがここに来たとき、俺はビタミン剤の小ビンを見せました。
あの時、ビンの錠剤保護シートの下にあったのは処方された筋弛緩剤でした。
俺がみなさんに見せたピルケースの薬がビタミン剤です。
あの時から、次に何が起こるか考えて筋弛緩剤の上にビタミン剤を入れておきました。
俺の薬は人を死なせるような強い薬ではありません。俺のしたことは処方薬の譲渡だから、それなりの処分は覚悟してました。
だけど、天野さんが死ぬとは思ってなかった。
明美にはすまないことをしたと後悔と反省をしています。
これで学籍も仕事も全て失うかも知れません・・・」
田村はうつむいた。
佐介はR署の記者会見を説明した。
「そうならないよう、参考人扱いになったんだ。R署も、参考人の未来を奪わないよう大学へ伝えたはずだ」
田村は佐介の説明に納得した。
「ありがとうございました。明美に最初から全てを話しておけばよかった。そうすれば、こんな大騒ぎにならず、天野さんも死ななかったかも知れない」
「タラや、レバはないよ。
あるのは一度だけの現実だ。全てが起こるべきして起こる」
佐介はそれ以上話さなかった。
「ありふれた夕飯ですが、食べてください」
明美は佐介たちに夕飯を食べるように促した。
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