一 スターゲート

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一 スターゲート

 九月初旬。  大粒の雨がフロントガラスを叩き、あっというまに豪雨になった。運転手はあわててワイパーを動かすが雨脚は激しく、夜の視界はいっこうに開けない。雨脚の激しさに運転手がバスを減速した。  しばらくすると、 「つぎは本町二丁目、中華飯店・麺珍楼前、麺珍楼前・・・」  車内アナウンスが響いた。  いつも下車する本町一丁目ではないが、田村省吾は降車ボタンを押してバスを降りた。豪雨の中、本町一丁目へ走るバスと逆に、十数メートル離れた二丁目のスナック・スターゲートへ走った。田村の住居は本町一丁目でバスを下車し、道路を東へ一キロメートルほど歩いた住宅街にある。この豪雨のなかを傘もささずに歩くより、一杯飲みながら雨がやむのを待つほういい。  スターゲートのドアを開けた。カウベルのようなドアベルが響いた。この野暮ったい趣味はここ北関東のR市の人の発想ではないと田村は思う。  豪雨の中、店に現れた田村を見て、黒縁の分厚い近眼メガネをかけたパンチパーマのバーテンダーが厚い唇の端にニタッと笑みを浮かべて声をかける。 「いらっしゃいっ。雨、すごいっすねっ。いつものでいいっすか?」 「ああ、たのみます。水道の水でいいよ」 「あいよ。シルビアがいないから、だいじょうぶっす」  バーテンダーの青山和宣ことブルマンが、ウィスキーグラスと水のグラスをカウンターに置いて田村の前へ滑らせ、背後の棚からウィスキーのボトルを取ってカウンターに置いた。  田村はフッと思いだし笑いした。この男、見るたびにいつも、どこかで見覚えがあると思っていた。どうしても思いだせず、すっかりあきらめていた。今ようやく往年のジャズシンガー、サミー・デイビス・ジュニアに似てると思いだして、すっきりした気分になった。そして、ママはシルビア・クリステルだ・・・。  ここスナック・スターゲートのママの名は里子だ。成田不動産と三軒の飲食店を経営する、成金を絵に描いたような風貌の成田金蔵の奥方で、若かりしころのシルビア・クリステル似だ。客も従業員も、里子本人がいないとき、里子をシルビアと呼んでいる。  シルビアは関西生まれ。成田金蔵の奥方らしく金の亡者だ。ミネラルウォーターの瓶に水道水をつめて、ミネラルウォーターだと言って金を取る。  客も従業員も心得ている。シルビアがいるときはそれなりにしているが、いなくなると水道水は単なる水道水である。そして、ボトル価格はブルマンによって割引になる。つまり金の亡者は算盤を弾けない。全て丼勘定、頭の中味はスカである。 「こう、降りが激しいと客はこないっすね」  話しながら青山和宣が壁の時計を見た。まもなく午後十時だ。交代の時間が近づいている。豪雨のため、四人がけのボックス席が四個と八人掛けのカウンター席しかない店内に、客はカウンターの田村だけだ。狭い店内が広く感じられる。
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