二 告白

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二 告白

 レースのカーテンがかかった格子ガラスのドアの向こうに、ライトが停止した。ドアベルが鳴り、激しい雨音とともに長い髪の女のバーテンダーが店に駆けこんだ。 「それじゃあ、ごゆっくり!」  青山は田村にウィンクして、カウンター内から客席へ移動し、店のドアを開けたままにしている女の前を、 「お先に!」  雨の歩道へ跳びだしていった。 「田村さん、いらっしゃい!」  ドアベルを鳴らしてドアを閉め、女のバーテンダーはうつむき加減であいさつしてカンター内へ歩いた。田村は親しみをこめてバーテンダー見た。バーテンダーの頬が赤い。 「アケちゃん、この雨で客もいないのに、大変だね」 「うん、仕事だからね。ここに来れば誰かしらいるから・・・」  バーテンダーは手を洗って、晒布でグラスを磨きはじめた。  パーテンダーの名は原田明美。看護師だ。勤め先にないしょで時間が許すとき、この店で働いている。 「こんな雨で、来る人はいないだろう?」  田村はグラスのウィスキーを少しだけ口に含んだ。 「そうでもないよ。雨を気にしないで来る人、私、好きだよ・・・」  明美の頬の赤みが消えた。青ざめたような顔になっている。何かを決心したらしい。 「私、隣りに座っていい?いいよね?」  明美は田村のグラスを見て、同じグラスを田村のグラスの左に置いた。 「いいも悪いもあるか。俺のウィスキーを狙ってるだろう?」  明美は想像の世界で、すでに自分のグラスに俺のウィスキーを入れてる。俺のウィスキーを飲むつもりだ・・・。 「こんな時しか、羽、伸ばせないんだ・・・」  明美はカウンター内から出て田村の左隣りに座った。 「ねえ、あなたって彼女いるの?毎晩飲んでるけど、そんなにお金あるの?どこに住んでるの?私のこと、どう思う?」  立てつづけに質問する明美に、田村はゆっくり噛んで含めるように言う。 「ちょっと待て。飲むために注いだんだろう。だったらまず飲め。それからひとつずつ、ゆっくり訊け・・・」 「うん、じゃあ」  明美はグラスを持った。グラスを差しだし、田村の目を見てほほえんでいる。田村は明美のグラスにウィスキーを注ぎ、自分のグラスを取って明美とグラスを合わせた。  カチャッとグラスが音をたてた。そのままグラスを引いて唇に当てる。ゆっくりグラスを傾け、唇にウィスキーを含み舌にのせる。そして、舌を上顎にそわせてウィスキーを口全体へ拡げるようにして喉の奥へ送りこむ。そうする間にウィスキーは口全体に拡がり、リンゴの果汁のような味わいを残して喉の奥へ消えてゆく。今日もウィスキーがうまい。ウィスキーをリンゴの果汁のように感じるのは、体調がいい証だ。 「それで、何を訊きたい?」  田村はグラスをカウンターに置き、グラスを見た。グラスの淵から内側をウィスキーがゆっくり下がってゆく。  明美がまっすぐカウンター内のボトルの棚を見たまま言う。 「あなたがM大の三年なのは聞いたよね。どこに住んでるの?」  田村の左視界に明美のまつげが見える。たがいの顔がずいぶん接近している。 「その先の・・・」  田村は本町一丁目のバス亭から東の道路を一キロメートルほど歩いた住居を説明した。 「ああ、聖子ちゃんの家が経営する下宿屋さんだね。一戸建なんだね、知らなかった」  明美は田村を見つめた。何かほっとしたように明美の肩が下がった。緊張を解いている。 「学生が多い町だから一戸建ての下宿屋は珍しくないよ。気になるか?」  田村はグラスを唇へあてた。 「一戸建てなら、気兼ねがいらないと思って・・・。  ところで、ねえ、なんで、飲んでられるの?」  のぞきこむように、明美は田村の目を見ている。 「勉強しないってことか?」  田村はグラスを傾け、少しだけウイスキーを飲んだ。明美も少しだけ口に含んだウィスキーを時間をかけて飲みながら、田村に用意した水を飲み話しはじめた。 「週に五日は来るでしょう。多いときはそんなペースだよね。  一回三千円使うとして週に一万五千で、ひと月で六万くらいだよ」  明美が呆れたような顔になっている。 「アルバイトの給料だ」  田村は何気なく言ってグラスを口へ近づけた。  明美はグラスを置いてあきれたようにため息ついた。 「私の時給より多いんだよ。飲み代が」  「ほんとは、アケちゃんに会うためだ」  田村のグラスのウィスキーが少なくなった。 「えっ、ほんと?」  明美は真剣な顔になって、田村のグラスにウィスキーを注いだ。 「飲まずに、そのお金でアケちゃんを家政婦に雇おうか」  田村は冗談のように言って明美のグラスにウィスキーを注いだ。 「ほんとうなら、うれしいなあ」  明美は本気で話している。田村は明美の椅子を引いた。明美の尻と肩が田村に触れた。 「いいのか?」  田村はグラスを見たまま言った。明美もグラスを見たまま答える。 「うん」 「全部か?」 「うん」 「初めてか」 「はじめてだよ」  明美が田村の肩に頬をのせた。田村は左手で明美を抱き寄せた。 「そうか、初めてか・・・」  田村の下宿は新婚向けの2DKの一戸建てだ。使わない部屋や使っている部屋の隅に埃や塵がたまる。だからといって物があるわけではない。いらない物は捨てている。  箒はあるが掃除機がない。掃除は嫌いではない。掃除しないだけだ。だから家政婦でもいればきれいになるといつも思っていた。 「どうした?」  明美の顔が赤い。グラスのウィスキーは少し減っただけだ。もう酔ったのだろうか。 「だって、いきなり訊くんだもん。経験あるか」  明美がグラスを置いた。 「家政婦の話だぞ・・・」  田村はグラスを置いて明美の肩を抱いた。  明美が頬を田村の左肩にのせた。 「ばか。かんちがいすること言うな・・・」  そう言いながらくくくっと明美は笑っている。 「俺もまだだ。気にするな」  田村は正直にまじめな声で言った。 「そうか。安心したっ!」  明美が田村の肩に頬をすりつけている。 「それなら二人で協力すれば・・・」  明美が顔を起こして話しはじめた。田村は、明美の頬に両手を添えて引きよせ、唇を封じた。ウィスキーの味がする。  明美が顔を離し、 「ちょっと待って・・・」  椅子から降りて店の入口へ歩き、ドアを開けて激しい雨の中、閉店の札を外側のドアノブにかけてドアを閉めて施錠した。ドアとレースのカーテンがかかっている窓に遮光カーテンを引いて室内照明をカウンター内だけにし、 カウンターにもどり、 「まだ、飲むでしょう?」  田村の手を取りウィスキーグラスをボックス席へ移動させた。  ボックス席で明美を抱きしめ、田村は背中を撫でた。 「そろそろ帰る」 「そうなの・・・。二階に仮眠室、あるよ。いつもここに泊まるんだ・・・」  明美は田村と話したかった。 「俺の下宿に来るか?」  田村は週末の夜を自分の部屋でのんびりしたかった 「行ってもいいの?」  明美は顔をあげて田村の目を見た。 「ああ、いいよ。仕事は?」  田村も明美を見ている。 「明日は夜から。だから、時間、あるよ」 「土曜も仕事か。それで、家政婦できるんか?」 「うん、専属ならね」  明美は田村の胸に頬を寄せた。 「専属になるか?」  田村は明美の髪に唇を触れた。 「うん、なるよ・・・」  明美の口から優しい言葉が出た。 「決まりだ。これを飲んでタクシーで行こう」 「うん。ねえ、私のこと好き?」  顔をあげて明美は田村を見た。 「ああ好きだ。だからこうしてる」  田村も明美を見つめた。 「どこが好き?」 「客を気づかうとこ。あの金の亡者とは違う」 「それから?」 「バカじゃないとこ。一番は・・・」 「何?」 「笑顔とこの身体が好きだ。頭の中から身体まで好きだ・・・」  田村は、はじめて明美に会った二年前を思いだした。  明美は肩が小さい。腰がくびれて尻が大きい。胸は小さい。無いに等しいとも言える・・・。大きな垂れ目で鼻筋が通り、ちょっと大きめの口をしている。整った顔立ちで姿勢が良く、笑うとかわいいアルパカが笑っているようだ。 「私も・・・」  田村は唇で明美の口を封じた。明美が何を言いたいかわかっている。顔が離れるとささやいた。 「これから、死ぬまで家政婦してもらう」  「うん」  明美は田村に抱きついた。 「さあ、帰ろう・・・」  田村はやさしく明美の唇に唇を重ねた。 「うん、タクシー呼ぶね・・・」  明美は田村から離れた。
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