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三十二 連行と尋問
夜九時前。
本町一丁目のバス停から離れた路地に一台のワンボックスカーが停まった。
まもなくバス停にバスが停車し、何人かの乗客とともに田村が降りてきた。客の最後に、炉端焼き・里子の店前で田村省吾の尾行を葉山刑事と交代して田村を尾行していた本山刑事がいる。
田村がワンボックスカーの方に歩いてきた。
葉山刑事と二人の刑事と佐介がワンボックスカー降りた。刑事たちは田村を囲んでいる。
「田村省吾君だね。R署まで同行してください。逮捕状が出ています。あなたに不利な事は何も話さなくていいですよ」
葉山刑事はていねいにそう言って、田村の背後から歩いてきた本山刑事と、ワンボックスカーから降りた二人の刑事とともに、田村をワンボックスカーに乗せた。
田村は無言のまま、何事もなくワンボックスカーに乗り、車外の佐介を見てほほえんだ。
佐介は、田村が自分にほほえんでいるようには見えなかった。田村に何を言っても、言葉が田村の中をすり抜けてゆく気がした。田村が自分を無視ししているのではない。すでに田村の意識は田村の中に無く、もっと遠くのどこかに行ってしまったようだった。
佐介は呆然とワンボックスカーが発進するのを見送った。
六月一日、金曜、未明。
勤務中、明美はずっと自宅のテレビのまわりが気になっていた。
それが何か、やっとわかったから、半夜勤明けの明美は病院で仮眠せず、タクシーで自宅に帰ってきた。
自宅の駐車場に見覚えある車が停まっていた。自宅に灯りは無く、飛田さんが泊まっているのかと明美は思った。
明美が玄関のドアを開けようとすると、携帯が着信を知らせた。明美はドアを開け、室内へ入った。ダイニングキッチンの椅子に座り通話に出た。
「夜分すみません。飛田です。田村のことでお話があります」
飛田の声が聞える。
「はい、何でしょう・・・」
そう話しながら明美は居間へ移動し、寝室の襖を開けた。ベッドに田村はいなかった。
「実は、田村が・・・」
佐介が次の言葉を言い淀んでいる。話しにくいことなのだろう。
「やはり、逮捕されたんですね・・・」
明美は自分の声がおちついているのに気づいた。予感したとおりだった。
「ええ、ご存じでしたか?」
「はい、ビタミン剤の小ビンがなかったので・・・。あの中の薬を入れ換えてたんですね」
「そうです。
今、オタクの駐車場にいます。何かお役に立てることがあれば、言ってください。
真理もいますから」
「そしたら中に入ってください。今後の事も相談したいし。ドアは開いてますから」
「わかりました」
通話が切れた。
車のドアが閉じる音がして玄関のドアが開いた。
「夜分すみません・・」
飛田佐介の声が聞えた。
「どうぞ、お入りください」
明美の声は沈んでいなかった。
六月一日、金曜、午前。
R署第一取調室で、野本刑事は、尾田ノリコを取り調べている担当刑事と交代し、
「ノリコさん、田村省吾が逮捕されました」
と言ってノリコの変化をうかがった。
田村が逮捕されたと聞いて、ノリコは話しはじめた。
「実は天野に頼まれたんだ。さんざん女たちを泣かせたから、いずれ女に恨まれて最後は一人になるだろうから、今のうちにそういう思いから逃れたいと言ってた。
どうしてそうなったかわからないけど、最近の天野はノイローゼ気味だった。
そんな時、田村君が怪我の後遺症から筋弛緩剤を飲むようになった。
薬の説明を聞いた天野は薬をほしがって、田村君に作ってほしいとせがんだ・・・。
タイミング良く、製薬会社から薬の作り方が手に入って、田村君が薬を作った。私は二錠をもらって、天野の指示どおり、御茶のペットボトルに入れて天野に渡した・・・」
ノリコの話に嘘はないようだ・・・。
「天野さんは死ぬ気だったと思いますか?」
「わかりません・・・」
「どこで薬を飲ませましたか?」と野本刑事。
「小梅町の河川敷公園で飲ませたよ・・・」
「どういう風にして、何錠飲ませましたか?」
「御茶のペットボトルに入れたのは二錠だよ。田村君が、健康なら二錠では死なないって話してた。天野はノイローゼ気味で、私が河川敷の公園からいなくなったあと、そのまま川へ入ったんだと思う・・・」
「今日の薬はどうしたんですか?」と野本刑事。
「あの薬は、私が持ってれば、田村君の罪が軽くなると思って、私が田村君に頼んだんさ。
青山和志の件も、容疑が私にかかるように、私が考えたことさ・・・」
「あの薬、田村君が作った薬ではないですよ。病院で処方された薬です」
「そうなんですか・・・」
どんな薬だろうと、天野は薬を飲んで希望どおりに死んだ。そうなるよう手助けしたのは私だとノリコは思った。
「あの・・・、葬儀のあと、天野の家でいろいろ片づけてたら、こんな物が出てきた。日付は二十一日になってる・・・」
ノリコは封をしていない封筒をバッグから取りだし、野本刑事に渡した。
「見ていいんですか?」
野本刑事はノリコを見つめた。
「どうぞ、見てください・・・」
ノリコはおちついて話している。
「これ、あずからせてください。今日はここまでにしましょう」
野本刑事はそう言って、係官にノリコを退室させた。
尾田ノリコが出てゆくと、野本刑事は内線通話で鑑識へ連絡した。
「新しい証拠物件が出た。手紙だ。調べてくれ。刑事課へもどる・・・」
その頃。
R署第二取調室で田村省吾は、葉山刑事の取り調べを受けていた。
「あの薬は、病院で処方されて薬局で買った薬です。ノリコさんに頼まれて、二十一日に二錠をあげました。事情がなんとなくわかってたから、追求しませんでした。
ちょうどそのあと、あの製薬会社のネットの件があって、俺と戸田雄一と青山和志の三人で薬を合成しました。うまく合成できたので自宅に持ち帰りました。天野さんの事件後、天野さんの遺産の件でノリコさんや元妻と会う前に、大学の係官に事情を話し、成分を確認してもらって廃棄しました。
ビタミン剤のビンに病院で処方された残りの筋弛緩剤を入れ、その上に錠剤保護シートを入れて二錠のビタミン剤を入れるのは、ノリコさんのアイデアでした。
おそらく刑事が見張ってるから、その前で、ビンのシートの上のビタミン剤を飲んでも、何もなければ残りの薬は筋弛緩剤とは気づかれないと・・・。
ノリコさんは青山和志のことなどで嘘を言い、警察の注意を引きつけて、全てノリコさん一人で行ったと示すつもりだったんです。だから、俺の薬をほしがった・・・」
「犯行の全てが天野さんとノリコさんの責任だと言うんですか?」と葉山刑事。
「そうは言いません。天野さんの事情をなんとなく知っていて薬を渡したんだから、俺に責任はあります」
田村はそう言った。
「天野さんは死ぬ気だったと思いますか?」
「俺にはわかりません」
「何か思いあたることはありませんか?」
「奧さんが実家に帰ったのが原因かも知れません」
「どういうことですか?」
「俺の知るかぎり、奧さんは・・・・」
田村は内縁の妻・セツコについて、他の愛人たちとはちがうセツコの性格を語った。
「そうですか・・・」
田村省吾の説明に、葉山刑事は、主人公が身近な人を失って初めて大切な人だったと気づく悲劇映画を見ているような気がした。
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