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三 天野とブルマン
タクシーが来るまでのひととき、田村は気になっていたことを明美に訊いた。
「なんで、ブルマン(青山和宣)は十時に帰るんだ?十時に明美が帰って十時以降はブルマンが勤務するのが筋だろう」
飲食店の法律について田村はくわしくないが、十一時以降、スナック喫茶は営業できないはずだ。なのにスナック・スターゲートは深夜営業している。明らかに違法だ。田村は抱きしめている明美の背を優しく撫でた。
「違法を承知で営業してるんだよ。シルビアが、話はつけてあるって言ってた。
青山さん、お母さんが病気で、十時にあがるの。
今度、成田社長の口添えで、銀行から借り入れて投資するらしいわ」
明美は田村の胸に頬よせている。背中の田村の手が心地良い・・・。
「なにに?」
「投資は成田不動産にだよ。成田不動産が資材提供してくれるから、自分の店をオープンするんだって。自宅を改築して店にすると言ってた」
「病気の母親がいるのにか?」
「病気の母がいるからだよ」
銀行から借入れできるなら、そのお金で店をオープンすればいい。なんで成田不動産の紐付きになるんだろう・・・。田村は嫌な予感がした。
「ルナと里子の、天野は何者?」
成田金蔵が経営する末広町のスナック・ルナと、本町三丁目の炉端焼き・里子がある。天野四郎はこの二店舗の雇われ経営者だ。
「車のディーラの人。昼は車のセールスマン。夜はスナックの雇われ経営者、兼、マスター。ルナと里子を経営してる。すっごい女ったらし・・・」
毛嫌いした口調から、明美が天野を嫌っているのがわかる。
「あれでか?」
田村は天野の容姿を思いだした。天野は小柄で小肥り、メガネをかけた刈りあげ頭、顔は美形とは言いがたい。見た目はそんなだが、他人の面倒見はすごくいい。男に対して、兄貴分的存在だ。田村は天野をそう見ていた。明美から話を聞くまでは・・・。
「まわりが気づいたときには常勤とできてた」
「えっ?常勤が店にいるんか?」
「非常勤の常時勤務者だよ。たいていの常時勤務の女が天野の子分みたいになって、それから恋人みたいになって、そして女になった。
女は店に最低二人いたよ」
「わかんないもんだ。どう考えたって天野と店の女たちが結びつかない。女たちより天野は十以上歳上だよな。人使いも荒い。
女たちは、天野が店の経営者だと思っているんだろうか?」
明美は顔をあげた。田村を見ている。
「それはないよ。シルビアが人選してるから。
でも最近、天野に任せっぱなしかな。シルビア、めんどくさいことに、頭がついてかないんだね」
「明美は天野をどう思う?」
「私、人を見る目はあるよ。アホはキライ」
明美は看護師だ。人を見る目はある気がする。
車の停車する音が聞えた。
「タクシーが来たよ」
明美は手早くボトルとグラスを片づけ、店の照明を消して、田村とともに店を出た。
その頃。
末広町の通りにそった店舗の二階にあるスナック・ルナで、
「ユミ、今日は上がりにしよう」
天野四郎がユミの手を握って告げた。豪雨のためスナック・ルナに客はいない。このあとも、この豪雨のなかを通ってくる客はいないだろう。手早くカウンターを片づけ、天野は店の照明を消した。アーケードの街灯がスナック・ルナの窓ガラスに打ちつける雨足に滲んで見える。
「なあ、上へあがるか・・・」
天野は店の天井を目配せしてユミを誘った。店の上の階は住居スーペースだ。従業員が休憩と仮眠できるよう室内は整えられている。今はユミが住んでいる
「うん・・・」
ユミはうれしそうに、小さくうなずいた。
それから二十日余りがすぎた。
青山和宣(ブルマン)がパブ・ブルーマウンテンをオープンして一週間ほどがすぎた。
ブルーマウンテンは本町三丁目の炉端焼き・里子と相向いの、本町通りの東の、奥まった所にある。
九月下旬のある夜。
家庭教師のバイトを終えて、田村は炉端焼き・里子に立ちよった。
「おう、いいときに来た。ちょっとつきあってくれ!アオちゃんの店にあいさつに行くんだ!」
田村は、天野に連れられて青山和宣の店・ブルーマウンテンに行った。
天野とともにカンター席に着いた田村は、
「青山さん、おめでとう。自分の店を持ったんだね」
田村は青山に社交辞令のつもりで言った。
「おかげさまで・・・。結構、借りたんす、成田オーナーに」
青山は、スナック・スターゲートにいるように、カウンターの中からウィンクした。
バーテンダーは青山の他に男がいる。女のバーテンターもいるが動きから判断して見習いらしい。そしてもう一人。
「これからも、ブルーマウンテンを、ごひいきに!」
口先だけの金の亡者のシルビアが愛想笑いして厳つい目つきで青山和宣を斜ににらんでいる。ブルーマウンテンの客は、青山との会話を楽しむためにスターゲートに来ていた客ばかりだ。頭がスカのシルビアは、スターゲートの客が青山の人柄で来ていたのを、あらためて知ったらしい。
「シロちゃんも、アオちゃんに負けないように、ガンバッテね!」
シルビアが天野に愛想笑いした。シルビアは成田金蔵が経営するスナック・スターゲートとスナック・ルナと炉端焼き・里子の書類上のママである。一方、天野はスナック・ルナと炉端焼き・里子の雇われ経営者だ。シルビアは天野に、
「スターゲートの客がブルーマウンテンへ流れた減収分を、スナック・ルナと炉端焼き・里子で取り返せ」
と言いたいのだ。
「オープンから一週間してもこれだけの客が来てるってんは、アオちゃんの人柄だんベな」
天野は金儲けばかりのシルビアの人柄を地元、北関東の訛りで皮肉った。一瞬、シルビアの目が吊りあがったが、すぐさまシルビアは愛想笑いを浮かべている。
九月半ばに、明美がスナック・スターゲートのバイトをやめている。理由は俺だ。それを知れば、シルビアはどんな目つきで俺を叱責するだろう・・・。
田村はシルビアの目つきにちょっとした恐怖を感じた。
「お客様は神様ですからね」
田村の思いを見透かし、青山が田村に愛想笑いをむけている。
俺に、スナック・スターゲートの客がブルーマウンテンに流れた話をふるのはこまる。俺は単なる客だ。青山は俺と明美の関係を知っている・・・。田村はビールのグラスを手にしたまま、ビールの泡がしぼんでゆくのを見つめた。
「さあ、ゆくか・・・」
天野がシルビアや青山の話を中断させるように言った。天野の言葉でふっと田村の緊張が解けてゆく。
「アオちゃん。お勘定。帰って稼がねえと俺はクビだかんな!」
天野はシルビアを見て、これ見よがしにケタケタ笑っている。
シルビアは文句を言えず、姑息な目つきで天野をにらんだ。シルビアの視線を受けたまま、天野は青山の差しだす請求書の額を支払い、シルビアを無視して、
「アオちゃん、ごちそうさん」
と言って店を出た。後に従う田村の背後から、
「お稼ぎ!」
と青山の声が聞えた。
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