18人が本棚に入れています
本棚に追加
四 女の戦い
午後十時すぎ。
田村はブルーマウンテンからに帰宅した。
遅い夕食後。
「明美のお父さんとお母さんに会っておきたい・・・」
田村は、台所で洗い物をしている明美にそう言った。明美の母・昌江は入院している。父親はすでに他界してお寺だ。
「どうしたの?」
シンクにむかったまま、明美は向きを変えない。
田村は明美の腹部に両腕をまわし、背後から抱きよせて明美の耳元で言う。
「家政婦なんて言ったけど、こうしてたら仕事を持ってる主婦だ・・・。
暗黙の了解だけでいっしょに暮してるのはいやだろう?」
「何のこと?」
明美は洗い物をつづけたままそう言った。
「正式に、あいさつしようと思ってる」
「先日、二人で見舞いに行って、母にあいさつしたでしょう。結婚したいって言って。
母も認めたよ」
明美の声が弾んでる。
「予定を話しただけだ。今度は正式に、卒業した春に結婚すると言うよ」
「だいじょうぶ。お母さん、よくわかってる。
毎日、面会にいってるでしょう?省吾」
明美が向きを変えた。田村と向き合って田村の腰に腕をまわした。
「お母さん。病室で結婚衣装を披露して婚姻届を出すだけでいいって言ってたわ」
明美の腕に力が入っている。
「わかった。そうするよ」
田村も力をこめてて明美を抱きしめた。
「あなた、お母さんに気に入られてるよ。何を話したの?」
明美は顔を離して田村を見あげた。
「天気のこととか、その辺の野草のこととか、庭木のこととか、そんなとこかな・・・。
ああ、明美のことを訊かれたよ。気配りする優しい人だと話しといた。人を気づかう性格だと。俺は明美が大好きだと言っといたよ」
「あなたらしいね・・・」
明美が目を伏せてふっと笑った。
「そうか・・・」
田村は明美を力一杯抱きしめた。明美の髪から大好きな明美の匂いがする。
「あんっ、だめっ、潰れる・・・胸が・・・」
強く抱きしめられて明美はうれしい痛みを訴えた。いつまでも省吾といっしょに居たい・・・。
「今日、帰りに里子によったら、天野がブルーマウンテンに連れてってくれた。客はほとんどスターゲートの常連だった。シルビアが天野に、もっと稼げって、嫌みを言ってたよ。
以前話した天野の女って里子の尾田ノリコか?」
田村は明美を抱きしめたまま訊いた。
「うん。ひと月で天野の女になったんだよ」
明美が顔をあげた。田村を見あげてる。形の良い明美の鼻の頭を見つめて田村は言う。
「明美は、一晩で俺の家政婦になったぞ」
「バーカ。妻になった、でしょう」
明美は笑っている。一晩でと言うが、田村と明美は以前から親しい。田村がスナック・スターゲートで明美と顔を合わせるようになってすでに二年がすぎている。
「私の勘だけど、ノリコ、妊娠してるよ。それで強気に出てるんだと思う」
「生むから、二つの店を仕切らせろって?」
「あるいは、店を経営させろ、そうじゃないと、ルナの女に、妊娠したのを知らせるって」
「結婚するなら、妊娠したってどうってことないだろう?」
「二人の女に結婚を持ちかけてたらどうってことあるよ。早い者勝ち。子作り合戦。
勝った方が天野と結婚して、二つの店の経営権を得るの」
「まるで大奥だな。それでルナの女って誰?」
「ユミよ」
「知らないな・・・」
「あなたが、スターゲートで私と話すようになったころ、ルナの店長になった女だよ」
田村がスナック・ルナへ行ったのは二年前に一度だけだ。その時、天野四郎と炉端焼き・里子の尾田ノリコの二人と知り合った。その頃、田村は明美に会うため二丁目のバス停から近いスナック・スターゲートに通っていた。
シルビアは金払いのいい客にオベッカを使っていた。青山和宣はジョークばかり飛ばして本音を語らない、客層で色を変えるカメレオンのようなバーテンダーだった。
そんなスターゲートで、田村は明美とだけ話していた。明美が話す客も田村だけだった。
「あなたとは話が合うけど、他の人と話が合わないから」
スターゲートで働く明美は、ジョークや田村を試すような会話を一度もしなかった。
「天野は小柄で小太りで、刈りあげ頭のメガネなのに、凄い人なんだね」
「昼は車のセールスしてんだよ。噂では、お客ともできてるみたいだよ」
明美の説明に呆れて田村は話を変えた。
「ごめん、話がそれたね。
お母さんの所へいつ行けばいい?」
九月下旬だが暑さが厳しい。看護師の明美の休日に合わせて病院へ行くのが妥当だろう。
明美は田村の肩に頬をのせてカレンダーを見た。
「じゃあ、今週の土曜だね」
今日は火曜、四日後だ。
「晴れるといいな。気分がちがう・・・」
「うん!」
明美は田村に抱きついた。
最初のコメントを投稿しよう!