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七 偽装結婚
十月初旬、日曜日、午後。
田村は、天野四郎の結婚披露宴の席にいた。
天野の関係者の席は、天野と同世代の男ばかりで年寄りが一人もいない。驚いたことに田村のテーブルには個人名の名札がない。田村はM大生、左隣りは整備主任、右隣りは配車担当。どれも車販売ディラーの職種名だ。出席者が誰に変ってもいいように肩書きだけの名札が置かれている。
一方、尾田ノリコの関係は全て正式な名前が書かれている。明美が、ノリコのライバルだと説明したユミ、かほる、その他スナック・ルナの女と、炉端焼き・里子の女、そしてノリコの取り巻きの女たちとノリコの家族と親族がいる。ノリコ関係は田舎のお祭りのごとく老若男女一族郎党が集まっている。ノリコが正式に結婚すると思っているようだ。
夕刻。
挙式の無い披露宴だけの見せかけ結婚式が終った。
「田村君、ちょっと付き合ってくれる?」
披露宴会場でノリコが田村を呼びとめ、余興で使った譜面や譜面立てが詰まったダンボール箱を田村に持たせた。天野は控え室の入口で小物の楽器が入ったダンボール箱を持っている。
「どこへ持ってゆくんです?」
田村はノリコに訊いた。
「新居だよ・・・」
ノリコの目と口にふしぎな笑いが浮かんでいる。
三階の披露宴会場から地下駐車場へ降りた。
ワゴン車の後部に荷物を積むと、助手席に、ノリコが座った。
「じゃあ、こっちに・・・」
田村はノリコにそう言って、ノリコの後のシートに座った。
車が発進した。天野が世間話するがノリコは何も話さない。沈鬱な空気が車内に流れたまま、車は十分ほどで走って野中の一軒家のような家の前で停止した。田村は車を降りて後部ドアを開け、積んであるダンボール箱を持ちあげた。家の西側に近所の民家の明りが見える。民家と反対方向の東側は暗くてよく見えないがS川のようだ。
「家の中へ運んでくれるかい?」
「はい」
天野に言われ、田村は車の荷物を家の中へ運んだ。
広いフローリングの大窓が開け放たれて、レースのカーテンが風になびいた。フローリングは砂埃でザラザラしているように感じた。車の荷物を運び終えると、
「ありがとう。送ってくるよ」
この新居から逃れるため、天野は田村を送る口実で外出する気でいる。
「結婚式のあとなのに外出していいんですか?」
田村は動きはじめた車の助手席で言った。
「もうじきノリコの友だちが来るんだ。暴走族上がりの女ばっかださ。朝まで騒ぐだんべ。だからいねえ方がいいんさ」
天野はヘッドライトに浮かんだ道路を見つめて車を走らせた。天野はシングルマザーのノリコを援助するが、ノリコの家へ二度と行く気はないようだった。
炉端焼き・里子へ行くようになる以前、田村は明美と話すのが楽しみで、ずっとスナック・スターゲートで飲んでいた。
明美がスターゲートのバイトを辞めたころ、天野が仕事の話でシルビアに会うためスターゲートに現れた。そして天野が田村を炉端焼き・里子に誘った。
これがきっかけで、田村は炉端焼き・里子へ出入りするようになった。この頃、田村は、天野四郎と尾田ノリコの関係を知らずにいた。
炉端焼き・里子の海産物は質が良かった。客筋も家族連れや勤め帰りの者が多く、夕刻の時間帯はいつも満席だった。天野四郎と尾田ノリコの関係で田村が知っていたのは炉端焼き・里子のカウンター内の天野四郎と尾田ノリコと、ステージに立ってラテンギターを奏でながら歌う天野四郎の一人舞台だけだった。
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