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呼びかける背中
人の間を縫って歩くみつきは、はぁとため息を吐いた。憂鬱とした気分のまま、夕方のスーパーを後にする。
毎晩のように帰っていた晋哉と会わなくなって、一週間が経つ。忙しいのだろうかと思っていたが、最近は避けられていることを確信していた。
用意しておく夕飯は食べているから、みつきが寝た後に帰ってきているのだろう。自分が何かしてしまったのかと思ったが、嫌われたのであれば用意した食事を食べることはしないだろうから、不思議だった。
晋哉はいま、何を考えているのだろう。最近はそればかりを考えていた。
(嫌われたのなら仕方ない、のかな……)
今までろくに人と関われなかったため、嫌われた時の対応がみつきには分からなかった。
分からなければ諦めればいい。今まではそうしてきたのに、どうしても、晋哉のこととなると諦められない。
もういっそ、夜の相手に使ってくれたら。そうしたらただの主人のように、尽くせるのに。男だと知られたら、そばに置いてくれないかもしれないけれど。
正解を導き出せないみつきの視界に、見覚えのあるスーツが映った。
「よぉ」
「……っ」
スーパーに似つかわしくない男がみつきに声をかけた。一週間ぶりの姿に、みつきの胸が高鳴る。
できるだけいつも通りを装って、ひとりで立つ晋哉に小走りで近づいた。
「買い物は済んだのか」
晋哉の瞳がみつきを見る。早く答えなければと、みつきはこくりと頷いた。
「なら帰るか」
みつきが持っていた袋が晋哉の手にわたる。自分が持つべきなのではないかと思ったが、すぐに歩き出した晋哉に、みつきも慌てて歩き出した。
隣を歩くことはできず、数歩離れてついていく。
避けられていると思っていたら、一緒に帰ることになってしまった。ますます晋哉の考えがわからず、みつきは困惑する。しかしそれ以上に、大きな安心を感じていた。
「あれぇ、晋哉のアニキだぁ」
「ほんとだぁ、アニキなにしてんの?」
どこか気だるげな声に、前を歩く体が止まる。腕に絡みついてくる女性を、鬱陶しそうに引き剥がした。
「晋哉のアニキー、たまには店に顔だして行ってよ」
「アニキならいつでも歓迎だよぉ」
私服姿ではあるが、派手な髪とメイクで、夜の店の関係者であることがみつきにもわかった。
少しの間かもしれないけど一緒に居られることに喜んでいた気持ちが沈んでいく。
ひとりで帰った方がいいのだろうと思うみつきが晋哉に視線を向けると、一瞬目が合った。
「……また今度な」
「えぇー、いつもそれじゃん」
「こんど絶対来てよね」
不満を露わにする女性たちをかわして、晋哉はまた歩き出す。まだこの時間が終わらないことに喜びながら、みつきもまた足を動かした。
少し先を歩く背中を見ながら、みつきは女性たちを羨まく思う。
あんな風に気軽に話せたら、腕に触れられたら。名前を呼ぶことが出来たら。
自分には許されないことが出来る彼女たちが羨ましい。
(晋哉、さん……)
心の中でなら、晋哉に知られることは無い。
これくらいは許して欲しいと願いながら、みつきはもう一度、晋哉さんと心の中で名前を呼んだ。
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