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もう戻らない
買ったばかりの食材を手に、みつきは夕日の中を歩いていた。今日は晋哉の帰りが早いため、どこか気分がソワソワとしている。
四ツ谷会の幹部となった晋哉は、意外にも以前より早く帰るようになった。
東泉組若頭の頃より、時間ができたらしい。
あの日、好きにしろと言われた櫻井は、四ツ谷会に赴き晋哉の計画を晋哉の名前で報告した。自分の計画にすることもできたのに、櫻井は義理を捨てきれなかった。
みつきとの出会いがきっかけで櫻井の言う「甘さ」が生まれた晋哉。反対に櫻井は、出世のためでも甘さを拭いきれない男だった。
「みつき」
後ろからみつきの名が呼ばれる。
肌を撫でるようなねっとりとした声に、みつきの肌があわだった。久しぶりに聞く、よく知る声。
ゆっくりと振り向いた先にいたのは、みつきの父だった。
「あぁみつき、父さんだ。すまなかったね」
「な、なんで……」
「ようやく見つけた。さぁ行こう。また父さんとずっと一緒にいられるんだ」
みつきを置いて逃げたはずの父親が、目の前にいる。どうして、なんでいまさら。
予想外のことに、みつきはすぐには言葉を返せない。固まるみつきに、父親は手を伸ばした。
触られる、と思った時には、無意識に体が動き、その手を避けていた。
こんなことは初めてで、父親の顔から微笑みが消える。
「……一緒に、いけません。……帰る場所があるから」
「……みつき、その髪はどうしたんだい? その着物は?」
「これは……」
母親に似せるために顎下まで伸ばしていた髪は数日前に切っていた。
以前は女物の着物だったが、今は晋哉から貰った男物の着物を着ている。
「母さんはそんな物は着ない! 母さんはそんな髪じゃない!」
「っ」
突然声を荒らげた父親に、みつきの肩がびくりと揺れる。今までは何も否定せず、何も拒否せずにいたため、父親のこんな姿を見るのは初めてだった。
「みつき、帰る場所ってなんだ? 誰かと一緒なのか?」
「……父さんの、知らないひと」
晋哉に迷惑はかけたくない。しかしはっきりと言わなければ、父親は諦めないだろうと思った。
「なんだって? みつきは父さんのものだろう? ……なんだ、それは?」
「あ……」
父親が指さした箇所を見て、みつきはすぐに着物の合わせを正す。鎖骨付近に昨晩晋哉が付けた跡が残っていた。
「なんてことを……誰がおまえに触った! なんで俺より先に……! 俺だけを受け入れる体にしてやるはずだったのに!」
激情に駆られた父親は顔を真っ赤にし、腕を振り回す。身の危険を感じたみつきが足を引いたのと同時に、ふたりのそばに車が止まった。
「てめぇ、どの面下げてみつきに会いに来やがった」
車から降りてきた男がみつきを庇うかのように、間に入る。その背を見て、みつきは何故か泣きそうになった。
あぁ、もう大丈夫だと思える。
「おまえ、おまえか……俺からみつきを奪ったのは!」
みつきの父が腕を振り上げる。しかし楽々と避けた晋哉によって、その腕は空を切った。
「おい、こいつ車に乗せろ」
「へい」
みつきを庇う晋哉に代わり、車から降りた組員がみつきの父親を押さえつけ、車に押し込む。
その間も父親は何かを叫んでいたが、車はすぐに発進した。
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