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変化
「親父、俺に話とは……」
「おう青瀬、来たか」
紙タバコの煙が漂う部屋に入った晋哉は、上等なイスに座る東泉と向かい合って立つ。
すぐには話し始めず、少しの間タバコをふかしていた東泉は、タバコを灰皿に押し付けるとようやく口を開いた。
「青瀬、お前、四ツ谷会の幹部に興味ねぇか」
「……また、突然の話ですね」
「まぁな」
四ツ谷会とは、東泉組が所属している大きな組織だ。まず四ツ谷会の会長がいて次に会の幹部、そして東泉組などの配下の組織が連なっている。
「幹部の席がひとつ空くとかで、ウチにも声がかかってな」
「なら親父がやりゃあいいでしょう」
「俺はもう歳だしよ。なんでもいくつかの組に声をかけて、その中から将来貢献度が高そうだと期待できる奴に席を渡すらしい。老体に鞭うつのもなぁ。お前ならまだ若ぇし、地頭も良いときてる」
確かに晋哉はまだ三十代前半と若く、人から一目置かれるカリスマ性もある。しかしこの世界の男には珍しく、野心がなかった。
「親父、俺が面倒事が嫌いなのは知ってるでしょう。このまま、親父の元を離れる気もありませんよ」
「お前がそういう奴なのは知ってるが、ただなぁ、白井の組にも声が掛かってるみたいでな」
「白井組に?」
「あぁ。どうやらあちらさんも若頭らしい」
それを聞いた晋哉は眉をひそめた。
白井組とは、四ツ谷会の配下の組のひとつだ。東泉組と同じような規模で、組長は野心家だと聞く。晋哉の記憶に若頭の顔はないが、きっと組長と同じで人を見下した笑みを貼り付けているのだろう。
「お前も知ってるだろうが、白井組はシャブやチャカの取引で資金を得てる。しかも金さえ払えば相手がカタギであろうがガキであろうが関係ねぇ」
四ツ谷会の資金洗浄を受け持っている東泉組とは違い、白井組の資金元は覚せい剤や銃などの取引が主だと晋哉も聞いていた。
「……なるほど、親父は白井組のモンに幹部の席を渡したくないってわけですか」
「そういうことだ。何を売ろうが知ったこっちゃないが、誰に売るかを選ばないのはリスクがデカすぎる。あの組を野放しにしておくとこっちの身まで危険に晒されるからな」
はぁ、と小さく息を吐き出した晋哉は、仕方がないと心の中で呟いた。
これは、やってみないかという提案ではなく、白井組に席を渡すなという組長からの仕事だ。晋哉に断ることは許されなかった。
晋哉が帰ると、ちょうどみつきが生姜焼きを焼いているところだった。生姜の良い匂いが腹を空かせる。
帰ってきた晋哉にみつきは一礼し、キッチンに戻ろうとする。しかし、みつきの白い手にあるものを見つけた晋哉は、みつきの手を無意識につかみ持ち上げた。
「……っ」
息を呑む音がする。
手の甲に付いていた茶色いタレを、晋哉の舌が舐めとった。
「……座ってる」
それだけ言うと晋哉は手を離し、部屋の奥に進んでいく。
突然の行動に驚き、どうしてこんなことをと思うみつきだったが、晋哉も自分の行動に驚き、どうしてこんなことをしたのかと、みつきと同じように思っていた。
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