プロローグ

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プロローグ

 時計の針が、午前と午後の境界線を越えた。  12月に入り、寒さがより一層強まってきた、ある冬の日のこと。  世界がとっくに動き出しているなか、男はようやく眠りから覚めようとしていた。  鈴木咲翔(すずきさきと)、26歳。  26歳といえば、大抵の人はどこかしらで働いているものだが、彼は違った。  男は無職である。いわゆるニートだ。  咲翔は石川県金沢市で生まれ育った。  小学生の頃までは割と真面目に過ごしていた咲翔であったが、中学、高校で見事にだらけ、受験も就活も一切しないまま高校を卒業し、ニートになってしまった。    だが、高校卒業後にニートになった友達は周りにたくさんいたので、自分の置かれた境遇を特に悲観することもなく、アニメを見たり漫画を読んだり、自由気ままなぐーたらニート生活をそこそこ楽しんでいた。  しかし、ニート生活が2年目に入った途端(とたん)、周囲の状況がガラリと一変してしまった。  たくさんいたはずのニート友達(注:咲翔が勝手にそう思い込んでいただけで、実際は真面目な浪人生たち)がみんな大学へ進学してしまい、咲翔は無様(ぶざま)なニートワールドに1人取り残されてしまったのである。 『ニートなのは自分だけ』という状況は、なかなかにつらいものであった。 周りのみんなは学校へ行ったり、仕事をしていたり、毎日何かしらの予定があるのに、自分には何も予定がない。みんな何かしら頑張って生きているのに、自分は明日もあさってもその先も、特に何をするわけでもなくただひたすらボーッと過ごすだけ。 「今何してるの?」などと聞かれた際には、ほぼ毎日ずっと家にいるくせに、「自分探しの旅をしている」などと訳のわからないことを言うようになった。  さすがにそんな生活に嫌気(いやけ)がさした咲翔は、とりあえずバイトを探し始め、近所のスーパーのお肉売り場でのバイトの募集を見つけたので応募してみたところ、めでたく雇ってもらえた。  本来ならこんなゴミクズニートを雇うよりも、主婦のおばちゃんなんかを雇った方が確実に店のためになるはずだが、店長が咲翔と同じ高校出身で、かつ高校卒業後に進学も就職もせず、バイトをしながら遊んで暮らしていたという共通点のようなものがあったため、特別に採用してくれた。  仕事内容は、肉の入ったトレーにラップをかけてシールを貼ったり、商品を売り場に並べたり、ハムやウインナーを発注したりするといったものであったが、肉の産地を間違えたり、豚肉と牛肉を間違えたり、ウインナーを20個発注するよう頼まれて100個発注してしまうなど、散々な働きぶりであり、自分などいない方がましだろうなと思うことが何度もあった。  やはり自分は働くのに向いていない。しかしニートに戻るのも気が引ける。  それならばということで、咲翔は大学へ進学することを考え始めた。『大学生』という称号を手に入れれば、働かなくてもニートにならずに済むからである。  そんなふざけた理由からではあるが、咲翔は大学について色々調べ始めた。  大学は石川県にもいくつかあったが、どうせなら東京へ行きたかった。  高校生の頃、東京ドームで行われた大好きなバンドのライブを見るために1人で東京へやって来たことがあったのだが、その際に東京の大都会っぷりに圧倒され、以来、石川県の田舎町で生まれ育った咲翔は、密かに東京への憧れを抱き続けていたのである。  その後、彼なりにできる限り勉強し、付け焼き刃ではあるが、大学入試にもある程度なら対応できる程の学力をなんとか身に着けることができた。  2月に試験を受けるために上京し、「やっぱり東京の街は凄いなあ」と東京への憧れをより一層深めつつ、都内の大学の法学部法律学科を受験し、無事に合格した。  法学部を選んだのは、法律に興味があったわけでも、弁護士や検事や裁判官になりたかったわけでもなく、就職に有利らしいという理由からであった。  そして春、咲翔は1年半のニート生活および半年間のフリーター生活に別れを告げ、遂に憧れの東京(予算の都合上、本当は東京ではなくギリギリ神奈川)へ引っ越してきた。  こうして、念願の東京(本当は神奈川)での生活、そして大学生としての生活が始まった。  大学では、ありがたいことにすぐに何人かの友達ができた。  友達とは学校以外で会うことはほぼなかったが、授業を一緒に受けたり、昼ご飯を一緒に食べたりしていた。  授業はサボることなくちゃんと出席していたが、ただ席に座っているだけで、先生の話を聞かずにぼーっとしていることが多かった。  元々、ただ単に『大学生』という称号が欲しかっただけなので、勉強する気は起きず、サークルに入りたいと思うこともなく、アルバイトをするわけでもなく、毎日だらだらと過ごしていた。  東京にも、すぐに慣れてしまった。石川県に住んでいた頃は、「東京に引っ越したら毎日出掛けてばかりで、家に帰ることがほとんどないんじゃないか」という風に思っていたが、実際に住んでみるとまったくそんなことはなかった。  あれだけ憧れていたはずの東京だったが、いつでもすぐに行けるとなると、何かしらの理由がない限りわざわざ出掛ける気にはなれなかった。  憧れの地というのは、普段はなかなか行けないからこそ憧れるのであって、いつでも簡単に行けるようになってしまうと、熱が冷めてしまうらしい。  いつか月や火星などにも行ってみたいが、いつでも簡単に行けるとなると、なかなか行く気が起きなくなるものなのだろうか。    それでも、たまに訪れる東京の街はやはり魅力的で、輝いて見えた。  通学で利用するような場所にはもうだいぶ慣れてしまったが、普段は訪れないような場所だと、やはり昔と同じようにわくわくし、感動した。やはり東京は凄いなあと再認識させられる。  一緒に遊ぶほど仲の良い友達はあまりいなかったことと、元々1人で過ごすことが好きだったこともあって、1人で色々なところへ出掛けた。新宿、原宿、渋谷、池袋、東京ドーム、東京タワー、スカイツリー、皇居、水族館、動物園、プラネタリウム、東京ディズニーランド、東京ディズニーシー、等々。  東京ドームへ行った際には、高校二年生の時に初めて1人で東京にやって来たあの日のことを思い出してしんみりしたものだ。  そういえば、1人焼肉にも行ったことがあった。調子に乗って肉を頼みすぎた結果、食べきれそうになくなってきたため、肉を皿の下などに隠そうかと一瞬考えたりもしたが、なんとか頑張って全部食べた。  ラーメンの食べ歩きもした。色々食べたが、どれもうまかった。いや、そういえばめちゃくちゃまずいのもあった。なんであんなまずいラーメンを出しておいて店の経営が成り立つのか、世の中不思議だなと思った。    こうして振り返ってみると、なんだかんだでなかなか楽しい大学生活を送れていたように思える。  そんなこんなであっという間に時は流れ、大学3年生の冬、世間では就職活動が始まった。しかし、まったくやる気が起きなかったため、咲翔は就活を始められずにいた。  ここで就活をしなければ、またただのニートに戻ってしまう。それだけはなんとしても避けたかったので、いつか絶対に就活を始めようと思ってはいたものの、いつになってもその重い腰が上がることはなかった。  しかし、日が経つにつれ、だんだんと自分も何かしなければと思うようになってきた。 「みんなだって、きっと就活したくてしてるわけじゃない。しなければいけないから仕方なくしているだけだ。みんな頑張ってるのに、俺だけが毎日何もせず過ごしているなんて、そんなのは駄目だ。俺も何か頑張らなければいけない」  そう思うようになった咲翔は、その日から毎日ウイスキーを飲むようになった。 「みんな頑張って就活してるんだから、俺も頑張ってウイスキーを飲む」  まったくもって意味不明ではあるが、咲翔は真剣そのものであった。  筋金入りの駄目人間、というか、ただの馬鹿である。  大学四年生の秋頃からは、ウイスキーだけではなく、ビールも飲み始めた。  まったく就活をしていないにも関わらず、なんらかの方法でなぜかすんなりと4月から社会人になれると半ば確信していた咲翔は、「社会人はビールを飲めるようにならなければいけない」という意識から、ビールを飲めるようになるための特訓を始めたのである。何度飲んでも苦くてまずいが、毎日頑張って飲み、苦手なビールを克服しようとしていた。  ビールうんぬんの前に、まず就活をしなければ就職はできないということに考えが及ばないのがこの男の非常に残念なところである。  ちなみに、何度頑張ってもビールを飲めるようにはならなかった。   その後も一切就活をすることなく、かと言って就職とは別の進路に進むわけでもなく、あっという間に大学生活は終わりを告げ、『ニート・鈴木咲翔』として、華麗なる復活を遂げてしまったのであった。  少し前までは適当に学校に通っているだけでそれが職業となった。働かなくてもしっかりとした社会的地位があった。この4年間はなんだかんだで夢の4年間であった。しかし、その夢の時間はもう終わってしまった。  だらけにだらけた代償として咲翔が直面しているのは、『24歳のニート』という悲しい現実である。  働かなければとは思いつつも、なかなか行動に移すことができず、ニート生活はその後もだらだらと続き、あっという間に2年目の冬を迎えた。  いつまでもこんな生活を続けているわけにはいかない。さすがに働かなければ。それは自分でもよくわかっている。しかし、どうしても働く気が起きないのだ。  そもそも、人はなぜ働くのだろうか。それはきっと、『未来』のためであろう。  未だ来ぬ、しかしいつか必ず自分のもとを訪れ、『今』となり、そして瞬く間に『過去』となって去ってゆくその『いつか』を、よりよく過ごしたいがためではないだろうか。  人は努力し、少しでもよりよい未来を獲得するために日々を生きている。  未来が見えないからこそ、あらゆる未来を想定し、どんな未来にも対応できるよう、できる限りの対策を取っておこうとするのだ。  しかし、というよりだからこそ、彼は働くことができない。というより、その必要がない。  彼には、『未来』が見えるのだ。
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