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不思議な能力
目を閉じると、そこに不思議な空間が広がって見える。例えるなら、道路がずーっと遠くまで、まっすぐ続いているような感じだ。
晴れた日のように明るいが、太陽や照明のようなものは見当たらない。地に足がしっかりついているように感じることもあれば、大きな湖の真ん中に立っているように感じたり、遥か上空に浮かんでいるように感じることもある。
この空間が何色をしているのかを表現するのはなかなか難しい。色はあるが、はっきりと「何色だ」と断定できるような感じではない。寒色か暖色かで言えば、暖色のような気がする。強いて言うなら、「昼の日光の色」だろうか。
その不思議な空間のことを、咲翔は『未来空間』と呼んでいる。
その未来空間に、まるで空中投影のような形で、未来の風景が映し出されるのだ。近い未来なら近くに。遠い未来なら遠くに。
現在はもうすっかり変わってしまったのだが、かつての未来空間はとても穏やかで、空気は澄みきっており、3日後の未来くらいまでならだいぶはっきりと見えていた。4日後から1週間後の未来に関しては、ぼやけてはいるがなんとなく見えるといった感じで、それより先の未来となると、もっとぼやけていて、見えるような、見えないような、よくわからないといった感じだった。
未来が見えるだけではなく、それに伴う音も聞こえる。耳で聞いているというよりは、頭の中に直接鳴り響いているような感じだ。
ただ、未来が見えるといっても、ありとあらゆる細かい事象のすべてがはっきりと見えているわけではない。普段の生活においても、視界に存在するすべてのものがはっきりと見えているわけではないのと同じようなもので、見える未来もあれば、気づかずに見落としてしまう未来もある。
ちなみに、ほんの数秒先の未来に関してだけは、目を開けたままでも見ることができる。
この不思議な能力が開花したのは、咲翔がまだ保育園に通っていた頃のことであった。
ある日突然、目を閉じても真っ暗にならず、何かが見えるようになった。初めのうちは、それが一体何なのかよくわからなかったが、次第に、これはこれから起こる出来事、つまり『未来』であるということがだんだんとわかってきた。
「目を閉じると、これから何が起こるかのかが、はっきりと見える」
友達や家族、先生などにそう言ってみたものの、誰も信じはしなかった。
ならば、実際に未来を予言してやろうと思った。
ある日の朝、いつもどおり母親に保育園まで送ってもらい、自分の教室へ入ると、早速咲翔は未来を見た。そして、その日これから何が起こるのかを友達に説明した。
「給食を食べてる時に、まさおの顔とか首とかが赤くなって、声もおかしくなる。先生がまさおのお母さんに電話して、まさおのお母さんが保育園に来て、先生がまさおのお母さんに何度も何度も謝ってる」
同じクラスの友達である、まさおくんに関する未来を予言した。
お昼になり、給食の準備が始まった。園児たちがお皿を持って列を作り、先生におかずをよそってもらうのである。ちなみに、ご飯は家から持ってきていた。
その日のメニューであるクリームシチューにエビが入っていたが、まさおくんはエビが苦手なので、先生にエビを入れないでほしいとお願いしたが、好き嫌いはよくないということで、わざと多めにエビを入れられた。
「手をあわせましょう!」
「はい!!」
「いただきます!」
「いただきます!!」
元気に食前の挨拶を済ませた後、みんなで給食を食べた。わいわいと楽しい時間を過ごしていたが、やがてその時がやってきた。
まさおくんが、自分の体に起きた異変を周囲に訴え始めたのである。
「顔がかゆい! 首もかゆい!」
顔と首が真っ赤になっていた。声もおかしい。
まさおくんは、単にエビが嫌いだというわけではなく、エビアレルギーを持っており、絶対にエビを食べてはいけない体質だったのだ。母親からもそう言われていたため、先生にもちゃんとエビは食べられないと伝えたのだが、先生の勝手な勘違いにより、不幸にもまさおくんはエビを食べるはめになってしまったのである。
その後、事情を聞いて保育園まで駆けつけたまさおくんの母親に対し、先生は何度も何度も頭を下げて、平謝りしていた。
こうして、咲翔が予言したとおりの未来が実現した。
「すげえ! さきとの言ったとおりだ!」
「さきとは超能力者なんじゃない?」
「さきとくん、すごい!」
「さきとの言ってたことはほんとだったんだ!」
友達はみんな、そんな風なことを言ってくれた。
やっと自分の言っていることを信じてもらえた。そして賞賛までしてくれた。ようやく自分のことを認めてもらえたようで、咲翔はとても嬉しかった。
だが、先生の反応だけは、子供たちのそれとはまったく異なるものであった。
まるで何か不気味なものでも見るような、できれば関わりたくないというような、重く冷たい視線を浴びせられてしまった。
その瞬間、咲翔は幼いながらも直感的に感じ取った。
「この力のことは、誰にも話してはいけないんだ……」
以来、咲翔は自らの持つその不思議な能力のことを人に話すことはなくなった。
幸い、子供の言ったことということもあり、咲翔の未来予知事件は、そのうち自然と忘れ去られていった。
小学校に入ってからも、未来が見えることは決して誰にも言うことはなかったが、能力は衰えることなく健在だった。
授業の内容も、テストの問題も、目を閉じると頭に浮かんで見えてしまう。友達と喧嘩したり、仲直りしたり、先生に怒られたり、親に怒られたり、公園で友達と遊んだり、友達の家でゲームをしたり……。そのような生活のひとつひとつが、あらかじめ見えてしまうのである。
といっても、この能力によって何かが起こるということもなく、彼の小学校生活は平々凡々に、日々淡々と過ぎていった。
勉強にもしっかりと取り組んだ。テストの問題が事前に見えたところで、それを理解することができないと問題は解けない。答案が返ってきて答え合わせをする未来を見ることもできたかもしれないが、真面目だったため、そんなことは決してしなかった。
体育は苦手だった。たとえ未来が見えるとしても、運動神経とは何の関係もなく、足が速くなるわけでも、ボールを上手に扱えるわけでもなかった。
唯一、ドッジボールではほんの少しだけ活躍することができた。未来を見ることで、決してボールに当たることがなかったからだ。
元々身長が低く、毎年毎年クラスの男子の中で一番小さかったため、どれだけボールを避け続けても、小さくてすばしっこい奴くらいにしか思われることはなく、未来視能力が周りにばれてしまうことはなかった。
だが、できるのは避けることだけで、上手くボールをキャッチしたり投げたりすることはできなかったため、やはりドッジボールも苦手だった。
このように、未来が見えたところで、わからないこと、できないことも山のようにある。未来視能力は、決して万能ではないのだ。未来が見える能力を羨ましがる人もいるかもしれないが、実際はいいことばかりではない。
その後無事に小学校を卒業し、近所の中学校へ進学した。
小学生の頃は、勉強するのが当たり前、馬鹿はみっともないという価値観が主流であったが、中学生になってからは、真面目すぎるのはダサい、勉強していない方がかっこいい、という、小学生時代とはまったく異なる価値観が出現したこともあって、中学二年生の頃からあまり勉強をしなくなった。だからといって、特にかっこよくなることもなかった。
部活はテニス部に入った。スポーツが苦手なので、本当は文科系の部活に入りたかったのだが、あまりいいのがなかったのでどうしようか迷っていたところ、「テニス部は楽」という噂を耳にし、テニス部に入ることを決めた。
楽だから入っただけで、テニスには一切興味はなく、26歳になった今でも、ルールはまったくわからない。
その後あっという間に時は過ぎ、いつしか受験生となっていた。志望校へ進学するため、中学三年生の秋頃から本格的に受験勉強を始めた。遅れを取り戻すのにだいぶ苦労したが、なんとか自分の志望する高校に無事合格することができた。
そんなこんなで中学校を卒業し、少し長めの春休みを迎えた。
正直なところ、自分にとっての小中学校生活は、あまり楽しいものではなかった。楽しかったことが一切なかったわけではないが、嫌なことの方が断然多かった。
なので、4月から始まる高校での生活は、楽しいものになってほしかった。
「高校こそは楽しく過ごしたい。人生で最高の三年間にしたい」
そんな期待を抱きながら、中学生でも高校生でもない、ぼんやりとした数週間を過ごしていた。
しかし、そんなささやかな未来への希望は、彼の持つその特殊な能力によって、ある日突然断ち切られてしまうのである。
それは、高校の入学式を数日後に控えたある日のことであった。
なんとなく未来を見てみた咲翔は、『今までにはなかったあるもの』がそこに存在していることに気がついた。
まだだいぶ遠くではあるが、未来空間のその先に、小さな暗闇が浮かんでいたのである。
あれが一体なのか、考えなくてもだいたいの見当はついた。しかし、考えたかった。考えることで、現実から目を背けたかったのである。
おそらく、あの暗闇が意味するものは、自分の未来の終焉、『死』だ。
今までの経験からして、おそらくあの暗闇との距離はおよそ10年ほどであろう。あと10年で、自分はあの暗闇に飲み込まれてしまう。
「あと10年で、俺は死んでしまうんだ……」
「自分は割と遠くない時期に死ぬ。それならば、残された人生を存分に楽しもう」
そう思える人もなかにはいるのかもしれないが、咲翔は違った。
どうせあと数年で終わってしまう人生、そんなもののために努力したり苦労したりするのなんてまっぴらごめんだ。そんなことをしたって、虚しくなるだけだ。
人は、未来が見えないから生きていけるのである。
未来が見えてしまえば、ましてやその未来すらもあと数年で終わってしまうとなれば、何をするのも億劫になったとしても、それほどおかしなことではないはずだ。
数日後、無事に高校へ入学したが、勉強は一切しなかった。授業中は先生の話を聞かずにボーッとして過ごし、テスト勉強もしなかったため、テストは赤点ばかり。クラスで自分1人だけが赤点だったこともあった。
期待していた高校での生活は、残念ながら特に楽しいものではなかった。小学校や中学校に比べると幾分かましだった気もするが、やはり嫌なことの方が多かった。学校へ行く気が起きなくなり、数週間、数ヶ月単位で学校を休むこともあった。
しかし、一応卒業はしておきたかったので、嫌々ながらも学校へ通い、なんとか卒業させてもらった。
その後については、先ほど紹介したとおりである。
高校卒業後、ニートになってだらだら過ごし、ニートに嫌気がさしたので大学へ進学し、一時期はそこそこ人生を楽しめていたものの、就活をせずに大学を卒業したため、再びニートになってしまった。
そしてあっという間に、『あの日』から10年の歳月が過ぎようとしていた。
あの暗闇は日を追うごとに大きくなり、やがて未来空間の地平線をすべて覆いつくすほど巨大なものとなってしまった。それはまるでブラックホールのようで、何もかもを吸い込んでしまうかのような絶望感をギラギラと放っている。
自分の死期が近づいてきている。そんな重い現実をいともたやすく受け入れられるほど咲翔は心が強いわけではなかった。やはり不安にはなる。未来が見えたところで、それは変わらない。
最近、死への不安からなのか、よく眠れなくなってきてしまった。寝つきが悪く、眠りも浅くなり、途中で何度も目が覚めてしまうのである。不眠に効くというサプリや漢方薬などを色々試してみたものの、まったく眠れるようにはならなかった。
眠れなくなっただけではなく、外出することすら怖くてできなくなってしまった。具体的に何が怖いのかは自分でもよくわからないし、思い切って外に出てみれば別になんともないのだが、家の中にいる時はとにかく外出が怖い。やがて、カーテンを開けたり、窓から外を見ることすら怖くてできなくなってしまった。
さすがにこのままではまずいので、思い切って近所の精神科へ行ってみることにした。診察してもらったところ、不眠症、強迫性障害と診断され、睡眠薬や抗うつ薬などを飲み始めたが、なかなか効かなかった。
薬を変えたり、薬の量を増やしていったり、違う系統の薬を飲んでみたりしたものの、やはり眠れるようにはならない。
通院し始めて半年ほどが経過した頃、まだよく眠れないということを先生に伝えると、先生は「ええー!?」ととても驚き、「どうしたもんかなあ」とだいぶ頭を悩ませているようだった。どうやら自分は、稀に見る極度の不眠症のようだった。
しかし、その後も薬の量を増やしていったところ、少しずつではあるが、だんだんと眠れるようになってきた。今でも寝つきは悪く、何度も目が覚めてしまうが、以前よりはだいぶましになった。
外出も、問題なくできるようになった。
そんなこんなで、現在は抗うつ薬と睡眠薬と精神安定剤を飲みながら暮らしている。
生活費は、宝くじで用意した。ロトロトという数字選択式宝くじで1000万円を当てたのだ。もちろん未来視能力を使った。これだけあれば、残り少ない人生、余裕を持って過ごせることだろう。
そして最近、またしても未来空間に異変が生じ始めた。未来の風景が、どんどんぼやけて見えるようになってきたのである。それはまるで視力が落ち、今まではっきりと見えていた景色がぼやけて見えるようになってしまった状態と似ていた。
元々は3日後あたりの未来までならはっきりと見えていたのだが、最近は当日の未来に関してですらぼやけるようになってしまった。メガネやコンタクトレンズなどがあればいいのが、あいにく未来空間にはそのような便利な道具は存在しない。
やがて未来の風景だけではなく、未来空間全体が、ぼやけたような、よどんだような状態になってしまった。かつての澄みきった空間とは、もはや程遠い。
この異変が一体どういう意味を持つのかはわからなかったが、たいして気にはならなかった。どうせ自分は、もうすぐ消え去ってしまうのだから。
きっと、このまま何も変わることなく、何も起こることなく、同じような日々が繰り返され、そしてある日、俺は死ぬ。それがどのような形で訪れるのかはわからないが、あれから10年近く経ち、暗闇はもう目の前まで迫って来ている。その日はそう遠くはない。
試しに今日はどんな日になるのか見てみようと思ったが、やめた。どうせ何も変わらない、いつもと同じ見慣れた景色が見えるだけだろう。
どんなに美しい景色でも、何度も見ていればきっとそのうち飽きる。ましてや美しくもなんともない平凡な景色など、一度見れば十分だ。どうせ今日も、何をするわけでもなく、何が起こるわけでもなく、いつもと同じように一日が終わってゆく。
漠然と、そう思っていた。
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