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序、月夜
夏の宵、虫の声に混じるいつもと違うさざめきが、有川瑞希をぴりっと緊張させる。風もなく、時間が止まったような蒸しっとした空気が重く感じた。
能舞台に続く渡り廊下には、和服に身を包んだ数人の大人たちが参列しており、朱色の明かりが非日常を照らす。中学一年生の瑞希もその中の一人だった。
薄青の着物をたすき掛け、濃紫の袴に白い足袋、はきなれない草履。本番前に衣装を着て練習した時よりもずっと心が引き締まる思いだ。
大人に混じっているのは瑞希だけではない。もう一人、中学一年生の女の子がいた。山吹花夜だ。花夜は瑞希のおさななじみ。白衣(びゃくい)に薄い羽織、深紅の袴。巫女装束を身にまとい、薄く化粧を施したおさななじみも、瑞希と同じく緊張しているのか何度も深呼吸を繰り返していた。
瑞希は照れてしまい、まだ花夜に話しかけられないでいた。とても衣装が似合っていたから。いつもの元気な花夜と違うし、気後れしてしまうのだった。
今宵は、ここ、花兎(はなう)村にある葉月(はづき)神社で行われる奉納舞の日だ。神社ではうさぎを神様として祀っていて、願いが叶う神社として隠れた人気があった。
願いうさぎの御守りは一番の人気だってローカルニュースで見たことがある。願いうさぎおみくじに、願いうさぎ根付け。どれもかわいいうさぎのイラストが描かれていて、花夜が言うには乙女心をくすぐる、みたいだ。
運が良ければ、野山を元気いっぱいに駆け回るうさぎたちに会うこともできた。
毎年夏休み前に開かれる奉納舞は、神様に捧げるための舞なのだと、教えてもらっている。
瑞希は篠笛担当に、花夜は舞手である『月の巫女』に選ばれた。毎年、花兎小学校の六年生から、笛の奏者と、月の舞を披露する巫女が一人ずつ選ばれるのだ。特に月の巫女は女子たちの憧れで、六年生による投票で決まる。見事、月の巫女には花夜が、そして篠笛奏者にはどういうわけか瑞希が選ばれてしまった。やりたかったわけではない。月の巫女候補に花夜が挙がった時、おさななじみである瑞希の名がたまたま挙がったというだけだった。
クラスメイトに何度冷やかされただろう。いまだにからかってくる奴もいる。思い出すだけでむすっとしてしまうけれど、今はそれよりも。
(花夜……やっぱり、なんか隠してる)
そわそわと落ち着かない様子の花夜。瑞希は感じていた。緊張だけではない。花夜は絶対に何かを瑞希に隠している。瑞希がそう気づいたのは、奉納舞の練習が始まった、四月のことだった。
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