酒を買いに来た少年

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酒を買いに来た少年

「だ・か・ら」  何百回も繰り返したあとの、極めて滑らかな口調で少年は訴えた。 「俺は未成年じゃないって、さっきから言っているだろう」  酒場の主人はじろりと、カウンターの上にかろうじて出ている幼い顔を見た。  眩いほどの黄金の髪と、深い青の瞳に、束の間目を止める。  どうみても、炭素系人型生命体の幼生――端的に言って、子ども、だった。  ふんと、鼻息が響いた。 「三軒隣のじいさんのところに行ってきな」  木で鼻をくくったような口調で主人はぴしゃりと言った。 「正しい文法を教えてもらえるぜ、坊や」 「ったく」  じれたように少年は金貨でカウンターをこつこつと叩いた。  アークトゥルス・グローネ金貨だ。  価格変動の激しい銀河系にあっては、信頼度№1の金貨だった。  が。  主人はちらりとこれ見よがしな少年の手元に視線を向けてから、グラスを磨くことに専念しはじめた。  少年は、カウンターを叩くのを止めた。 「なんで酒を売ってくれないんだよ」 「あんたが、未成年だからだ」  にべもない主人の言葉に、かちんと来たように、少年は鋭い眼光を向けた。  だが、何も言わず、何十年もグラスを磨き続けて来た、主人の淀みない動きを見つめる。  少年は頭脳をフル回転して、対策を立て続ける。  ふと、その表情が動いた。 「じゃあ、こうしよう」  明るい声になって、少年は言った。 「俺は頼まれて酒を買いに来たんだ。それなら、良いだろう?」  片頬だけで笑いながら、主人の顔を見守る。  主人は無言で緑の指紋ボードを、カウンターを滑らせて寄越した。 「なら、その頼まれた相手に、こいつにサインしてきてもらいな」  少年は瞬間、顔を歪めると、まるで触れると爆発するかのように、慎重にカウンターから身を引いた。  指紋ボード。  それは、銀河系で人物チェックに使われる装置で、パッドの下には、素晴らしい銀河帝国の科学技術の粋がこらされている。  右手でも左手でもボードに当てたとたん瞬時に登録された全銀河帝国民の資料と照会し、相手が何者であるかを教えてくれる。  大変便利、かつ脛に傷を持つものにとっては厄介なしろものだった。  へらっと、少年は笑った。 「一体いつから、銀河帝国はこんなに酒にうるさくなったんだ?」  ぎろり、と再び主人が少年を睨みつけた。 「口に気をつけな、坊主」  主人の手が、カウンターの上に置かれた。 「聖帝セルグラさまを、非難しているととられるぜ」  すっと、少年の顔から笑いが消えた。 「なるほどね」  聖帝セルグラ。  現銀河帝国皇帝の名を出して、主人は頑なに少年の申し出を拒んでいた。  絶対的な権力をもって、銀河帝国を支配する皇帝は、どうやら未成年の飲酒にことのほかこだわりがあるらしい。厳罰で処すと、公言してはばからなかった。  取りつく島もない。  小さく少年は笑った。  ぴんっと金貨をはじいて放り投げると、少年は優雅に左手で掴み取る。 「邪魔したな」  カウンターに指紋ボードを置いたまま、少年は主人に背を向けて歩き出した。  主人は、常套句である、又のおいでを、とも言わなかったし、おととい来やがれ、とも言わなかった。  無言でその背中を見送っているだけだった。  酒場を出ると、そこは恒星ギャガの恵みをふんだんにうけ、灼熱の大地となった惑星ローハーの赤茶けた地面が広がっていた。 「ったく。やってらんねえぜ」  少年はぶつぶつ呟きながら、陽射しを気にする様子もなく、真っ直ぐ歩き出した。 「あのくそオヤジ。頭が固いったらありゃしねえ」
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