やさしいせかい

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 その後、色々と学んだ。  まず、あの人はエルーという名だそうだ。レントの婚約者であり、二人であの研究所に勤めている。  エルーに連れられて、俺は外に出た。  青い空。白い雲。緑の植物。  どれもこれも、しばらく見ていないものばかりである。  この時代のロボットも見た。  人間の代わりに掃除をするもの、料理をするもの、物を運ぶもの……エトセトラ。  俺のような人型ロボットも見たが、いかにも機械といったような、カクカクした動きに、抑揚のない音声だった。 「何か、約束を思い出せそう?」  エルーはよく聞いてくるが、俺は何も思い出せない。  あの時流した液体についても、よくわかっていない。  レントが成分を調べた結果、水であることはわかったが、何がきっかけで流れるのかわからない。  この時代の技術をもってしてもわからない俺の体は、レントによって研究されることになった。  レントがデータをとり、分析している間、俺は時間を持て余す。  だから俺は、エルーの手伝いをしていた。 「いつもありがとうね」  研究ばかりしているレントを支えるエルー。一人で研究以外のことを全てやっている。  掃除から精算、電話応対などとても仕事が多い。一人でやっていたら、体を壊すのではないかというほどの仕事量だ。  その一部を俺が受け持つことで、少しでもエルーの手助けになればと、手伝いを申し出た。出来ることは多くないけど、エルーは笑ってくれた。  平和な生活を送り、一年、また一年と過ぎていったある日、異変は起こる。  いつも通りに買い出しへ行った帰り道。突如、空が黒く染まった。  どうしたのかと町の人が見上げた空に大きな黒い穴。  俺はそれのデータを持っている。 「全員! 隠れて!」  俺の声も空しく、上空からやって来た生物――無者によって次々に人が捉えられていく。  得体の知れない生き物に、人々は悲鳴をあげて逃げ回る。  だが、それは奴にとって好都合のようだった。  屋外へ出てくれば、捉えやすいのだ。  走って逃げる人を、無者から出た黒い影のようなもので捉えていく。 「あいつは無者だ! 全員、何かで体温を誤魔化せ!」  俺の声が届くのかはわからない。  でも、聞こえた人もいるはずだ。  誤魔化す方法は人それぞれ。  冷蔵庫に入ろうとする人、水の中に飛び込む人……無者がどの程度の温度を認識して捕食しているのか不明でも、効果はあったようだ。  なぜなら無者の黒い影の勢いが弱まったから。  その間に俺は研究所へ大急ぎで向かった。 「よかった、無事だったか!」  研究所に入るなりすぐ、レントが迎えてくれた。  その隣にはエルーが、酷く怯えた顔で小さくなっている。 「まさか無者が現れるなんて予想外だった。町の様子はどうだ?」  俺は見たままの様子を伝える。  とても悲惨な状況であると。 「そうか……俺たちもすぐに――」  レントの言葉を遮るかのように、研究所の扉が無者の影によって割られた。 「早く逃げて!」  体温を持たない俺が、狙われることはない。  影が狙うのは人間、レントとエルーだ。  伸びてきた影からレントを突き飛ばし、影とレントの間に俺が立つ。  するとレントを狙っていた影は、ピタリと動きを止める。 「いいから、早く!」  転んだレントだったが、すぐに立ち上がる。  だが―― 「きゃぁぁぁ!」  エルーの悲鳴。 「やめろぉぉぉ!」  続くレントの叫び声。  その声の方へ目を向けると、足に影が絡みついたエルー、そして離すものかとエルーを抱きしめるレントの姿があった。  無者も馬鹿ではない。  別の獲物がいるのなら、まとめて捕らえようと試みる。  無者の影は、レントにも伸びてきていた。  このままでは、二人とも捕食される。  ロボットの俺に出来ることは何か、必死だった。 「これだっ!」  俺は研究所入口奥の壁際へ走った。  そこにあるのは、緊急用のボタン。エル―からこのボタンは、もしものときのためのスプリンクラー起動ボタンだと聞いている。  そのボタンを、可能性にかけて強く押した。  すると、すぐに上から冷たい水が放たれる。さっき町で見たように、水によって体温が下がれば無者も退くと考えた。  俺のその予想は的中し、無者の影はするすると引いていく。 「早く、奥へ」 「ああ……」  影が離れた隙をついて、俺たちは奥へと逃げ込んだ。 「エルー……エルー……!」  エル―を背負ったレントとともに通路を駆け、できるだけ研究所の奥の部屋へ向かった。  一番奥の部屋。休憩室として使う部屋へ入る。  そして、レントはソファーにエルーを横たわらせる。 「エ、ルー……?」  エルーの左足には、無者によってつけられた大きな傷があった。  肉が見えるほどにえぐられ、すぐにソファーを赤く染める。  レントは大慌てで、止血し、手当をし始める。 「あ……大丈夫、よ。心配しないで」  弱弱しいエルーの声。 「カルエト! エルーの手を握っていてくれないか!? 俺は傷をふさぐ。これでも知識はあるんだ。俺がやらなきゃ。俺が……」  レントに言われるがまま、俺はエルーの手を握った。  ロボットの俺の手は冷たいだろう。  俺の手が、エルーの血によって赤くなる。  その途端、何かが体中を走った。 「うぁ……お、俺、は……」  赤い血。  弱弱しい声。  それがトリガーになって、俺の記憶領域をこじ開けた。
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