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白雛罌粟
嗅ぎ慣れた柔らかい風の匂い。
それに乗る、植物の香り。
ふと、鼻腔くすぐる懐かしい香りは、私のことを目の前に大きな屋敷に入れと言わんばかりに、ゆっくりと門が開かれる。
そのような光景に、私は憐れんだ視線を向けながらも、厚い原稿などが入ったバックを片手に、私はその大きな屋敷の中に入る。
不法侵入?
いや、違う。不法侵入ではない。きちんと許可を取っている。
例えそれが誰もいない屋敷であろうとも、私には入ってもよいという許可を得ている。
雑草が生え、レンガが浮いたり死んだりしている、管理されていない舗装路を歩いていく中、野生のように群生している多くの植物が名に入る。
誰にも管理されていないこの状況に、自己進化と成長を遂げた植物たちは一つの生態系を生み出しており、ここは既に一つの世界として成立されていた。
日本という国で、外来種を拒む世界にとって、この自己進化の結末は、新たな世界の始まり、または開拓とでもいうのだろうか?
または、あの人たちの言葉からとると、発見というのだろうか?
……まぁ、よい。
この風景はあの人たちが求めた世界の在り方というのなら、私はただ仮初の満足で認めるだけだ。
たとえ否定されようとも、私は結末も結果も答えも出していない。
だから、曖昧で良いはずだ。仮初で、中途半端で、なんでもかんでも許される。
それが私の強みだからだ。
とはいえ、人には強みがあるのなら弱さだって必要だろう。
それが今だ。
がたがたの舗装路を歩いていく中、一つのテーブルが目に入る。
周りには埃がたまり、ボロボロで植物のツタが這っているのに、そのテーブルの付近にはまるで何も近づかせないように植物のツタも這ってはおらず、まるで避けるかのように、綺麗な空間が広がっていた。
雑草一つも生えず、ツタも這っておらず、埃一つも乗っていなかった。
不思議なものだ。
本当に、不思議なものだ。
目にしている光景に、私はいつもと同じように、何も思わず感動も驚きも抱かずにただ静かに準備されている椅子に座る。
するとバックの中から小さなティーセットを取り出す。
高級そうなアンティークのカップを置き、水筒の中から暖かい紅茶を入れる。
「また呼んでくれてありがとう」
私がそう言うと、どういたしまして、と目の前に座る彼にカップを差し出す。
だが彼は受け取らない。
しょうがない、と思い、彼の前にカップをソーサラーと共に、彼の前に置くと、私もカップとソーサラーを取り出し、カップの中に紅茶を注ぎ入れる。
紅茶を注ぎ終えると、私は水稲の二をきちんと閉めて、バックの中にへと戻す。
「最近どうだい?」
私がそう彼に問うと、彼はぼちぼちかなと答えながら横に広がっている庭のほうを見る。
だろうな。
彼にとってはぼちぼちだろう。
私は忙しくて大変だ。今でもこうして、原稿のチェックをしなければ、締め切りに間に合うかさえ疑問だ。
だが今は忙しくても、この時間だけは忘れられない。
横に広がる大庭園。
ほかの植物が生存競争をしている中、私たち、いや、あの人たちが必死に守った一つの大庭園。
一つの植物しか植えられていない、停滞した世界。平和という凍り止まった世界を象徴するような庭園。
そこに広がるたった一つの品種。
白い雛罌粟が広がっており、他の植物や雑種は目に入らない。
『美しい』
そんなことを抱いてしまうほど、目の前に広がる世界は綺麗に見える。
それは憎たらしいほどに、綺麗な心を持てない私は、この綺麗な世界を見てしまうたびに、嫉妬をしてしまう。
だが私たちが必死に守った世界だ。
あの人たちが守った世界。
しけた顔で見れるはずがない。
「この風景を見ると、いつも思うよ。私たちがいろんな馬鹿をやってきたことを」
大学の研究所で馬鹿みたいに研究したり、高校時代は夏休みを全て犠牲にして山にこもったり、時には学生らしからぬ命がけの行為をして、警察にも怒られた時だってあるっけ、一時の青春を思い出すたびに、私はあの頃がまぶしく見える。
それは大人になってからも変わらない。
研究から逃げ出した私のことを忘れるわけでもなく、いつでも心配してくれた。
気にしてくれた。私の本心に気づいていたのかわからないけど、私の本心を悟っていたやつもいた。
そのせいか、いつもこの時期になると、ここでお茶を飲んだ。
苦しい時も、悲しい時も、笑った時も、いつの日も、ここでお茶を飲んだ。
ここに来れば、思い出せるから。
例え、未知の諸島に引き込まれた彼だって、私のことを心配してくれるだろうし、毎年呼んでくれるここの女主人だって、彼のことを心配しているはず。それらに見習って私たちも、この屋敷を必死に守り、あの時の世界を停滞することを選んだ。
ここだけを守るために、ここ以外の世界を全て生存競争させようとした私たち。
その結果が碌な結末じゃないとわかっていたけど、あの人たちの決断は強かったよね。
私も、少しは否定したけど、あの人たちの耳には何も聞こえなかったのだろう。いや、聞こえていたけど、自身の全盛を信じて進んだだけだった。
そのような光景に私は、涙を流した時だってあるだろうけど、今はそうは思わない。
涙を流したってなにも思わない。
この一面を守るためなら、犠牲にしたあの人たちは私は忘れないし、忘れるつもりもない。
本当に、なんというべきか余計な業を背負ってしまったものだと思ってしまう。
「そうと思わない?」
そう言って私は彼に問いかけてみるが、彼は静かに首を振る。
そうか、私は静かに答えると、緩やかな風が吹く。
花は香る、植物が揺れる、葉は体を揺らす。
私の言葉は失われ、一枚の花弁が彼のティーカップの中に入っていく。
ゆらりゆらりと揺れ、その紅茶の水面で揺れ浮かび続ける。
「ははっ、これは面白い」
原稿を静かにチェックを入れながら、私は彼のことを笑う。
彼はいったいどのような表情をしているのかわからないが、私は笑みは止まらない。
まったく、飲まないからそうなるのだと、私は口にしておいてあったティーカップに口をつける。
だがどこか面白くて、たまらない。
つまらなくとも、面白いのだ。
それはもう、あの時に回帰したような感じで。
懐かしく思い、悲しく思うのだ。
尊くとも、憐みとも、美しむとも、色んな感情がひっきりなしにかき乱してくる。
「はぁ、本当に嫌な役目だよ」
目の前の光景を見せられ、過去を思い出す。
それに目の前の花はあまり好きではない。
白い雛罌粟なんて、私にあいやしないし、何より、あの人たちが勝手に植えている植物のせいで、女主人が本来込めている意味がなくなりかけているような気がする。
「はぁ、そんなことを言ってしまうと、あの人たちは大丈夫とか言うんだろうな」
頭に浮かぶ。女主人の優しい笑顔が浮かび上がる。だが、事実しょうがないと思うし、私の勝手で借りている身。
のはずなのに、今では簡単に入れる関係。
本当に、意味が分からなくなる。
だが、しょうがないと、納得している。
勝手だが、しょうがない。事実なら、なおさら、
「……私はもう行くよ」
空になったカップをソーサラーの上に置くと、私は手荷物原稿に大体のチェックを入れ終える。
すると、私は、無くなった紅茶を合図にして、ここを出ていくサインを示す。
静かに荷物をまとめる私に、彼はそうかと呟くが、その瞳には一時の別れに対する哀愁の瞳を抱いているわけではなく、どこか慈愛のような瞳を向けてくるが、そのような子王位をしたところで私の選択は変えられない。
もう遅い、と私は小さくつぶやくと、そのバックの中にカップやソーサラー、原稿を詰め込むと、私はそのまま席を立った。
「じゃあな」
私がそう静かに告げ、庭園を抜け、その大きな屋敷を抜けた。
せいぜい、ゆっくりと眠ると良いよ。
その時、再び優しい風が吹いた。
私のことを出迎えるように。
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