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1.
お世話になっている先輩がいる。
役者仲間で、二つ上の亮介という人だ。
舞台を中心に活動する太一と何度か共演経験があり、以来親しくしてもらっている。
その日太一は仕事を終えて、定食屋で一人でご飯を食べていた。食べながら行儀悪くスマホをいじっていたら、その亮介から電話が掛かってきた。
「もしもし」
これまた行儀悪く食べながら電話に出てしまい、さすがにまずいと思って立ち上がり、口をもぐもぐさせながらも店の外に出た。
「どしたんすか」
あらためて尋ねると、相手は前置きもなく話した。
『渋谷、渋谷。店の場所あとで送るから、ちょっと顔出して』
「あっ、はい」
太一が返事したところで、パツンと電話は切れる。
この手の呼び出しはよくあることで、太一は特に気にしていない。亮介を中心に同世代の役者やスタッフが何人か集まって飲んでいるところへ、ときどき太一も呼ばれるのだ。メンバーはそのときによって違い、来れる人だけ集まるという感じ。
太一はその中でもいちばん年下なのでフットワークも軽く、呼ばれたらたいていは顔を出す。頭から誘われるときもあれば、もうひととおり盛り上がったあとで、太一が到着する頃には解散になってしまうこともある。
それでも、人に会うのが好きなので、少しでも顔を見て話せるなら参加したいと思うから、こうして太一は今日も、呼び出された渋谷に向かっていた。
「お疲れっす」
初めて行く店で、少し迷った。小ぎれいな和食の居酒屋で、奥の個室に通される。なんだか高そうな店だなと思ったが、集まっていたメンバーの顔を見て納得した。
「ご無沙汰してます。前回はお世話になりました」
「いや、こちらこそご無沙汰」
以前参加した芝居の演出家が、上座に座っているのが見えた。太一はまずその人に挨拶して、空いた席に座ろうとする。8人掛けのテーブルの7席が埋まっていて、いちばん下座の端の椅子に座ろうとしたら、その隣の人がスッと立ち上がり、「ここどうぞ」と言った。
「や、いいっすよおれ、ここで」
「まあそう言わず。せっかくですから。ほら料理もまだたくさんあるし」
などと半ば強引にその席に座らされた。
「すんません」
と、席を空けてくれた人の顔をそこで初めて見る。
「……」
しっかりと目が合った。が。
(……誰?)
太一はカシャカシャと記憶のアルバムをめくる。どの芝居に出てた人だろう? まさか共演したことはあるまい、さすがにこんなイケメン忘れるはずないし。
にっこり笑顔で会釈して、そっと目線をそらした。
そう。太一に席を譲った隣の男、かなりのイケメンだ。
(かっこよ! かっこいい! やば!)
心のなかで叫んでいるが、顔は平静を装った。
「太一、ビールでいい?」
「あ、大丈夫です、自分で」
反対隣に座っていたのは、先ほど太一を呼びつけた亮介だ。ちょうど店員が来て、自分の飲み物と、周りにも声を掛けて、いくつかの追加オーダーをした。
かっこよくて、名前もわからない隣の人は、その向かいに座る別の役者仲間と楽しそうに会話をしていたから、太一はおとなしく亮介としゃべった。
この場にいる他のメンツは全員顔も名前もわかるのに、この人だけがわからない。直接尋ねるのも失礼だろうと思い、最後まで聞けないままだった。
ただ、今日は演出家もいるし、美術スタッフも一人いたから、もしかしたらスタッフかもしれない、と思った。でもこんなにかっこいいスタッフがいるだろうか。やはり、役者じゃないだろうか。
太一は小一時間ほど楽しくおしゃべりしてお酒を飲んだが、自分の右側に座る人のことを、ずっと気にかけた一時間だった。
少しだけ、料理を取り分けるときに声を掛けた以外、話す機会もないままだった。
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