5 エンドレスNIGHTMARE

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5 エンドレスNIGHTMARE

 頰をかきながら目を覚ます。顔を寄せるウツツのひげが触れているのだ。枕に頭をのせ,大の字に足を広げて眠りこけている。身を起こした僕に気づき,青い瞳を覗かせる。 「お行儀が悪いぞ。人間の空告はそんなじゃなかった」  大欠伸をして目を閉じたウツツの喉を解し,おやすみを言った。  汗みどろの体に冷水を浴びせ,深夜のコンビニへ買い物に出かけた。  店裏で男女が何か言い争っている。ただならぬ雰囲気だ。男の声が耳に届く。泣いているらしい。「薬に頼るしかなかったんです。昔の悪さを夢に見て,どうしても眠れないから――」  関わらないほうがいい。通り過ぎようとしたが,街灯に照らし出された女の姿に釘づけになった――厚底ブーツとロングコート。 「おじさん,じろじろ見てんじゃないわよ!」肩で切り揃えた髪を軽やかに弾ませる。間違いなく悪夢に見た,あの少女だった。 「え……噓,もしかして中学の先生とか?」顔前で両手をあわせる。「ちゃんと学校,行きますから」 「――君,今日開催される『煌めきサマーフェア』に行くつもりだろ」 「ええっ?――うん,キュロリンが来るから――演歌歌手の」 「絶対,駄目だ。行ってはいけない――僕はちゃんと伝えたからね」そう告げて立ち去ろうとすれば,誰かに行く手を阻まれた。少女と話していた男だ。「お,おまえ,結夢だよな。俺だよ,間部(かんべ)だよ」  咄嗟に身構えた。  名前なんぞ忘れた。だが,ぶよぶよ贅肉ばかりの図体に,小さな坊主頭をのせた醜男(ぶおとこ)の存在は覚えている――薄汚い巨体を重しにして空告を身動きさせなくした。  唐突に醜男が土下座する。「許してもらおうなんて思っちゃいない。でも,おまえ,会ってくれないから1回も謝れなかった。済まなかった,あんなことをして」額の割れる音を聞いた。「本当に申し訳ありませんでした」 「この人なの?――あんたが悪さしたっていうのは?」少女は間部の様子を見守っていたが,やがて隣に並んで手をついた。「うちの者が済みませんでした」 「やめてくれよ,君にまで謝って欲しくない。君には何度も助けてもらったんだから」 「へ?……」口を半開きする少女を立たせた。「今更謝ってもらっても空告が戻ってくるわけじゃない」僕は逃げるように,その場をあとにした。  あいつらだけの責任じゃない。僕が逃げたとき,空告は絶望的な表情をした。あのとき一切の気力を失い,抵抗することを諦めたのだ。空告は僕を助けるために駆けつけたのに,僕は空告を身代わりにして1人だけ逃げた。一緒に戦っていれば,たとえ2人ともぼろぼろになったとしても空告だけが行方不明になることはなかった。15年も独りぼっちで空告は何処に眠っているのだろう…… 「だ,大丈夫か?……」  電柱のもとに蹲る僕に,間部が声をかけた。 「まだ用があるのか」 「俺……口止めされてて警察に話してないことがあるんだ」思いつめた顔をしている。 「口止めって……あいつに?」 「そう,羅州(らしゅう)に絶対口外するなって命令された。あいつは組長の息子だし,みんな逆らうのが恐いから言うとおりにするしかなかった――でも,でもな,俺ら,空告の服を脱がしただけで何もしなかったよ。下着はつけたままだったし,勿論殺して埋めたりなんかしてないよ!」  暴力団トップの息子をボスとする不良グループが1人の少年を凌辱したうえ殺害して森林に埋めたが,遺体は発見に至っていない――当時の新聞に躍った文字が脳裏に蘇る。  殺害状況の供述が少年によってまちまちであり,森林を隈なく掘り起こしても遺体が見つからなかったことから,狂言も疑われたが,少年全員の全面自供が決め手となって殺害事件という判断が下された。 「本当に殺してないんだよ。でも俺らがあんなことしなければ,空告がいなくなることもなかっただろ。みんな言ってたよ――別の変質者が空告を連れ去ったんだって。だから俺,どうしていいか分かんなくてさ。俺は院から出られて自由にやってんのに,空告は未だに見つからないなんて――本当にごめん,申し訳ありません」また土下座する。 「何で,羅州は,殺して埋めたなんて噓を,おまえらに言わせたんだよ」 「分かんないよ。自分が一番重い罪になんのにさ――でも言うとおりにしなきゃ()るって脅されたから仕方なかった。俺なんて院に入るまで羅州組の人間に監視されてたんだぜ。ビビったよ――みんな院を出てからは大人しくしてるけど,あいつはヤバイことばっかやって今も刑務所に入ってる」  闇夜を劈く大音響が降ってわいた。パトカーのサイレンだ。間部がびくりと痙攣を起こす。「お,俺,もう行くよ――何処に住んでるか聞いていい?」  表情に答えが出た。 「だ,だよな……携帯の番号,教えてくれよ」  沈黙が流れる。 「だ,だよな……俺な,今,富士見(ふじみ)組で世話になってんだ。さっきのお嬢のボディガードさせてもらってる」 「だったら早く戻って身辺警護しなよ。『煌めきサマーフェア』には絶対行かせるな――銃の乱射事件が起きるから」 「まじか!」小鼻をふくらませる。 「早く行けって――」 「おお……また連絡くれよな」ドタバタと震動をあげながら走り出したが,すぐに振り返る。「いい加減なこと言うなって怒るかもしれないけど――生きてる気がするんだ,俺――空告がどっかでさ――ごめん!」 「待てよ――」  汗にてかる顔面を怖ずおずとむける。「ごめん,無神経だった?」 「違うんだ,そうじゃなくて――薬,やめろ。多分,空告はおまえのことなんか覚えちゃいない。だから寝るときくらい忘れていいよ――じゃあな,おやすみ」  噎び泣く声に見送られて脇道へと入った。  空告が生きているなら,どうして姿を現さない? 弟に愛想をつかしたせいなのか?……いや,考えるのはよそう。全て願望に過ぎない。  着がえたばかりのシャツが既にぐっしょり湿っている。まるで悪夢から目覚めたときのようだ。もしかして間部との再会も夢だったのだろうか……  時折,夢と現との境界線が分からなくなる。今の自分は一体どちらの世界の自分なのだろう。もしかしたら摂食したり排泄したりの生きるために繰り返される日常的行為の時間さえ実は夢の一端なのかもしれない。現実を生きていると信じる僕がこの瞬間も夢に彷徨っているとしたら……ああ,どんなに喜ばしいことだろう。現実は悪夢であって目を覚ませば空告がいる。どうかした? いつもながら顔が恐いぞ――とか何とか毒を吐きつつ例の喉の詰まったような笑い声をたてる。  そんな目覚めをとりもどすことができるなら,実際の悪夢でも,現実という悪夢でも,果てしない悪夢のなかでどんな試練にも耐えてみせよう!  分譲住宅の連なる細道を延々と歩き続けていた。アパートの方角がつかめない。空に星もなく周囲に目印となるものもない。引き返したほうが無難だろう。だが,そのつもりはない。 「ネヨン!」鉄琴を打ち鳴らすような澄んだ高音の声が響き渡る。真っ白な丸い体が暗闇に浮かびあがり,ふさふさとした尻尾が魔物みたいにくねった。  歓喜して名前を呼べば,視線をむけたまま駆け出した。「早く,早く! こっちだよ!」  僕はウツツのあとを追いかけた。
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