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「さあ、どうぞ、まずはごゆるりと荷をおほどき下さい」
ほどくほどの荷はないが、私は一礼のうえ、部屋へと入った。手前に便所と風呂、それから六畳と四畳半が続き、窓際にテーブルと椅子がしつらえてある。典型的な田舎の温泉宿だ。
「お食事は6時頃お持ち差し上げて問題ございませんでしょうか?」
「はい。では6時前には散歩から戻るようにしますね」
それから私は百瀬さんに丁重に礼を述べ、部屋をひきとってもらった。
「ふう、どうも調子が狂う」
私はひとりごちた。それもそうだ。東京で暮らす26歳の若者にとって、この場所は異質だ。
部屋をぐるりと観察してみた。とはいえ、とりとめて特徴のない凡庸な部屋だ。手持無沙汰の私は早速、近所を散策するために部屋をでた。
まずは華厳院を訪れてみよう。私は意気揚々と再び一本道の傾斜を進むことにした。春の野鳥たちの囀り、頬を撫でる心地好い風、新緑の芳香に満ちた山道――私は自然と速足となった。
山へと続く一本道は一応舗装されている。しかし、ところどころアスファルトが剥げて土がむき出しになっている。山の名前は正式には清妙山というらしい。
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