5人が本棚に入れています
本棚に追加
あの日は、本当に偶然だった。
久しぶりの一人旅行。久しぶりの電車旅。当てのない旅。街中にはちらほらと親子連れ。もう小学生は夏休みか。駅前の並木道は、今を懸命に生きるアブラゼミの大合唱が響いていた。朝はうまく電車が来て、1時間に1本の通勤快速に飛び乗れた。通勤客に混じって、一人大荷物を抱えた俺。時々冷たい視線を感じたが、気づかないふりしてイヤホンのボリュームを上げた。「次は、広小島、広小島です。ご乗車ありがとうございました。…」淡々と到着駅を告げるアナウンスを聞きながら、思い立ってスマホを取り出した。「あの町に行ってみるか…」乗り換えを検索し、通勤客に混じって駅を降りた。無機質な人波が、一斉にホームを下っていく。「やれやれ。ちょっと疲れたな。」そんなことを思いながら、もう着ることのないスーツ姿の波を見送った。どうせ当てのない旅。あの町で過ごした夏を思い出しながら、人気の少ないホームへと向かった。
初めは満員に近い電車も、景色の移ろいと共に人が減っていった。人が少なくなった車内は、思いのほか冷房が効いている。風があまり当たらないところを見つけて座り、車窓を眺めた。照り付ける日差しは目が痛くなるほどで、外を見ているのが少しつらい。昔のことを思い出しながら、瀬戸内海に浮かぶ島々を眺めていた。もう何年になるのかな。この町に行くのは久しぶりだ……当時の写真が残っていないかとスマホをおもむろに取り出した。メッセージの通知が3件増えている。どうせ大したことない用件だろうと、写真を開いて過去をさかのぼった。
まぶしいくらいの笑顔、夜のキャンプ場でのバーベキュー、大学の卒業式後の居酒屋での写真、初めて会社に行った日の写真……そうか、ちょうどスマホを変えたころだったっけ。写真の履歴は3年前の12月17日で止まっている。あと1カ月前のものも残っていれば、あの日の写真に会えたかもしれないのに。「チッ」軽く舌打ちして、メッセージの通知を開いた。「お客様だけのご案内です!」というコピペ丸出しの広告メール、友達からの合コンの誘い、親からの小言を読み飛ばし、スマホの画面を閉じた。目的の駅が近づいてくる。だけど不思議なもので、急に行く気がしなくなってきた。行ったところでどうなるってわけじゃない。あの人にはもう会わないと決めていた。就職と同時にあの町からは出ているはず。今行っても会うことはないんだけど……なんだか近づきたくないな。別にどうってことないんだけど……何とも言えない気持ちを抱えながら、電車の揺れに身を任せていた。
最初のコメントを投稿しよう!