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俺とアイツの七日間
燃えるように忙しい一週間の終焉を告げる神の日⋯⋯金曜日。 人々はそれに辿り着くために奮起し、日々の苦痛を耐えていく。
そんな金曜日。 部屋の中で呻き続ける男がいた。
「あ〜。 ⋯⋯金がねぇ」
その男⋯⋯俺はそう呟きながら、ろくな手入れもされずに乱雑に物が置かれた部屋をゴロゴロと転がりながら移動して⋯⋯部屋の中では異質で、やけに小綺麗なスペースの前に鎮座した。
「⋯⋯はー。 楽に金が手に入らねえかな? なんで人間は働く必要があるんだよ⋯⋯。 このクソみてぇな社会から脱却してえよ⋯⋯」
ぶつぶつと呟きながら、俺は小机の上に置かれたパソコンを起動させる。 耳慣れた起動音が耳に届くと同時にカーソルを右上に移動させてひとつのゲームのアイコンをクリックした。
この一週間、仕事が忙しすぎてろくに開くことすらできなかったゲームである。
「へへっ⋯⋯これだよ。 これ」
目の前に表示された画面いっぱいの黒画面にニヤケ顔が止まらない。
俺が開いているのは「梅雨ハザード」と呼ばれるシューティングゲームだ。 このゲームはタイトル通り、梅雨災害から自国を守りつつ、他国を攻め落として領地を拡大していくMMORPGだ。
サービスが開始してから早いもので五年ほどが経過しているが、それでもユーザーが離れることの無い、俗に言う神ゲーというものである。
「うわっ⋯⋯半壊状態じゃねぇか⋯⋯。 やっぱり一週間もログインしてないとこうなるか⋯⋯」
俺は変わり果てた自分の国家を見つめて呆然とする。
ある程度の覚悟はしていたが、いざ実際に目の当たりにするとやるせない気持ちになるものだ。
俺はやれやれとため息を吐きながら、国家の復興作業に取り組もうと思ってマウスに強く手をかけたその時⋯⋯
「すいませーん。 宅急便です!」
「⋯⋯お! ⋯⋯ようやく来たのか?」
狭い部屋の中に響き渡るインターホンの音。 俺はその音に脊髄反射で反応して足早に向かう。
俺が待ち望むものとは、先日の「梅雨ハザード」の日本大会で上位百位以内に入ったものに送られるゲームキャラクターのフィギュアセットだ。
まだ見ぬそれに心躍らせながら玄関を開く俺。
そこには緑の制服に身を包んだ見慣れた宅配企業の配達員が立っていた。
「平沼琴雪さん、ですか? 印鑑お願いします」
配達員が手に持った受け取り証明書を指さしながらそう言った。
俺は印鑑を取り出してそこに印を押す。
彼が台座に乗せて運んでいる大きなダンボール箱を見て、俺は自分の予想を確信していた。
「はーい。 こちらが配達の荷物となります。 失礼しました!」
「⋯⋯あれ?」
しかし、そのダンボール箱を受け取った俺は配達員が去った玄関の前で、そのあまりの重さに首を傾げていた。
⋯⋯フィギュアにしてはあまりに重すぎる。
それこそ、実家から時たま送られるリンゴの詰め合わせほどの重量がそこにはあった。
「⋯⋯まぁいい。 とりあえず⋯⋯開けてみるか」
荷物の送り主が「梅雨ハザード」の制作会社であることを不審にも思いながら、俺はダンボール箱を開封していく。
「⋯⋯? なんだ?」
箱いっぱいに詰め込まれた何かを俺が覗き込もうとしたその時⋯⋯
「⋯⋯目的地への到着を確認。 システムオールクリア。 起動致します」
「⋯⋯は? うぉぉぉぉ!」
何やら冷淡な声が響いたかと思うと、箱の中からガタガタと動くような音が聞こえて、脊髄反射で箱から遠ざかる。
「初めまして、私は試作品829です。 よろしくお願いします」
「⋯⋯はえ?」
俺は自分でも間抜けだと思う程の返答を目の前の女に返す。
その女は一糸まとわぬ姿でその美しい肢体を惜しげも無く晒している。 要所は彼女の長い銀髪が何とか隠しているが、寧ろそれが逆に扇情を煽っているのだった。
「平沼
ひらぬま
琴雪
こゆき
。 いえ⋯⋯マスター」
目のやり場に戸惑って視線をキョロキョロと巡らせていると、女の両手を縛る手錠に気がついた。
⋯⋯あれは一体何なのだろうか?
最もそんなことより気にするべき現状が、目の前にあるのだが。
「⋯⋯貴方にお願いがあるのです。 私を⋯⋯この呪縛から解き放ってください」
小さな金属音を立てながら、俺にそう言った女。
これが、俺とハヅキとの初めての出会いであった。
「⋯⋯えっと? ちょっと⋯⋯待ってください?」
「どうしたのでしょうか?」
試作品とか呪縛とかはよく分からないが⋯⋯とりあえず言いたいことがひとつある⋯⋯
「えーっと⋯⋯その。 何と言うか⋯⋯」
「?」
チラチラと目配せをして女を見るが、そいつが俺の真意に気がつく様子はない。
⋯⋯くっそ鈍いやつだ。
俺がどうするものかと考えていたその時、女がおもむろに口を開く⋯⋯
「⋯⋯マスターの欲情を感知。 着衣を適当と判断しました」
「⋯⋯は?」
右手を振った女の身体を眩い光が包んだかと思うと、次の瞬間には彼女の身体はピッチリとしたボディースーツに包まれていた。
⋯⋯手品師もびっくりのその早着替えに開いた口が塞がらない。
先程、何やら失礼なことを言われた様な気がしたがそんなことはどうでも良かった。
「⋯⋯お、お前は?」
「⋯⋯?」
俺が恐る恐ると言った様子で女に問いかけると、彼女は何のことかと言わんばかりに首を傾げながら⋯⋯
「先程も申し上げましたが⋯⋯私は試作品829。 貴方の相棒です。 ⋯⋯よろしくお願いしますマスター」
ピッタリ九十度。 一流ホテルマン並の鮮やかな姿勢のままに、女はそう言った。
これが俺と⋯⋯俺の一
・
週
・
間
・
の
・
相棒であるハヅキとの、初めての出会いであった。
―――
小さな陽光がカーテンの隙間から差し込み、俺の身体に当たっていることに気がつく。
どこからか小鳥のさえずりも聞こえてくるような、とても気持ちのいい朝であった。
こんな気持ちのいい朝は⋯⋯もっと寝ていても問題ないだろう。
なんせ今日は休みだから⋯⋯
「⋯⋯おはようございます。 マスター。 早く起きてください」
俺が再び夢の世界へと旅立とうとしたその時、硬質で冷たい何かが俺の下半身の辺りにのしかかっているような感じがした。
それに続いて、何か重量のあるものを頬に押し付けられる感覚⋯⋯
「⋯⋯ん?」
流石の俺でも、その原因を確かめるべく目を薄らと開き⋯⋯周囲を見回した。
「おはようございます。 マスター。 現在時刻11時56分43秒。 完全な朝寝坊です」
「⋯⋯!」
ジト目で俺を睨んでくる女⋯⋯試作品829は、昨日と同じボディースーツのままで俺の下半身辺りに跨っていた。
「おっ⋯⋯おう。 おはような」
「⋯⋯朝から欲情するのを辞めてください」
「は? よ、よ、欲情だと? してねぇよこんにゃろ!」
朝からいきなりの爆弾発言に面食らってしまう。
必死で弁明を繰り広げるが⋯⋯試作品829は、それを冷たく一蹴する。
「⋯⋯否。 マスターの心拍数が私を視界に捉えてから増加し続けています。 これが欲情でなく⋯⋯なんなのでしょうか?」
「うぐっ!」
決定的な証拠を突きつけられて俺は思わず唸る。
しかし⋯⋯試作品829はそれでも攻撃の手を緩めない。
「加えて、マスターの視線の先が私の胸や下半身の辺りに集中しております。 全体の中でその部分を見る割合は⋯⋯なんと驚きの八十%超!」
「⋯⋯」
「マスター。 私は機械ですよ? 機械に欲情するのはいかがなものかと⋯⋯」
「⋯⋯ごめんなさい」
口から出たのは、情けない謝罪の言葉であった。
それを見た試作品829は「許しましょう」と小さく呟いた後に、立ち上がってどこかへと歩いていってしまった。
「⋯⋯はぁ? なんで⋯⋯なんでバレるんだよ!」
彼女が部屋から出ていったことを確認して、俺は吐き出すように文句を言い始める。
視線? 心拍数? ふざけてんじゃねぇよ!
「⋯⋯全く。 厄介なやつに取り憑かれたもんだぜ⋯⋯」
俺はやれやれとため息を吐きながら、彼女を追っていく。
⋯⋯世界に秘匿された精密機械。 自立型行動機械で脱走機である試作品829を。
「⋯⋯んで? 何してんだよおめぇ」
俺は食事用の机の前で律儀に鎮座する試作品829に問いかける。
彼女は少しツンとしながらも、小さく「お腹⋯⋯空きました」と呟いた。
「⋯⋯あ? そこら辺のもん使っていいから自分で⋯⋯って、できないのか」
俺はそこまで言って、彼女の両手をひとつに纏め上げている手錠を見つけた。 昨日からつけているそれは、口ぶりから察するに取れないらしい。
パッと見た感じだが、第三者の手があれば取れそうな構造である。ただ、何やらいわく付きのようだからまだ取らないが。
「⋯⋯ごめんなさい」
「いや、仕方ないことだから別に恥ずかしがる必要はねぇ。 ただ⋯⋯お前って普通の飯でいいのか?」
「問題ありません」
俺が何気なく聞いた一言に試作品829はギラギラと目を輝かせて思った以上の反応を見せる。
⋯⋯なんだよコイツ。 能面みたいな硬い表情以外にもできるのかよ。
心底、よく分からないやつだ。
「おいお前⋯⋯って呼びにくいな⋯⋯」
「試作品829、とお呼びください。 それが私の名前です」
「馬鹿野郎⋯⋯それじゃ文字数多くなってるじゃねぇか⋯⋯。 えーっと、そうだな⋯⋯」
「?」
不思議そうに首を傾げる試作品829。
えーっと⋯⋯829からもじって⋯⋯
「お前の名前は⋯⋯ハヅキだ」
「ハヅキ⋯⋯ですか」
ハヅキは顎に手を当てて考えるような素振りを見せた後に「安直ですが、悪くない響きです。 よろしくお願い致します、マスター」と心做しか嬉しそうに顔を綻ばせて、そう言った。
「⋯⋯ところでマスター。 ひとつ、真面目な話がありまして⋯⋯」
「⋯⋯なんだ?」
先程までの嬉しそうな表情はどこへやら、一転して能面のような真面目な表情に戻ったハヅキを前に、俺も厳粛な雰囲気となる。
⋯⋯一体、何を話すというのだろうか?
俺が固唾を飲んでハヅキの一挙一動を見守っていると⋯⋯
ぐぅー。
静粛な雰囲気をぶち壊す音が盛大に響き渡った。
見ると目の前の機械女が顔を赤らめているではないか。 ⋯⋯喜怒哀楽の表現が上手すぎるやつだ。
「⋯⋯お腹が空きました。 早く朝ごはんを作ってください」
驚いたことに、開き直ったハヅキは飯を要求する。
「⋯⋯おっおう」
流石に可哀想だから、特にツッコミを入れることなく、厨房へと向かうのであった。
「⋯⋯希望は?」
「白米があれば何でも。 出来ればオードブルとかが好ましいです」
「馬鹿野郎。 んなもん出来るわけねぇだろ!」
「存じております。 マスターのような一人暮らしの男性に、できるとは思っておりませんので」
「⋯⋯お前なぁ。 まぁいいや」
グダグダと雑談を交わしながら、俺は無駄なく食事の準備を進めていく。 大学を卒業してから早いものでもう六年。 一人暮らしの歴が長い俺にとって、料理などもはや朝飯前であった。
⋯⋯ちなみに、料理を人に振る舞うのはこれが初めてである。 仕方ないだろ、友達いないんだから。
あれ? おかしい⋯⋯なんだか目頭が熱くなってきたような⋯⋯
「⋯⋯どうして涙を流しているのですか? 早くしてください」
「何でもねぇよ! たっく。 ⋯⋯ほらよ!」
机をバシバシと叩きながら、空腹を訴えるハヅキ。
そんな姦ましい彼女の前に、俺は茶碗についだ白米と適当に作ったサラダ。 そして⋯⋯我らが日本人の心である味噌汁を置いた。
「ほらよ。 冷めないうちに食いやがれ」
「ありがとうございます。 それではいただきます」
俺もハヅキの反対側に腰掛け、朝飯を食べ始めようかとしたその時、あるひとつのことに気がついた。
「あれ? ハヅキ。 お前ってどうやって飯食うんだ?」
思えば彼女の両腕は手錠によって塞がっている。
そんな状態では、ろくに箸も使えないだろうし⋯⋯一体どうするつもりなのだろうか?
「ご心配なく。 既に対策は打ってあります。 それでは、いただきます」
「⋯⋯え?」
俺は目の前で起こった出来事に、思わず我が目を疑った。
ハヅキは⋯⋯目の前の飯を口から吸い込んで吸収したのだった。 もぐもぐと咀嚼しながら、どこか満悦そうな顔を見せているハヅキの様子から考えるに、本当にあれで食べたのだろう。
―――カー○ィかよ!
思わずそうツッコミたくなる光景であった。
しかし⋯⋯俺の驚きはそれだけでは終わらなかった。
「マスター。 お代わりを要求します」
「は?」
呆気に取られて、まだひとつも箸が進んでいなかった俺に向かって、ハヅキは両手で米粒ひとつ残っていない茶碗を手錠のかかった腕で器用に抱えながら、そう言った。
「⋯⋯分かった。 ちなみに、どれくらいの量がいい?」
「大盛りでお願いします⋯⋯と言うより、できればそちらを⋯⋯」
「⋯⋯え?」
ハヅキが視線で促したものを見て、俺はポロリと箸を落とす。
ハヅキが言うそ
・
れ
・
とは、俺の横に置いてある炊飯器のことであった。
「早くください。 お腹が空きました」
「⋯⋯どうぞ」
⋯⋯まぁ、その中には今日の晩御飯の分も入っているからそれなりの量がある。
いくらなんでも⋯⋯全部食べきることなんて⋯⋯
そう思っていた時期が俺にもありました。
「⋯⋯ご馳走様でした。 美味しかったです、マスター」
「あっ⋯⋯あぁ」
満足そうな顔を浮かべるハヅキの前に置かれた、先程よりも随分と軽くなった炊飯器を俺は回収する。
一分にも満たない、僅か数秒の出来事であった。
某掃除機メーカーもびっくりな吸引力で米を吸い込んだハヅキによって、炊飯器の中の米が食い尽くされるのは。
「さて、マスター。 この後の予定の確認です。 ⋯⋯と、言うのも手錠の解錠を試みることくらいしかありませんが」
「⋯⋯ちょっと待て。 まずはお前の話を詳しく聞かせろ。 それと昨日の約束についてを、だ」
俺だって色々と気になっているのだ!
そもそも⋯⋯昨夜に送られてきたハヅキを俺が家に留めている理由は、別にハヅキが美女だったからでは⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯ない⋯⋯⋯⋯と思う。
それはそうとして、俺がこいつを留めている理由はひとつ、「貴方の生活費は私が保証します。 つまり、働く必要がなくなるのです」という約束があったからである。
四年ほど前まで、人類を苦しめていた例のウイルスによって就職難民となった俺がなんとか採用された、現在の勤務先は正直言ってあまり良い場所とは言い難いところであった。
それでも何とか六年間、社会人として頑張って来た俺であるが⋯⋯とあるプロジェクトの失敗を全部俺に押し付けられたことで堪忍袋の緒が切れた。
近いうちに辞表を提出しようと考えていたのだ。
⋯⋯というわけで、そんな俺の課題であった生活費を補ってくれるというのなら、内容にもよるが提案を受けるのはやぶさかではないだろう。
「⋯⋯そうですね。 分かりました。 話しましょう」
少し思い悩むように俯いていたハヅキであったが、やがて顔を上げて、そう頷いた。
「おう。 それじゃあ、お前の目的となんで俺を選んだのかを教えてくれ。 これの答え次第だと、俺はお前を追い出すことになるかもしれねぇがな」
いくら金の為とはいえ、例えば命を張るなんてことはしたくない。 それだったら現在の勤務先で苦労する方が何千倍もマシである。
俺の言葉にコクリと頷いたハヅキはゆっくりと語り始める⋯⋯
「まずは⋯⋯私自身についてお話しましょう。 私の名前は試作品829。 アメリカと日本が現在、共同して極秘開発を行っている『機械奴隷計画』の失敗作です」
「⋯⋯『機械奴隷計画』? んだよ⋯⋯それは?」
耳慣れない言葉に思わず問い返す。
「簡単に言うと、読んで字のごとくで『人間のためのみに奉仕する奴隷のような機械』⋯⋯言い換えれば、人間の従者となりその世話を執り行うためだけの、機械を作るプロジェクトと言ったところでしょうか?」
「ふーん。 そんな計画が秘密裏に進んでいたのか⋯⋯。 それはそうとして、お前のどこが失敗作なんだ? 見たところ、ちゃんとした応答もできているし⋯⋯全然問題ないんじゃ⋯⋯」
俺がぶつけたのは、単純な疑問であった。 確かにハヅキは多少常識外れな部分はあるが、喜怒哀楽においては寧ろ過剰すぎる人間らしい機械である。 容姿も全く問題ないのだから、別に問題ないように思えるのだが⋯⋯
しかし、俺の問いにハヅキは黙って首を横に振った。
「それが問題なのです。 私たち機械に感情は不必要なのです。 もし感情があって⋯⋯主人に反乱することがあれば? ⋯⋯その可能性があり、万が一を危惧して私はゴミ処理場に廃棄されました。 ⋯⋯この手錠で腕を縛られて」
「⋯⋯酷いな」
機械と言っても、彼女は感情のある人間と言っても差し支えない部類に入っている。 それに手錠をした上で廃棄するなんて⋯⋯
「それでも、運良く抜け出すことが出来ました。 それから⋯⋯私はとある運送者を見つけて、その荷物の中に入ることに決めたのです」
「なるほど。 それが⋯⋯俺の荷物だった、と」
「はい。 マスターの荷物を破壊してしまった件に関しては申し訳ないと感じております」
「⋯⋯言わないでくれよ。 ⋯⋯折角忘れてたのに⋯⋯」
その謝罪に俺は膝を抱えてうずくまる。 俺の苦労の末に獲得したフィギュアが全て、ハヅキによって見るも無惨に破壊されてしまったことを思い出したからである。
⋯⋯しかし、とりあえず話は繋がった。
「⋯⋯まぁそれは良くないけど⋯⋯いい。 お前の手錠を解く理由はどうしてだ? もし⋯⋯お前が復讐をしたいとか思っているんなら、俺はそれを全力で阻止するが」
この程度の手錠なら第三者の力さえ加われば誰でも解くことができるのだが⋯⋯。 しかし、それで復讐を仕掛けに行くなんて言われたらたまったものではない。
俺がそう言うと、ハヅキは少し悲しそうな表情を見せた後に⋯⋯口を開き⋯⋯
「消える前に⋯⋯自由が欲しい、という理由ではダメでしょうか?」
恭しくも、はっきりとそう言った。
⋯⋯こいつが消える? どういうことだろうか?
俺がその意味を吟味しようとしたその時、ハヅキは続ける。
「私は⋯⋯あと七日の命です。 捨てられるときに、万が一に備えて、機能停止プログラムを組み込まれたのです」
「⋯⋯機能停止プログラム?」
「⋯⋯はい。 本来、その場で機能を完全停止させるものですが、何とか抵抗に成功しましたが⋯⋯それでも十日間の命を得ただけで 、そこが限界です。 このプログラムは門外不出の完全なオリジナルですので、解除も不可能だと考えられます⋯⋯」
「⋯⋯そうか」
かける言葉が見当たらなかった。 何を言えばいいのか⋯⋯それが全く分からなかったからだ。
ただ⋯⋯ひとつだけ。 迷わず身体が動くことがあった。
「だったら⋯⋯自由に生きろ」
俺はハヅキに近づいて手錠を解錠してやる。
そして⋯⋯頭を軽く叩いてやった。
「⋯⋯よろしいのですか?」
「あぁ。 好きに生きればいいさ。 俺も協力できることはしてやるよ。 ⋯⋯飯とかな」
「⋯⋯ありがとう⋯⋯ございます」
ハヅキは身体を小さく震わせながらそう言った。
せめて死ぬ直前の記憶くらいは、自由で楽しいものにしてやりたいからな。
「⋯⋯ん? なんだ? 何かあるのか?」
食器の片付けに移行しようとしたその時、俺の方をモジモジとしながら見つめているハヅキに気がついた。
「その⋯⋯何と言うか。 マスターと一緒に遊びたい⋯⋯です」
だんだんと語調を小さくしながら⋯⋯消え入るような声でそう言ったハヅキ。
「⋯⋯俺と? いやまぁ別にいいが⋯⋯何がしたいんだ?」
「よろしいのですか!」
「おぅ⋯⋯いいぜ」
表情をパッと明るくしたハヅキは勢いよく立ち上がったが、何かを思い出したようで、すぐに座り込む。
そして⋯⋯何か手帳のようなものを俺に突き出した。
「まずはこれを⋯⋯」
「ん? 何だよこれ⋯⋯んんん?」
その手帳を開いて中身を確認した俺は、飲んでいた茶を吹き出しそうになるが⋯⋯ギリギリのところで抑え込むことに成功した。
何故か俺名義になっているその手帳⋯⋯いや、通帳の中には一般人の俺が一生死ぬ気で働いても絶対に届かないであろう十二桁の数字が刻まれていた。
「お前⋯⋯これどうしたんだよ⋯⋯」
あまり聞きたくはないが、恐る恐るハヅキに聞いてみる。
「より多くの人のサーバーにアクセスして十円ずつ徴収しました」
「⋯⋯それ、大丈夫なのかよ」
「大丈夫です。 私を解放してくれたマスターへのお礼です。 どうぞご自由にお使いください」
明らかにヤバそうな臭いがプンプンと香るそれを俺はやんわりと断ろうと試みたが⋯⋯強く押し付けられてしまって断ることができなかった。
⋯⋯まぁいい、何かあったら伝家の宝刀「記憶にございません」戦法を使うとしよう。
最も、そんな程度でどうにかなる状況だとは思えないが。
「さて⋯⋯参りましょうか、マスター」
「おう。 ⋯⋯ただ、その服はちょっと⋯⋯どうなんだ?」
俺はハヅキの服⋯⋯彼女の身体にピッタリと張り付いて色々なところが、はみ出てしまいそうなそれを指差す。
⋯⋯いくらなんでも、これから街に繰り出すというのにその格好はいささか扇情的すぎるからな。
機械だからなのか、不思議そうに首を傾げるハヅキではあったが「分かりました」と言って右手を振り下ろした。
その途端に光の粒子がハヅキの身体を纏い、次の瞬間には深紅のチャイナドレスへと変化していた。
「おお⋯⋯」
思わず感嘆の声が零れ落ちる。
しかし、ハヅキはなぜか不満そうな顔をして、再び腕を振り下ろした。
再び光の粒子が身を纏った後に現れたのは、真っ黒なフードを目深に被ったクールな雰囲気を漂わせるハヅキであった。 しかし再び残念そうな表情を見せた後に、すぐに腕を振り下ろした。
そして⋯⋯また別の服を纏ったハヅキが現れ⋯⋯残念そうな表情を見せて腕を振り下ろす⋯⋯そんな無限ループが続いていた。
転機が訪れたのは、次、次、、、次⋯⋯とハヅキが二十回目の変身を終えた時のことであった。
「おぉぉぉぉ!」
その姿を視界に入れた俺は、最大級の声を漏らした。
白のワンピースを身に纏い、麦わらの横長帽子を被り腰ほどまでの長い銀髪を銀髪をポニーテールにしたハヅキの姿は、俺の性癖にどストライクの可憐な美女であった。
「ふふっ。 これがよろしですね。 それでは⋯⋯今度こそ参りましょうか」
小さく笑いながら突き出されたハヅキの手を、内心で戸惑いながらも取って外へと出た。
俺にとっての最高で最も有意義な七日間の始まりであった。
―――
《一日目》
昼下がりから街に繰り出した俺とハヅキ。
ハヅキは初めて見るであろう街の設備や、ショーケースに陳列された商品を見てあれは何か、と子どものようにはしゃぎ回りながら楽しそうに俺を連れ回していた。
その途中で、俺の勤務する会社へと赴いていけ好かない上司の顔に辞表を叩きつけてやった。 驚いたような顔がものすごく快感であった。
夜には帰り道の途中にあった食べ放題の飲食店で晩飯を食った。 ハヅキが店中の白米を食い尽くして出禁となったのはいい思い出だ。
おっと⋯⋯これも書いておかないとな。
就寝前、風呂から上がった俺にハヅキは耳かきをしてくれた。
機械独自の正確さによって、予想以上に気持ちよかったと記録しておこう。
《二日目》
昨夜テレビを何気なく眺めていたところ、画面に映った自然の景色に、目を輝かせてかぶりついていたハヅキ。 そんなわけで、俺は元々趣味でもあったキャンプへとハヅキを連れていくことにした。
自然溢れる山の中の生物と不思議そうに、そして楽しそうに触れ合っていた。 途中で『仲良くなりました』と言って野生の熊を連れて来たのは流石に驚いたが。
それと、夜になってハヅキと見た星々はとても綺麗であった。 星を見つける度にあれは何かと尋ねてくるハヅキに対応するべく、携帯で調べまくっていたため疲れたが⋯⋯こんな楽しいキャンプは久しぶりだった。
《三日目》
朝から軽く釣りをしていたのだが、その途中で土砂降りの雨に見舞われてしまい、急いで帰路へとつくことにした。
家に到着して休んでいたところ、ハヅキの身体に雨に濡れた服が張り付いて黒の下着が顕になっていることに気がついた。 それを横目でチラチラと見つめていたところ、ハヅキに『マスターの心拍数の上昇を確認。 人間風に言うとエッチ、です』とジト目で睨まれながらそう言われてしまった。
その後は『料理をしてみたい』と言い出したハヅキと共にハンバーグに挑戦してみたのだが、塩と砂糖を間違えたアイツのせいで非常に残念な仕上がりとなってしまった。
当のハヅキは『白米が美味しいですし、マスターと一緒に料理ができて楽しかったです』と言っていたし、まぁいいだろう。
《四日目》
昨日からの雨が降り続いていて、外に出ることが憂鬱だった今日はハヅキと共にゲームをプレイした。
『ふむふむ⋯⋯なかなかに難しいですね』と呟くハヅキと共に、俺は自分が子どもの頃にそこそこやり込んでいた格ゲーの最新版で対戦をした。 一時間ほどのプレイだけでハヅキは俺を軽々と越えて行ってしまった。 そして⋯⋯二時間が経過する頃には『肉弾戦を挑んでくる銃キャラ』というよく分からない独自のスタイルを確立して俺のキャラクターを惨殺し続けていた。
これは余談だが⋯⋯『梅雨ハザード』ならと思い立って、大人気なく対戦を挑んだ際開始十秒で頭を撃ち抜かれて死亡した。 日本ランキング十七位ってなんだろう。 そう考えさせられる一日であった。
《五日目》
ようやく雨が止んだこともあり、今日は昼まで軽くゲームをして過ごした後に、近所で執り行われたそこそこの規模の夏祭りへと向かった。 黒を基調とした大人びた雰囲気の浴衣を身にまとったハヅキは、紛れもなく美女であった。
最も、祭りの会場に着くとやれりんご飴が食いたいだのヨーヨーが欲しいだのと子どものように暴れ回ったので、騒がしいという印象しか残らなかったのだが。 そんなことより気になったのは、終始絶えることなく俺に見せていた笑顔に、少しだけ影があるように思えたことだ。
⋯⋯まぁ当然のことだろう。
だってあと二日⋯⋯いや、これ以上はやめておくとしよう。
《六日目》
今日はどうするかとハヅキに聞いたところ『マスターと一緒にいたいです』と言っていたので、家の中でゆっくりすることにした。
いつものように俺が全く相手にならなくなったゲームで対戦していたところ『⋯⋯私は、何か記録に残ることがしたいです。 梅雨ハザード⋯⋯でしたか? あれをやりましょう』と言い出した。
最後の日をそんなことで浪費していいのかと聞き返そうとしたが、ハヅキの顔を見てアイツが本気でそれを望んでいるのだと悟った。 そして⋯⋯俺たちは朝十時からぶっ通しで梅雨ハザードをプレイし、ランキング上位者達の国を襲いまくり、十三時間連続プレイの末に、その日のランキングの一位を勝ち取ることに成功した。
他人から見たら馬鹿みたいな一日の過ごし方だったのかもしれない。 でも、俺たちにとっては大変意味のある一日であった。
そう言えば先程ハヅキに『今夜は⋯⋯一緒に寝てくれませんか?』とお願いされていたのだった。
機械でも⋯⋯やっぱり消えちまうのは怖いんだな。
あと一日⋯⋯それが俺たちに残された時間だ。 アイツのため。 そして⋯⋯俺のために一分一秒も無駄にせずに過ごすとしよう。
この日
・
記
・
を書くのも、これで最後になる。
―――
そして⋯⋯ついにやってきた七日目。
朝から力なく横たわっているハヅキは、俺が書いた一週間の日記を見て、懐かしむように微笑んでいた。
「⋯⋯マスター。 ありがとうございました。 この一週間⋯⋯本当にかけがえのない大切な思い出でした」
「ハヅキ⋯⋯。 本当に⋯⋯ごめん」
「⋯⋯何を⋯⋯謝っているのですか⋯⋯この一週間⋯⋯私のために⋯⋯見ず知らずの私のために付き合ってくれたマスターに⋯⋯謝るべき点なんて少しも⋯⋯少しもありませんよ⋯⋯」
少しずつ⋯⋯ハヅキの語調が弱くなっていく。
限界が近いことは誰の目に見ても明らかであった。
初めから分かっていたこと⋯⋯それでも俺はこの現実を受け入れたくなかった。 ハヅキと過ごした一週間は、俺にとってもかけがえのない思い出であった。
「ハヅキ⋯⋯俺⋯⋯死んで欲しくないよ⋯⋯」
「それは⋯⋯難しいです⋯⋯ね。 もう無理だって⋯⋯分かります」
ハヅキは身体を動かすことさえも辛そうだ。
こんな時に⋯⋯なんで俺は何も出来ないんだよ!
心の中で自分の無力を嘆くが、この状況を打開する方法など浮かぶはずもなく「大丈夫だ⋯⋯きっと大丈夫だ⋯⋯」などと当たり障りのなく、何の益もない事しか言うことが出来なかった。
そうしている間にも⋯⋯刻一刻と時間は過ぎていった。
そして⋯⋯ついにその時が訪れる。
「マス⋯⋯ター。 聞こえ⋯⋯ますか?」
「⋯⋯あぁ。 聞こえるよ、ハヅキ」
ハヅキの息遣いは早く、荒い。 活動を終えようとしていることは、もはや言うまでもなかった。
俺は⋯⋯差し出されたハヅキの手を黙って握る。
「私は⋯⋯もう、おしまい⋯⋯です。 最後に⋯⋯ひとつだけお願いを⋯⋯」
「⋯⋯お願い?」
「⋯⋯えぇ。 見ず知らずの⋯⋯私のために⋯⋯仕事までも辞めて⋯⋯尽くしてくれた⋯⋯唯一無二の⋯⋯マスターに、お願い⋯⋯です」
「⋯⋯なんだ?」
俺が問い返すと、ハヅキはゆっくりともう片方の手を差し出して⋯⋯黒いUSBメモリーを俺に手渡した。
「私が⋯⋯消えたら⋯⋯これ⋯⋯を。 おねがい⋯⋯します。 私の⋯⋯バックアップ⋯⋯データと、当面の⋯⋯資金が⋯⋯入っています。 時間は⋯⋯かかるでしょうが⋯⋯マスターを⋯⋯信じて私は⋯⋯待ち⋯⋯ます」
ハヅキの声に、ノイズがかかり始める。
俺は⋯⋯彼女を黙って抱きしめた。 頬をつたる熱い何かに気がつかないままに。
ハヅキも黙って腕を俺の背中に回して、抱き合った。
「マス⋯⋯ター。 ⋯⋯だ⋯⋯⋯⋯⋯⋯い⋯⋯す、き⋯⋯⋯⋯で⋯⋯す」
その言葉を言い終えたきり、ハヅキは力なく項垂れて俺に寄りかかる。 そして⋯⋯それっきり二度と動くことは無かった。
「ハヅキ? ⋯⋯おい、ハヅキ?」
身体を揺さぶるが応答はない。
⋯⋯試作品829。 俺のたった一週間の相棒は、その活動を完全に終了したのであった。
―――
あの日から⋯⋯早いもので五年が経過した。
巷では『機械奴隷計画』が実現して、サポートAIという名の、人間に尽くす感情のない機械奴隷が当たり前の世界となった。
ちょうど横を通り過ぎた男に連れられた、なかなかに美人な機械奴隷に目を奪われていると、後ろから伸びた手に頬を掴まれて⋯⋯強制的に振り向かされた。
「⋯⋯マスター。 今、他の機械に目を奪われていましたね?」
その手の主⋯⋯腰ほどまでの銀髪をポニーテールにして、真っ白なワンピースを着込んだ美女が頬を膨らませながらそう言った。
俺が平謝りをすると、渋々と言った様子で手を離してくれた。
「全く⋯⋯五年間もの間、独学で工学を学んで私を復活させただけでなく、他の機械に浮気していなかったから信じていたのに⋯⋯残念です」
「だー! 悪かったって! 後でたらふく飯食わせてやるから! それでいいだろ?」
明らかにしょんぼりとする女は、飯という言葉を聞いた途端に目を輝かせて「分かりました。 許しましょう。 白米のために!」と明らかに元気になった。
「ほら⋯⋯行くぞ。 ハ
・
ヅ
・
キ
・
」
俺は手を差し出しながら、その女の⋯⋯五年来の相棒の名を呼ぶ。
「はい! 参りましょう! マスター!」
美しいその顔に、満面の笑みを浮かびながらそう言って、俺の手を取る。
「そう言えば⋯⋯あの時の答えを聞いていませんね」
「あの時?」
「ほら! 私の『大好きですマスター』への答えですよ!」
「は? もう良いだろあれは!」
「ダメですー! こっちは五年間も待っている答えなんですよ?」
再び頬を膨らませながらそわそわとして、答えを求めるハヅキ。 心做しか表情が豊かになっているような気がする。
⋯⋯答え、か。 仕方ないな⋯⋯
「⋯⋯俺もお前のことが大好きだ。 ハヅキ」
「ふふっ! ようやく聞けました! 私もですよ、マスター!」
一人の男と機械の女。
傍目に異様に見えるであろう俺たちは、仲良く手を繋ぎながら道を歩いていく。
太陽がそんな俺たちを祝福するかのようにギラギラと輝いていた。
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