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コツン、と窓硝子に額を打ち付ける。春の宵は冷える。透明な硝子は淡く呼気に曇り、たちまち戻って元の暗がりとアイリスの顔を映した。
その段で、アイリスはようやく、いつの間にか日が傾ききったのを知った。周囲の木立にかかるオレンジの残照が消え去るのを見逃してしまった。
(……そう言えば、朝焼け……)
じつは、離れの塔の自室からでは、北都名物の落陽と暁の『青の都』を見ることはかなわない。
昔、初めて出会ったサジェスは言っていた。
朝焼けのアクアジェイルを見てみたかったんだ、と。
彼のことだ。もう、何度も見たのだろう。
けれど、なぜかいま、自分も見てみたいと切望した。急な衝動だった。
もし。
もしも、あのひとと一枚の画のように、一つの景色を分かち合えたら。
(……)
瞳に意思を込める。
かちりと施錠を開ける。
窓を押しあけ、雲ひとつない星月夜を仰いだ。風もさほどない。穏やかないい夜だ。
「……晴れるかな」
呟き、窓を閉めた。後ろを振り向く。
寝台で寝そべるアクアとしぜんに目が合った。自分でも驚くほど、ふわりと微笑むことができた。
「ねぇアクア。お使いを頼まれてくれないかしら」
《いいよ。何て伝える? 今上魔王が“力”を分けてくれたから、ちょっとくらいならあいつと話せるよ》
もはや誰に? とも尋ねられない。
心の声が筒抜けだった証に、アイリスはちょっとだけ困った顔になった。ほろにがい微苦笑。
まぁいいか、と肚を据えて。
「殿下を呼んできてくれないかしら。お休みになる前に。『夜明けまでに、いつでもお越しください』と」
《いいよ》
きらりと紫紺の瞳が煌めく。
まるで、そうこなくっちゃ、と言っているようだった。
心話が伝わるや否や、すぐに翼ある幻獣体に変化し、宙に浮かんで消えてゆく。
アイリスは、決戦前のような鼓動を感じつつ、そっと胸を押さえた。
(行ってらっしゃい)
アクアには届いている。信じて疑わなかった。
同じくらい、きっとサジェスは来てくれると確信した。
心は澄み、焦ることなく、『そのとき』をしずかに待った。
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