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金魚鉢病
────5年前。
噂に聞いていた奇病をはじめて目にした。
酷く勝手な想像をしていたが、なんら自分と変わりない人間の形をしていた。
「はじめまして君が僕のお世話係だ」
世の中にはたくさんの病があると聞く。
声はでないが花はでてくる病、涙は宝石が代わりの病、美しいウロコの病、髪の毛が糸の病、体内で毒ガスを造る病etc・・・。
彼の病は奇病の中でも特に珍しい金魚鉢病。
貯められるストレスをコップと水で現すことがあると思う。それが大地や自然と繋がっていて核である心臓がなく、代わりに金魚鉢のような物があると言えばわかりやすいだろうか。
生まれたときから鉢を持っていて、18歳を過ぎるまで奇病であることがわからないしい。
段々聴こえてくる水琴窟のような音が全身に響き渡る。
だが、レントゲンを撮ってわかるものではない。体内に金魚鉢があるわけではないから、自身が受け皿みたいなものらしい。
金魚鉢の大きさは人それぞれだと言われているらしいが、基準としては金魚鉢だと言われている。理由は体内に残っている血液の量が金魚鉢分だとか。
そして、1番の理由は。
「金魚鉢、かな」
「自分の中にあるもの、感じるもの?ですか」
「うん。自分のことは自分がよく知っているって聞くでしょう。死に間際がわかる感覚が金魚鉢の大きさでわかる・・・みたいな。金魚鉢なんて体の中にないことはわかるんだけど、たまに夢を見るんだ」
「夢ですか」
そう、自分の中にある金魚鉢には凄く奇麗な金魚がいるんだ。水草の隙間から見える尾びれはとても甘美に見える。まるで飴細工のようなキメ細やかさ。カラン・・・という音のあとに暗闇の中でその金魚鉢が淡く光るんだ。息を呑むほど奇麗なんだよ、と言葉とは裏腹に表情は曇っていた。
「その夢を見るようになってから僕は甘いものが好きになった」
「それで俺を?」
「そう。君は若いから反抗的で社会的には弱者だ。だから、僕のもとで作ってほしい」
僕も君を利用するから君も僕を利用するといい、と彼は口角を上げる。
「あとね、キッチンは充実してるよ。たぶん不満はないと思う」
余裕のありそうな人だった。
病が発覚したのは一昨年で余命がわからないと言われているのにも関わらず、彼は笑っていた。
監視役とまでは行かないが、この人の生活の変化を報告するように担当医から言われていた。
3年が経ち、彼は好物を教えてくれた。
ラスクはフロランタンが1番でマカロンはダークチョコレートが1番、しゅわしゅわと溶けてしまうほどのふわふわのシフォンケーキ、光沢感のあるクリームブリュレ、お餅のような弾力感のあるドーナツ、抹茶やごろごろと入った苺のシュークリームなど・・・。
「キリがないですね。そんなにお好きなら俺じゃなくてプロのパティシエ雇うべきじゃないですか。おいくつでしたっけ」
「初めて食べたときから君のお菓子が好きなんだ。僕の我儘と君の作りたいものが合致したらとても素敵なことじゃないか。感動したんだ。この病気になってから無償に食べたくなるんだ。それを1度で終わりにしたくて半年間も探したんだ。因みに歳は28歳です」
「・・・・・・もっと老けてるかと思ってました。でも、確かに毎日は体に毒ですね」
そうでしょう、と暖炉の前でミルクティーを飲んでいた。
────2年前。
彼はよく窓の外を眺めるようになった。眠る時間も前より増えていた。
今日も窓の向こうで雨が降っていた。
梅雨の時期は昼夜を問わない。
テレビの中の天気予報士はいつも通り雨の中にいた。
「悪い・・・・・・それ消してくれないか」
言われた通りにリモコンの電源ボタンを押す。
不機嫌な顔が柔らかくなる。
「おはようございます」
「うん、おはよう」
ココア貰ってもいいかな、と注文を承る。
ミルクを容れた鍋に火をかける。沸騰しないようにまぜながらシナモンを2分1から1本お好みで。マグカップにココアパウダーをスプーン1杯、先程のミルクを注ぐ。
「いつもよりしんどそうですね」
どんよりと曇る空のように渦を巻く。
「最近、頭痛がするんだ」
「頭痛ですか、今までにない症状ですね」
どうぞ、と出来立てのココアを渡す。
ゆっくりとマグカップを傾ける。ずず・・・と音が立つ。
長く息を吐くと、眉間の皺はどこかへ消える。
「なんだか偏頭痛みたいですね」
そうだ。パンケーキ焼きましょうか、とキッチンへ向かう。
猫っ毛で、起きたばかりの鳥の巣みたいな頭。枝の長さを間違えてしまって1束跳ねてしまっているみたいだ。
白雪姫みたいな白い肌は赤く薄い唇がよく似合う。
「ありがとう」
「美味そうに食べてくれる姿が好きなので」
「あはは、それはどうも」
────1日前。
「最近、あの音が聴こえないんだ」
彼は言った。
雨が降る日は必ず言っていた。
アスファルトに染み込み、土を溶かし、石や岩の隙間を這い底の見えない鉢に落下する。
水面に波紋をつくるように、カランカラン・・・と水琴窟が奏でると。
「頭痛もないんだ」
耳を塞ぎたいほど全身に響き渡る音が聴こえないのだと、あんなに五月蝿かったのに何故だか寂しいんだと今にも泣いてしまいそうな表情をしていた。
「水羊羹食べたいな・・・・・・」
そして、翌日彼は死んだ。
Fin.
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