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ㅇエスカレーターは上へ、下へ
夕方に混み合う各駅停車を勝手にホームで待ち合わせをする。胸ポケットでバイブする携帯を確認すると、彼女からだった。アナウンスが流れた数分後、徐行をしながら4両程通り過ぎてから停車した。
皆は足を揃えて電車へ乗り込む。
その頃、三里勇は目を疑っていた。
付き合って5年の月日が経つ彼女から送られてきたのは別れの連絡だった。
《 わたしたち別れましょう。もう勇くんとは会えない 》
たった一文。これだけ。
頭を鈍器で殴られたような衝撃が走っていた。一歩も動かない。
そんなに我慢をさせていたのだろうか、自分は不適合だったのだろうか、新居に不満でもあったのだろうか、2人での生活に飽きてしまったのだろうか。
「・・・・・・帰る場所が・・・・・・なくなった」
俯き考える三里をよそに、電車はとうに発車していた。
いってらっしゃいのキスをしてくれた。いつもと変わらぬ手の込んだお弁当も、とても美味しかった。
三里は、意を決して次に来た電車に乗る。帰宅時間は相変わらず混んでいて、足元に挟んだ鞄が時折動き、吊革に掴まる右腕は体を支えきれなかった。
「すみません」
隣に立つ女性の手提げも言うことを利かない様子だった。
「いえ」
時間通りに停車し、そして新たに人波が流れ込んでくる。背中を押され、勘違いされぬようにと両手で吊革を掴む。減るどころか、増えるばかりの人集りに潰される。
駅を降りて、改札をくぐる。
家まで15分の距離はあっいう間に過ぎ去った。同棲を始めて2年が経っているマンションの部屋の鍵を開ける。
「ただいま」
暗闇に、虚しく響く声。
覚悟はしていた。そのつもりでも、電気を付けたリビングは、もぬけの殻で、残っていたのは婚姻届が1枚と鍵がキッチンカウンターに置いてあった。
突然、彼は涙した。
誰も慰めてはくれない。ただひとり踞る。頬に当たる冷たい鍵が現実だと知らせる。
それでも、次の日は来てしまう。
どんなに辛い思いをしても、ありがたいことに時間は流れるのだ。
1ヶ月後には、1人では持て余してしまう部屋を引き払い、実家へ帰省した。約束していた一軒家も契約を破棄した。
そんな傷心中の三里に、好意を寄せる女性がいた。同僚の真鍋明美だ。
これまで至ってアプローチをかけずにいた明美は、三里に結婚を前提にお付き合いをしている交際相手がいるのを知っていた。噂を聞きつけ、今回をきっかけに食事に誘うと、彼は快く承諾してくれた。
当日。
いつもは避けるマスカラや露出は多め、けれど、季節にそぐうワンピースを着ておめかしをする。高級なホテルでの食事ではない。そんなことは関係ない。気合いを十分に入れる。
姿見で変なところがないかと確認してから、パチンッ、と両の頬を叩き意気込む。
「よし、ガンバレ私!」
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