ドクターピスキス

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ドクターピスキス

カランカラン・・・、と中身のない銃弾がアスファルトを飛び跳ねる。 銃口から散る火花に目を瞑る。 一分一秒が、これからの杞憂となる。 純白な白衣を身に纏う男が、薬品棚の前でなにやらメモをしていた。 カーテンレールが剥き出しの隔たりのないベッドで眠っている男が目を覚ます。 「あれ、おはよう。随分とはやい起床だね。私の予定では明日くらいだったんだが」 眼球だけが動いている。視覚だけで情報を集めているようだ。 「どれくらい眠ってましたか」 「君の頭上にタイマーあるから、自分で確認して」 「動かないんですよ」 白衣の男が首を傾げ、驚いた様子を見せる。 純白な白衣を身に纏っていると言ったが、その下に着ているスクラブは首元が草臥(くたび)れている。これが医者だと言うのだ。思い出したように微笑する。 「あー、固定してたねそういえば。でもさ、君、錯乱起こして暴れるんだもん」 外してあげるから、と鼻歌交じりに足許から固定ベルトが外されていく。 この男とは、もう5年の付き合いになる。 「すみませんでした」 となれば、彼のいつもの調子に安心すらする。 「服着る?」 「・・・・・・ありがとうございます」 いつもいつも、彼の元で目を覚ます度に半裸であることに。 先程、言われたタイマーを見やる。 「366時間だよ、よく眠っていた。もう少し左に寄っていたら心臓を貫いてた。腕がいいとは言い切れないけれど、失くすにはもったいなかったよ。そんで、これね。よくもまあ当てたもんだよ彼」 見てわかるだろうけど、とレントゲン写真を照明で照らす。 「骨盤が粉砕してる。打撲や脱臼も多いし、階段から落ちたんだろうね。ここに運ばれた頃には意識障害に加えて、外傷による瀕死。検査をすれば、助骨が内蔵に突き刺さって使い物にならないときた」 ペン尻で丸を描きながら、失笑する。 「ひとつもですか」 「ひとつも売り物にならない。魚の餌くらいだ」 「そうですか・・・・・・あいつは」 白衣の男は、指を差した。カーテンで閉ざされた隣のベッドで眠っているらしい部下の寝息が、微かに聞こえてくる。 手摺り階段を上がり、倉庫のドアが開く。 突然、始まる銃撃戦。額に真っ黒な穴が空く。姿勢を崩して倒れ込むのは一人や二人ではない。 錆びた脚の長机、並べられていたはずのパイプイスは散乱している。破れた穴の空いたソファからは、綿が溢れる。 乱戦になる前はもう少し、オフィスの雰囲気を味わえたかもしれない。 残りは一人。 吐息が交じるほどの距離で共に横たわっていた。 たった一人。されど一人に隙を突かれてしまった。 血溜まりが冷える。隙間風が唇を(かす)み、とくとくと脈打つ心臓が鋭利(えいり)な針に刺されているような痛みに侵されていく感覚。 そんな僅かな意識の中で、手許からすり抜けてしまった拳銃を拾い、掌へ押さえつけ、声を荒らげた。 血に塗れ、震える手で拳銃を構えられる。 5秒後、キーン────という耳鳴りののち、意識を飛ばした。力無く倒れている姿に、部下は血相(けっそう)を変えて口を動かしていた。 きっと、ぬるぬるしていて標準を合わせずらかっただろう。痛がっていた部下は動くこともままならなかったが、青白く染まりあがる顔色に、自分の痛みを忘れてしまう。声を掛け続ける。何度も、何度も、何度も、意識がなくなるまで。 そんなことも、お互い朧気(おぼろげ)だ。 暗幕カーテンから覗く水槽からブルーライトに照らされた魚の尾が垣間見えた。 「・・・・・・なんでしたっけ、名前」 「ドクターピスキス」 ピスキスは、ラテン語で魚という意味らしい。見た通りだ。 「綺麗ですね」 「私の唯一の助手だからね」 Fin.
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