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読解少女
引き戸を開けると、いつものように眠りこけている文乃先輩がいた。
資料室という名目で使われているその教室は、ぼくら文芸部の部室でもある。壁面にはガラス戸付きの書架がひしめいていて、学校史を記した資料や過去の卒業アルバム、あるいは文芸部制作の文集なんかが保管されている。
室内は日当たりが悪く、古書特有のノスタルジーな匂いに満ちている。日課である換気のため、ぼくは部屋にただひとつの窓を開ける。
外には、落葉を待つソメイヨシノが立ち並んでいる。花散らしの季節にこの窓から迷い込んだ花弁の色を、ぼくは少しだけ思い出す。
この部屋には、書架を除いては会議用の長机を一台据えるのが限界のスペースしかなかった。まあ、部員二人の文芸部には十分な広さではあるのだけれど。
その長机の上座のような位置で、文乃先輩は腕枕をして突っ伏している。夕日にきらきらと反射する埃が、光の胞子みたいに先輩のまわりを漂っている。柔らかそうに流れる黒髪。今にもズレ落ちそうな鼈甲縁の眼鏡。時折ムニャムニャと言葉にならない寝言が聞こえる。
傍らには、ハードカバーの小説が開かれたまま置いてあった。また懲りずに読書に挑戦をして、失敗したらしい。
「先輩」
ぼくは言った。一度では起きない。二度、三度とぼくは先輩を呼ぶ。
やがて先輩が「うーん」とうめきながら身体をもたげた。そして、眼鏡の位置を直しながらぼくの顔を見た。
「ああ、龍くん。おはよう」
先輩がふにゃりと笑う。先輩の第一声はいつも「おはよう」だった。ぼくが部室にたどり着く頃には、先輩がいつも寝ているからだ。
「また無謀な読書を試みたんですか?」
「うん。ねえ、見て。素敵な装丁だと思わない?」
そう言って先輩が、その本をぼくに差し出す。
「今日はこの本がいい。なんだか素敵な物語の予感がするの」
ぼくは本を受け取りながら嘆息する。
「そろそろ文芸部らしい活動をしたいんですが」
「本を読むのも創作の一助になると思うよ」
「そう言われ続けて、半年以上たちました。ナレーションのスキルばかり磨かれている気がします」
「龍くんの声は、素敵だからなあ」
そう笑いかける先輩と目が合い、ぼくは言葉に窮する。
「ねえ」と催促する先輩に負けて、先輩の斜め前の席に座る。本の表紙を開き、コホリとひとつ咳をする。
そしてぼくは小説を読み始める。先輩に物語を読み伝える。
いままで何度も繰り返した光景。ああは言ったけれど、ぼくはこの時間を何よりも大切に感じていた。
気がつくと、先輩はいつもどおり眠りに落ちていた。
「おやすみなさい」
その姿を見ながら、ぼくは言った。どうか先輩の頭の中に、この新しい物語が芽吹きますように。
その祈りのような独白が、いつの間にか習慣になっていた。
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