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朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
チョコレートが梅雨の長雨のように毎日降り続き、気象庁は、この異常気象をショコラティエ妖怪と命名した。
ショコラティエ妖怪というのは、東欧の昔話に語られている、30年に一度やってくるたくさんのチョコの雨を降らせる妖怪らしい。
チョコレートが長雨のように続いた結果、人々の生活に影響を与え、経済活動はストップしていた。
全ての用水路は、チョコで詰まり、道路はチョコであふれ、すべての交通機関はストップしていた。
そして、ついには、全てのライフラインを停止させていた。
流通は寸断され、電力が止まり、食料を求めて、各地で暴動が起こったが、いまや、チョコを食べる以外に生き延びるすべはなくなっていた。
ぼくの住む木造の古い家は、雨漏り、いやチョコ漏りがはげしくて、大変だった。
パパはチョコ漏りのする場所にバケツを置き、それを時々取り替えていたが、やがて、降ってくるチョコの量がふえ、バケツを超えた。パパがすごい形相でてんやわんやしていた。どうやらバケツの取り替えで忙しいらしい。このままじゃ、家がチョコでいっぱいになってしまう。ぼくは、家から脱出することにした。
夜になって、リュックに必要なものだけ入れて、道に面した家の窓を開けこっそり外に出た。せっかくなので傘も持たずに僕はちょっと家の周りを散歩することにした。すごくきもちがいい。パンツの中までチョコでびしょ濡れになるのは、意外にもすがすがしく感じられた。
ルンルンと歩いていると、一人の女の子が遠くの方からこちらに向かって歩いてきた。その子も僕と同じように傘をさしていなかった。長い髪は雨に濡れ、またそのか細い体を包む白い服もチョコでびしょびしょだった。
ぼくは、すれ違う時に女の子の顔をのぞいた。女の子もこちらをのぞいた。その瞳には悲しげな光が宿っている気がした。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
ぼくは思い切って声をかけた。その女の子は少しだけ目を大きくさせて、ぼくの方を向いた。
「何ですか?」
「何で、こんなチョコ台風の日に傘もささずに外を歩いているんですか?」
目の前の女の子は少しだけはにかんだ。
「逆にあなたは何で歩いているんですか?」
そのはにかんだ表情でぼくにたずねた。
「ぼくは……チョコが好きだから、全身でチョコを感じたくて……」
「私も同じです」
「え?」
「私は、30年前、チョコがたくさん降る日にある男の子を見たんです。その子は傘もささずにチョコの雨の中を楽しそうに歩いていたの。その子は、チョコの雨が大好きだっていってた。それから、毎年わたしは、世界中のいろんな場所に行ってチョコを降らしているけど、だれも楽しそうじゃないの。もう、チョコはこりごりだって。だから、喜んでくれたあの子にもう一度会いたくて、やってきたの、30年ぶりにこの場所に」
ぼくはそのときはじめて気づきました。
「あなたは、妖怪ショコラティエだったんだね。30年前からずっと子供の姿をした」
ぼくは、よく考えもしないで思ったことをそのまま口に出していました。
「うふふふふ」
女の子は、くすくすとかわいい笑いをもらしました。
「妖怪って言われているのね、わたし。どうりで、世界中どこに行ってチョコをたくさん降らせてもみんなにきらわれちゃうのね」
「ぼくは、好きです」
ぼくは自分自身にびっくりした。今まで告白といったものはしたことがなかったこの僕の口から自然と”好き”というセリフが飛び出したからだった。
目の前の女の子は明らかにとまどっていた。そりゃそうだ。女の子の反応は何らまちがってはいない。
「ごめんなさい。私好きな人がいるので。好きって言ってくれたのは嬉しいけど……」
「そうですよね。急にごめんなさい」
「30年前のあの男の子が好きなの。だから私は男の子の真似をしてこうやって傘もささずに歩いているの。もしかしたら男の子が私に気付くんなじゃないかって。」
女の子がなぜかなしそうなのかが分かった気がした。
「実は、僕、長靴をもっているんです。使ってください」
一夫はそう言って、リュックの中から長靴を取り出して彼女に渡した。
目の前の彼女は明らかに困惑していた。
「それは、あなたが使うものじゃないですか。そういってくれたのは嬉しいけど……」
「いいんです。僕は、びしょびしょの靴のほうが気持ちよくなっちゃったから」
そう言って、ぼくは、走り出した。
公園の角を曲がって振り返って見ると、手を振る女の子の姿が見えた。
「不思議ね。あなた、あの男の子にすごくよく似ている…」
心臓の音が激しくなるのがわかる。あの悲しげな佇まいにぼくは魅了されていた。
「おやすみなさい。また、会えるかな?」
「じゃあ、また、30年後に、ここで会いましょう。おやすみなさい」
その夜以降、ピタリと、チョコレートの雨はとまった。
その後、一切、チョコレートの雨が降ることはなかった。
世界の終わりが来ることはなかった。
ぼくは、成長し、やがて、その女の子に良く似た女性に出会い、結婚することになる。
あの日から30年後、きっと、また、チョコレートの長雨が降るだろう。
その時は、ぼくの息子が、外に散歩にでかけるのを、ぼくは、しらんぷりして、見送ることにする。
ぼくの、お父さんがそうしたように。
あの、女の子に会うのは、ぼくの息子に引き継ごう。
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