1.日常が変化する時はいつも、雨の音がする

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失恋をしたのは高校生活が最後になる三年生の、夏。 「俺さ、彼女が出来たんだ」 「えっ」 幼稚園からの腐れ縁。 常に隣に居た敦也の、突然の告白に。 おれは自分の本心を知ったと同時に失恋した。 「………だからさ、これからは…彼女と帰ったりとか…すると思う。今日は、彼女と帰るわ……」 「……………そう」 外は雨が降っていた。 朝、傘を持ってくるの忘れたなぁと気が付いたけれど、『敦也に入れて貰えばいいか』と思っていた。だけどどうやら、今日は頼りに出来ないらしい。 テスト期間中の放課後は部活動も無いので、取り残されたようにおれ達二人だけになった教室には、雨の音だけが響く。 「………待ってるんじゃないの?行ったら?」 「あ、おう。…お前なぁ、『おめでとう』とか…無いの?」 「……オメデトウ」 「おい!カタコトっ!」 敦也はそんなやり取りに笑って、じゃあ、とリュックを漁って、取り出したそれをおれに手渡す。 「帰るわ。はい、傘。どうせ、今日も忘れたんだろ?」 「…………ご明察」 「じゃ!気を付けて帰れよ!」 片手を挙げて、去っていく彼の姿が教室から見えなくなるまで見送った。 ザーッ。 雨の音だけがする教室。 今度こそ、おれだけ。 おれだけが、まるで世界から取り残されてしまったような錯覚に、右手に受け取った折り畳み傘だけが酷く現実味を帯びていた。 「………傘なんて、」 彼がずっと差してくれていた、二人で肩を並べていた傘。自分で差して、一人で帰るのかと思うといっそ渡してくれない方が良かったのにと少し恨めしく思った。 「あ、お帰り。あれ?傘は?」 「……ん、忘れた」 姉ちゃんこそ、仕事は?と聞けば「有休よ~ん」とにんまり笑う、同じ顔。性別も違うし双子でもないのに、おれと姉はよく似た顔立ちをしていた。違うのは、性別以外には髪の長さくらいなものだ。身長ですら、似通っている。 才色兼備。文武両道。…と謳われた自慢の姉と同じ顔と言うのは、なんだか誇らしく。けれど、重い荷物でもあった。 「今日は敦也くんとは帰らなかったの?」 「…敦也、彼女が出来たって」 「あらま!念願の!」 姉はそんな気軽な会話をしつつ、ソファーに座っていた腰を浮かして洗面所からタオルを取ってきて、手渡してくれた。 「じゃあ、あんた、これからはもう少ししっかりしないとね。保育園の頃からずーーーーっと、あんたの世話役だったもんね、敦也くん」 「………」 おれが顔や腕を拭いている間に、姉はもう一枚のタオルで髪をわしゃわしゃと拭いてくれる。…ちょっと痛い。 「…別に。敦也が居なくても………、」 しかし、言葉は続かない。 ぼーっとしているとよく言われるおれの手を引いてくれたのは、いつも敦也だった。 何故かおれは異性にとてもよくモテて、そのせいでクラスの奴らによく思われない時もあったけど、それでもあっけらかんと笑って、いつも傍に居てくれたのは…敦也だった。 「……………」 黙り込んでしまったおれに、姉は敏感に何かを察したようだった。 「………………私達、ほんと、不毛よね」 「…………」 「……でも私、幸せになるの、ちゃんと…諦めてないよ」 髪を拭く手が、優しくなる。 姉は、同性愛者だった。 こんなに美人なのに。いつだって失恋しては、部屋で一人、息を殺して泣いていたのを知っている。 「…………うん」 なんて言ったらいいのかわからなくて、おれはただ、頷くことしか出来なかった。
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