1.日常が変化する時はいつも、雨の音がする

4/8
前へ
/37ページ
次へ
「っふぅ」 やっと帰宅できた部屋の中で、おれはベッドにダイブした。ぽすん、とふわふわの羽毛布団がおれの体を包み込んでくれる。 (……………疲れたなぁ……) 昼過ぎに、やっと人が疎らになっておれは就職サポート課を後にした。 「また来てね」と柔らかく手を振る神城先生の残像が、何と無く頭に残っている。「折角だから、お昼でも一緒にどう?」なんて言い出しかねないなと思っていたけれど、存外、すんなりと送り出された。 ピロン、とスマホが鳴ったかと思うと、敦也からメッセージが入っていた。 『入学おめでとう。困ったことがあったら、なんでも言えよ』 「……いや、お前ほんと、おれのなんなの…」 敦也らしいメッセージに、哀愁を帯びてフッと笑ってしまう。敦也のおれを想う気持ちは、温かくて、お節介で………そこに、友情以上の何も含まれていなくて、寂しくて。未だに…おれの胸を刺す。 ピロン、と続けてメッセージが入った。 『飛んでいくから』 「…………」 ほんと、なんなの。 こんなに、遠く離れた土地に来たのに。 離れていかない気持ちがあった。 コイツはきっと、本当に飛んできてくれるんだろうなぁと思うと……やっぱり、温かくて、泣きたかった。 『今日ナンパされた』 ちょっとだけ意地悪な心で、そう返した。 どんな反応をするだろう。…まぁ、普通に、『よかったじゃん!』とか『やるぅー!』とか…そんな感じなんだろうけど。 ピロン。 『マジか!可愛かった?』 ほら別に。 …期待したわけじゃない。 嫉妬とか…そんな感情なんて。沸くならとっくに沸いていてはず。おれはこんな感じで、受ける告白は被らない限り受けていたので…彼女が途絶えたことがなかった。高校生活最後の夏までは。 ズキッと寧ろ自分の方が負ってしまったダメージに気が付かないフリをして、返信を打つ。 『男だけど』 『えっ!?なにそれ、ウケる!女だと思われたんか!』 そこに居ないのに、でも遠く離れた地元では同じように、スマホ画面を見ておれとのやりとりを楽しんでる敦也が居るんだなぁと思うと感傷的になる。見えないのに、まるで本当に直ぐそこに居るようで。敦也が『ウケる』と言って笑う顔が浮かんだ。 まだ返信をしてなかったのに、スマホは再び、ピロンと鳴った。 『可愛い顔してるんだから、夜道とか気を付けろよ。ガニ股で歩けよ』 『なにそれ』 『不審者も、ガニ股で歩く女子には引くだろ』 『おれ、男だけど?』 『初見は女だから』 『うっせぇわ』 ふぅ、と息を吐いた。…なんか、でも。元気出た。 うつ伏せに倒れていたベッドからゆっくりと身を起こし、キッチンに向かう。 一人暮らしの物件は、不動産と電話で決めた。部屋や周辺の様子はネットで調べられたし、わざわざこの地まで足を運ぶ必要性を感じられなかったが、母親には大層怒られた。 けれど、写真よりも実際に目で見た方が綺麗な印象を受けた。内装もリフォームが行き届いていて新しく、日の光もよく入り、悪くなかった。ちょっと狭いところも気に入っている。それでも、カウンターキッチンで、バス・トイレは別。申し分ない家賃。大学からは徒歩十分。 作業台の上に置いたスマホがまた鳴って、『あらやだ!秋夜くんが反抗期…!』と敦也からメッセージが入っていたが、未読無視した。取り敢えず、返信より先に腹ごしらえだ。 …とはいえ、まさか。 料理が出来るわけも無く、買っていたカップ麺を漁る。今の気分で味を決めて、ケトルでお湯を沸かす。 『えっ?!お前が一人暮らし…?!大丈夫かよ!』 進学先を伝えた時、敦也の第一声はそれだった。 地元の大学受けるって言ってなかったっけ?は、既に二次試験の際に訊かれていた。試験会場におれの姿が無くて、バレてしまったらしい。けれど頑なに受験しているのがこんなに遠い大学であることはカミングアウトしなかった。 引っ越すから。と、数軒隣の敦也の家を訪ねた時、やっと打ち明けたのだった。 敦也は一通り驚いた後、様々なことを心配して変な顔をした。 大丈夫か?を口を開けば三回に一回は言っていたと思う。生活力ゼロじゃん、とか。生命力もゼロじゃん、とか。 『[[rb:大桐>おおぎり]]は、顔だけお姉さんに似たんだな。いいところは全部、お姉さんに取られたんだなぁ…』 いつかの、教師の言葉。 普通、教師がそんなこと言うか?!…は、敦也の言葉。 いつだって彼は、おれの代わりに怒ってくれた。 確かにおれは勉強もそこそこ。スポーツも得意ではない。家事は一切出来ないし、先に述べたように、人付き合いも苦手だ。 おれは姉ちゃんのことを誇らしく思っているから、顔だけであろうと似ていることは誇らしい。万々歳だ。だから別に、支障なんて感じていなかった。 それにいつだって傍に敦也が居てくれた。 おれの欠けている喜怒哀楽は全部、彼がおれに代わって表現してくれていたから………。 「あっ、」 しまった。 三分計るのを忘れていた。 カップ麺はすっかり汁を吸ってフヤフヤになっていた。 「……」 でもまあ、食べられる。 おれは黙って、カップ麺を空にした。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

134人が本棚に入れています
本棚に追加