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 レストランはタージ・マハル風の時計台に併設されている。黄色を基調にした高級感のある内装で、大理石の床とエキゾチックなシャンデリアが心を躍らせる。キャリーケースを預け、案内役の店員に付いて広い店内を歩く。DONDONカレーの大衆的な店構えとは大違いだなとキョロキョロと見渡しているとハスキーな笑い声が漏れ聞こえてきた。きっと先輩コンサルタントの虎田凛子さんだ。奥の個室に入ると凛子さんが華麗土門理事長と食事していた。 「遅れてすみません!」  大声で謝罪するも気持ちはテーブルの上に並べられた料理に注がれる。カラフルで、スパイスの香りが食欲を刺激する。インド料理のフルコースだろうか。こんなの初めてだ。 「大変でしたね」理事長が労ってくれた。ホームページで見た厳めしさはなく、むしろどこか頼りない。世界一のカレーチェーンの創業者とは思えない覇気のなさだ。 「そうなんですよ。駅前でケンカしている力士がいて」 「急な仕事振っちゃってごめんね!」凛子さんの目が険しい。ああ、そういうことにしたんだ。 「そ、そうそう。大変でしたよ。凛子さんって人使いが荒いんです。僕をパシリのように使うから嫌になりますよ」  凛子さんの目の険しさが増した。コ・ロ・ス・ゾと口をパクパク動かしているような気がするがいったん無視する。 「挨拶が遅れました。今日からお世話になります大太千晴です」名刺を手渡し、土門さんからも受け取る。交換が成立したのは初めてだ。 「理事長って言葉の響きが格好いいですよね。あれ、でも理事長ってDONDONカレーの創業者ですよね? 社長の名刺はまた別にあるんですか?」 「DONDONカレーはもう引退しました。老兵は死なず、ただ消え去るのみですよ」 「いい感じの後継者が見つかったんですね」  理事長は返事せず沈黙が流れる。凛子さんを見ると顔を歪ませ早く座れと目で合図している。また何か変なことを言ってしまったようだ。席に着きお尻のポケットに入れたままのスマートフォンをそれとなく確認すると、凛子さんからLINEで大量のメッセージが届いていた。 【もう始まっちゃうよ? なんかトラブルあった?】【連絡なしの遅刻はプロとしてあり得ない】【あなたと一緒に仕事を続ける自信がない】などなどの小言がたまっている。最新のメッセージでは【事前にレクチャーを受けてるはずだし、受けてなかったとしても基本動作として調べといてほしかったけど、理事長は経営悪化の責任を取ってDONDONカレーを辞めさせられたの】との解説があった。 「ヒアリングの進み具合はどうですか?」 「あまり順調ではないですね。忙しい方が多くて」 「ヒアリングって何でしたっけ?」  痛い! 凛子さんからすねを蹴られた。 「すみません。大太は研修を終えたばかりでまだプロジェクトの中身を十分に把握できていなくて」 「いえいえ。よくご理解いただくためにこの会を持ったわけですし、まっさらな頭で私たち当事者の常識に縛られない提案をしていただくのがコンサルタントの仕事ですから」  理事長はすごくいい人だ。外食産業の経営者って僕みたいな出来損ないに厳しいイメージがあったけど全然違う。 「恥ずかしい話なんですが、ご存知のように当学校法人は経営難の状態にあります。ずっと赤字が続いているんですが、大太さんは学校法人の懐事情についてご存知ですか?」 「いままさに勉強中です」  ウソではない。学校法人はもちろん一般企業の会計もちんぷんかんぷんで、今から勉強するのだ。 「学校法人の収入源は国からの補助金とかOBからの寄付金とかいろいろあるんですが、メインは学生の授業料や入学金なんです。学生さえ確保できれば問題なく回るんですが、中高大でずっと大幅な定員割れが続いています。収入が減っても教員や職員に給料を払わないといけないし、キャンパスを維持するためのお金も必要です。支出が収入を上回る赤字がここ数年続いていて、これはまずいということで」 「僕たちに依頼なされたということですね」 「結果としてはそうなんですが、話には続きがあるんです。コンサルタントに頼むにしてもお金が掛かりますから、まずは自力で何とかしようと考えました。私も経営者の端くれですし、それに今の副理事長が理事会に加わってくれた」  さっき僕を通り魔扱いした乱暴な男だ。思い出すと腹が立ってきた。 「副理事長は日本で一番有名な個人投資家なんです。ITバブルの時にパソコン一つでネット取引を始めて、株式投資で得た数百億円を元手に幅広く事業を展開し現在の総資産は一兆円近いと言われています」  ネットトレーダーだったのか。家に引きこもってずっとパソコンをいじっているイメージだが、あのワイルドな風貌からは想像できない。 「DONDONカレーで社長をやっていたときに知り合って、ここの学園祭に誘ったんですよ。その時に娘の果琳と出会って、一目で好きになったらしい。で、学校の経営が傾いているということで助けてくれることになりました。娘のことを心底愛してくれている頼りになる男ですよ」  出会うのが遅かった。悔しい。と思いつつ、少し違和感もある。果琳さんの一歩引いた態度がやはり解せない。 「副理事長は学校の再建に当たって大胆な構想を披露してくれました。大阪市内へのキャンパスの移転です。今の場所は大阪市民の多くが名前すら知らない大阪府南部の辺境の自治体にあって、駅からのアクセスも悪い。うちの学生は大阪市内や京都、兵庫からの学生が大半なんですけど、少子化で学生の数が減っている中、わざわざこんな田舎まで通おうという人は少なくなっています」  東京生まれ東京育ちの僕としては田んぼが点在する寂しい風景は確かに物足りない感もある。 「大阪市の湾岸部にカジノができるのはご存知ですか? カジノができれば周辺でホテルや商業施設、飲食店がたくさんできて、食に関わる人材が多く求められるようになります。私たちの大学は食をテーマにしていますし、大阪市に拠点を移すのは理に適っているというのが副理事長の考えなんです。万博もカジノの建設予定地の近くで開かれますし、これから一気に盛り上がると期待されているエリアなんですよ」  万博はともかくカジノはあんまり良いイメージがないな。ただ、それ以上に根本的な疑問がある。 「キャンパスの移転ってお金がかかりますよね? 経営状態が苦しいということですけど大丈夫なんですか?」 「副理事長が身銭を削って協力してくれる予定です。それにここの土地を高く買い取ってくれる人が現れたんですよ。副理事長の紹介なんですけど、なんでも物流施設を建てるそうですよ。今やネット通販っておじいちゃん、おばあちゃんでも使うでしょ? だから物流施設の需要が急増していて、ここは高速道路に近いし便が良いそうなんですよ」 「完璧じゃないですか。もう僕たちの出る幕がない」 「それがあるんですよ。今のはあくまでも構想で、学校法人の最高意思決定機関である理事会の決議を経ていない。にも関わらずどこからか構想が漏れて新聞に書かれてしまったんです」 「何が問題なんですか?」 「大学は私が趣味でつくったようなもんですけど、中高は百年の歴史がありますし、同窓生にはそれぞれ思い入れがあります。地域住民の人たちにとっては学生は飲食したり、遊んだりしてくれるお客さんでしょ? だからいなくなると困る人が一定数いるんです。そもそも移転したとして本当に収支は改善するのかという疑問の声も教職員の中にある。新参者の副理事長が好き勝手やっていると反感を抱く向きもあるみたいです」 「移転構想が白紙になっちゃいそうなんですか?」 「まだ分かりません。反対を押し切ってやることもできるんですけど、禍根は残したくないですし、私自身まだ腹がくくれていない。特にこのレストランが入っている時計台には愛着がありますからね」理事長が店の内装を愛でるように見回す。「旧友のポール栄司君に相談したところ、コンサルタントに構想の妥当性を検証させればいいんじゃないかと助言してもらったんです」  そういうことか。よく理解できた。だからまずヒアリングをするんだ。 「お二人は誰にも忖度する必要は全くありませんからね。あなたたちの顧客は私や副理事長ではなくこの学校です。ゼロベースで構想を精査して、必要であれば大胆な方向転換をお願いしますよ」 「もちろんです」凛子さんと声が揃う。 「皆さんのことは心配していないんですが、今一番気がかりなのは犯行予告です」 僕の顔に疑問符が浮かんでいるのに応えるように理事長が続ける。 「キャンパスに通り魔が出たんですよ」 「ああ、知ってます。男子高校生が襲われたんですよね」さっき果琳さんから教えてもらったばかりだ。「犯行予告がされてるんですか」」 「そうなんです。実はキャンパスの移転が関係していまして、七月に新聞がスクープしてから数日後に脅迫状が届くようになったんです。移転を白紙にしないと大学で無差別通り魔事件を起こすという内容でした」理事長は歯の詰め物が取れたような苦々しい顔だ。 「警察に通報して警戒してもらったんですが何も起きなくて、それでも手紙は数日ごとに届いたんですね。犯行日時を指定しているわけでもなく、イタズラだろうということで警察も警備してくれなくなって、私も油断していたんですがこの前ついに被害者が出たんです」 「犯人は捕まってないんですか?」 「はい。キャンパス内で起きた事件ではあるんですが、休みの日の夜だったので目撃情報がないんですよ。生徒は犯人の見た目について赤い服を着ていたとしか覚えていなくて、警察は赤い服を着た不審者を探し回っているんですが難航しているみたいです。そして今も脅迫状は届き続けています。事件以降は相変わらず何も起きない日々が続いているんですが、いつまた犯人がやって来るか分からないので気が休まらないんです。警察にお任せする話ですし二人には直接関係はないんですけど」 「僕が捕まえます」理事長が口を半開きにしたまま固まった。「キャンパスの移転うんぬんよりもまずはキャンパスの平和の確保が優先です。この事件、僕に任せて下さい」  あ! また凛子さんに蹴られた。そんなに変なこと言っただろうか。 「もう時間ですね。そろそろ行かないと」 「いかんいかん。つい話し込んでしまった。じゃあ、お二人とも引き続きよろしくお願いしますよ」
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