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 学校法人職員のオフィスに当たる事務棟は大学キャンパスの裏門に面している。五階建てで、一階は学生の就職相談に乗るキャリアセンターや留学生相談室があり、二階より上に事務局の大部屋や会議室、荷物置き場、秘書室と一体になった理事長室、副理事長室などがある。僕たちコンサルタントも大部屋で職員と机を並べるのかなと思いきや、学校史編纂室という窓がなくカビっぽい小部屋に追いやられていた。 「おかしくないですか? 僕たちは一致団結して学校を改革していく仲間なのにこんな牢屋みたいなところで仕事させられて」  ノートパソコンとにらみ合いをしている凛子さんに話し掛けると高速タイピングする手を止める。 「おかしいのは君でしょ。ミーティングを無断遅刻して、食事中もずっとボロボロのコートを脱がないし。百歩譲ってケンカの仲裁は認めるけど、インコの救出なんてする必要あった? 私たち便利屋さんじゃないんだけど」 「学校にとって良いことだと今でも確信しています。インコには癒やし効果がありますから、逃げてしまったら士気に関わるでしょ」  小さく舌打ちされた。怪しい雰囲気だ。 「私たちの存在価値ってなんだと思う?」 「学校を良くすることでしょ」 「良くするっていうのは具体的には?」 「みんなに楽しく平和に学校生活を送ってもらうことですよね。勉強するだけとか、仕事するだけだとやっぱり生活に張り合いがないですし、エンタメって大事ですよやっぱり。それに」 「ストップ」 「まだ説明がおわってないですから」 「ストップ!」凛子さんが机を叩く。年季の入った机の天板が壊れてしまいそうだ。 「勘違いしているみたいだからちゃんと聞いてほしい。君のこれからの人生に関わるすごく大事なこと」凛子さん、目力がすごい。 「大前提の話だけど、まずはクライアントが求めていることを正確に把握する。その上でクライアントの期待を上回る成果を出し続ける。これがプロの仕事の基本中の基本よ」 「はい。よく分かります。だからこそ僕はインコを助けましたし、理事長が心配していた通り魔を捕まえようと」 「話を聞いて!」また人を怒らせてしまった。「よく分かりますって言ったけど、君がやっていることがクライアントの要求を満たしているとなぜ言えるの? のんきに木登りしている時点では理事長と話したことすらなかったし、超基本の事前調査すらしていなかったよね? それなのになんで自信満々に分かりますなんて言い切れるの? お金を払ってくれる人に対して申し訳ないと思わないの? 君のやっていることはただの自己満足でしょ。プロの仕事じゃない」  確かにそうだ。ぐうの音も出ない。とはいえ言われっぱなしも嫌だ。 「理事長は素人の目線こそ大事だとおっしゃっていました」 「素人が意見するからこそ基本動作を徹底しないといけないんだよ。正直言って君はこのままだと極めて厳しいよ。あえて口にすればコンサルに向いてないと思うし、なぜこの場にその立場でいられるのかが不思議でならない。理事長の質問にまごついていたけどせめて企業会計のことぐらいは勉強してるんだよね?」 「本はざっと読んだんですけど全然頭に入りませんでした」 「呆れた。研修で何をしていたの? ニューヨークで遊んでた?」 「ユーアースペシャルと言われて通常のプログラムから解放されたので、もっぱら観劇してましたよ」 「ユーアースペシャルってどういうことだろう。私が知らない特別な事情があるのかな? でも、はっきり言って君の存在はおかしい。うちの会社が採用するのはトップオブトップの超優秀な学生なんだよ。君がどこ大出身で何を学んできたかなんて興味ないけど、学歴うんぬん以前に考え方とか心構えが全然コンサル向きじゃない」  自分でも分かっていたことだが、何とかなるとだましだまし研修期間をおえた。でも現実は凛子さんが言う通りなのかもしれない。容赦なく責められて耳が痛い。 「不快に感じたらごめんね。でも、私は君を新人としては扱わない。この業界は新人は言い訳にならないし、常に結果を出し続けないといけないの。君がやることは屁理屈を捨てて死ぬ気でキャッチアップすること。分かった?」 「はい」とりあえず言うことを聞こう。 「じゃあ挨拶回りに行きましょう。もうすぐメールを打ちおわるから少し待ってて。コートはここに置いといてね」  凛子さんと職員が集まり作業する大部屋に入ると、道端のゲロに向けるような視線が迫ってきて戸惑う。挨拶をしても反応は素っ気なく、名刺は机の上に投げ捨てられた。僕たちが歓迎されていないらしいことは明らかだった。  一通り挨拶をおえると手持ちぶさたになった。凛子さんが経営企画担当の人たちと話し込み始め、何もすることがない僕はただ立ち尽くすしかない。すると、中年のカバみたいな男性職員が話し掛けてきた。 「スーツがボロボロやん。高い給料もらってんのにどうしたん」 「トラブルに巻き込まれてしまって。見苦しいところお見せして恐縮です」 「高い給料なのは知ってるんやけど実際のところどうなんですか?」  小学生の頃に苦手だった国語の先生に似た女性職員が乗っかってきた。 「うーん、どうなんでしょう。初給料まだだし」 「知らんはずないやん。なあ」  男性職員が女性職員や、聞き耳を立てている他の職員らに呼び掛ける。薄ら笑いが嫌な感じだ。 「ネットで調べたら新卒で大台乗るらしいですよ」 「ほんまに? エリートはちゃうなあ。まだ高校生みたいな顔してからに」  嫉妬されてるなあ。今まで嫉妬されたことがないからむしろ新鮮で良い気分になってきた。 「しっかし頼りないなあ、君。同じ若造でも副理事長とは大違いやわ。あの人は同じエリートでも君とは格が違う。パソコン一つでのし上がった天才や。ハーレーダビッドソンが似合う男らしい人やし、ちょっとは見習った方がええんとちゃうか」 「まだ右も左も分からないですがやる気だけはあります。必ず皆さんの期待に応えてみせます」副理事長と比べられるのは心外だ。若造と言っても副理事長は僕より一回り以上は年を食っている。 「相当こき使わんと割に合わんな。君、これゴミ捨て場に持って行ってくれへん。牢獄に帰るついででええから」 「事務局長! 牢獄は失礼すぎますよ」部下らしき職員が突っ込むが半笑いだ。ていうかこのカバ、事務局長なんだ。 「どう見ても牢獄やろ。で、持って行ってくれる?」  シュレッダーの紙くずが入ったゴミ袋を突き出される。全くもって余裕の仕事だ。 「喜んでやりますよ」職員たちが顔を見合わせる。僕、また間違ったこと言っちゃったのだろうか。 「すみません。この前も言いましたけど、うちそういうのやってないんで」凛子さんが割り込んできた。 「相変わらず固いなあ」 「私たちは便利屋ではありませんから」 「ちゃんと給料分働いてな」 「もちろんです。給料分以上に働きますよ」凛子さんが言い切った。格好いい。僕も加勢するぞ。 「通り魔は僕に任、あ!」ヒールで足の甲を踏まれた。すみません。黙ります。 「通り魔ねえ。次から次へとトラブルばっかりやわ」  事務局長らの顔が曇る。よく見ると部屋の入口付近に刺股がある。みんな暴力の影におびえているのだ。なおさらのこと放っておけない。  学校史編纂室に戻ると疲れが一気に出た。大部屋は居心地が悪かった。 「なんでゴミ捨ての仕事断ったんですか?」  高速タイピング中の凛子さんの手が止まる。 「私たちの仕事じゃないでしょ」 「凛子さんのそういう非協力的な態度が反発を招いてるんじゃないですか」言い返してやった。さっき正論で追い詰められたので仕返しだ。 「ヒアリングは徐々にではあるけど進んでいるんだよ。来たばっかりなのに分かったようなこと言わないで。それに」 「トイレ行ってきます」  ロジハラはもう勘弁だ。凛子さんは返事せず再び高速タイピングを始めた。  トイレを探して歩いていると給湯室と書かれたスペースから煙が上がっている。火事だと思い消火器を持ってダッシュで駆けつけるとカバ顔の事務局長がタバコを吸っていた。「キャンパス内禁煙」と書いた貼り紙が目の前にあり、ルール違反だ。換気扇を回しているとは言えタバコの煙は廊下にまで漏れていて、臭くて不快だ。 「事務局長」 「なんや? おお、コンサル君か」 「ここ禁煙ですよ」 「分かってるよ」 「じゃあ吸わないで下さい」  事務局長はタバコを流し台の水滴に押し当てて消し、吸い殻をゴミ箱に捨て不機嫌な顔で歩きだした。僕は腹が立ったので吸い殻を拾い、事務局長のポケットに突っ込む。 「ケンカ売ってんのんか!」  胸ぐらをつかまれ、下半身の怪物がうずき出した。あの人は事務局長みたいなどうしようもないおじさんに過敏なのだ。コートを学校史編纂室に置いてきたのでこのままだと誤魔化せないので前かがみになり耐える。 「そういうわけじゃないんです。ルールを守ってほしかっただけで」 「クソガキ!」  床に引き倒された。痛みで怪物が大人しくなったのは良かったが、普通ここまでする? 引き下がれないので立ち上がり、事務局長が再び捨てた吸い殻を拾いポケットに突っ込み直す。 「君なあ」 「せめて持ち帰ってください」 「みんな昔からここで隠れて吸ってんねん。学校法人華麗学園の伝統なの」 「伝統じゃないですよ」別のおじさんが加わったと思ったら、駐輪場で嫌みな対応をしてきたひょろ長の秘書室長だった。 「事務棟がある大学キャンパスは中高キャンパスと違って歴史が浅いですから伝統なんてないです」 「そういうこと言うてるんちゃうんよ」 「何度も注意しましたよね。教職員や学生に示しが付きませんよ」 「ほな、またリークするんか。知り合いの新聞記者に」 「あなた何を言ってるんですか」秘書室長の顔が引きつる。 「キャンパス移転構想をブン屋に漏らしたのはあんたちゃうんかって噂があるやん。どうなん。反論せえへんの」 「事務局長の妄想でしょ」 「構想を知る立場にあった幹部の中で明確に反対していたんは秘書室長だけやからそら疑われるやろ。ところで君はキャンパス移転についてどう思う?」急に話を振られた。コンサルの役割は素人目線で意見することだ。 「カジノとセットなんですよね? 僕、タバコもそうですけどギャンブルも嫌いなんで反対ですね」 「君の好き嫌いの話をしてるんとちゃうねん。コンサルやろ? 学校の経営にとってどうかという話を論理的にしてくれよ」 「生理的に受け付けないってことですよ。彼は多くの人の意見を代弁してくれました」秘書室長が勢い付く。 「勝手に代弁さすなよ」 「意見するのがコンサルタントの仕事なんで」僕がかぶせる。この非常識カバ野郎を黙らせないと気が済まない。 「君、さっきから調子乗ってないか」  事務局長に再び胸ぐらをつかまれる。上等だよ。 「ちょっと!」振り返るとトゲトゲしい目をした凛子さん立っていた。 「申し訳ありませんでした! 事務局長!」  凛子さんが頭を下げる。なぜこちらが謝るのかと疑問を顔に出したのにお構いなく凛子さんは僕の頭をつかみ強制的に下げさせた。 「全然教育がなってないわ。いくら気に食わんからといってもタバコの吸い殻をポケットに入れるか? 服が燃えたらどうすんの? 君らマナー講師じゃないやろ! 万年赤字の学校を再建しに来たコンサルタントなんやろ!」話しているうちにヒートアップし声がどんどん大きくなる。 「お言葉ですが」 「黙ってて!」  言い返そうとすると目を見開いた凛子さんに威嚇される。とりあえず今は従おう。納得してないけど。 「よく言い聞かせておきますので今回はご容赦いただけますと幸いです」 「もうええわ」事務局長はポケットの吸い殻を指で床にはじいて視界から消えた。 「あなたも移転に反対してるんですね」秘書室長が猫なで声ですり寄ってくる。気持ち悪い。 「どっちかっていうとそうですね。まだよく分かってないですけど、カジノができると治安が悪くなりそうだし嫌じゃないですか」 「そうですか。あなたとは仲良くできそうです。頑張って下さいね」秘書室長はぎこちない笑顔を見せ歩き去った。 「なんだったんでしょうね」凛子さんに意見を求めるとブチ切れていた。人さし指を天井に向け、そのまま歩き出した。付いてこいということだろう。  黙って階段を上り続け、突き当たりのドアを開けると屋上に出た。学校の屋上ってなんかだかワクワクするが、仁王立ちする凛子さんの後ろ姿を見ていると胃が痛くなる。 「気持ちは分かるよ。ルールを無視してタバコを吸って、注意されたら逆ギレするなんて言語道断。火事になりかねないし君がしたことは正しい。ああいう場面で躊躇なく注意できるのは君の美点だよ。それは認める。言うべきところではちゃんと言わないといけない仕事だし、嫌われたらどうしようとか悩むことすらしない君はすごい」 「ありがとうございます」やけに褒めるな。逆に怖いよ。 「でもね、吸殻をポケットに押し込むのはあんまりだよ。やり方ってあるでしょ。そんなことしたら君が悪者になっちゃうよ。事務局長のことよく思ってない人も多いし、職員のみんなを味方に付けることもできるのに、君の軽率な振る舞いのせいで逆に責められることになりかねない」 「すみません。ああいう非常識な人を見るとすぐ火が付いちゃうんですよ」 「フットワークが軽いのは素直に褒めるけど、動き出す前に少しでいいから考えるようにしたらいいんじゃないかな」 「はあ」さっきはめちゃくちゃ詰めてきたのに、打って変わって優しくなった。 「コンサルになったんだから仮説思考とか、イシュードリブンとか、PDCAとかって聞いたことあると思うんだけど」 「ないです」 「ないのかよ」凛子さんが引いている。そんな非常識なことを言ったのだろうか。 「動き出す前に少しでいいから考えろってこと。考えすぎて動けないのは駄目だけど、行き当たりばったりも効率が悪すぎるんだよ。君はコンサルにしてはかなり変わってるけど、良いところはあるんだからもって考えて行動して」 「キャー!」  女性の悲鳴だ。通り魔か? 猛ダッシュで柵まで駆け寄り声の主を探す。人だかりができているが緊張感がない。 「アイスクリームを落として叫んだだけみたいです」 「なんだ。それにしても君、悲鳴に対する反応速度すごいね。ほんと変だよ」凛子さんが笑う。笑っている方が百倍素敵だ。 「親譲りなんですよ」 「熱血刑事とか?」 「さすがですね。正解です」 「当たっちゃった。適当に言っただけなんだけど」 「父親が刑事でした。僕が生まれる前、追っていた殺人犯に刺されて死んじゃったんですよ。父親のことは当然覚えてないんですけど、正義感だけはしっかり遺伝しちゃったんです」 「大太君は何も考えずに行動するという欠点はあるけど、その正義感は素晴らしいと思うよ。私たちが介入する現場は正論が通らない機能不全の組織が多い。君みたいに嫌われずに正論を吐けるのは大事な才能だよ。SNSで匿名でつぶやくならまだしも、君の場合は生身の体でぶつかっていくんだもんね。偉いよ」 「全然ですよ。僕、ほんと駄目人間なんです。正義感ばっかり強くて、それに見合った能力がない。だから今までいろんなトラブルに顔を突っ込んで、かき乱すだけかき乱して何も解決できずに生きてきました。父親は腕っぷしが強くて頭も切れたみたいですけど僕は全然です。母親は僕が父親みたいに早く死んでしまうんじゃないかと心配して、千晴っていう女の子みたいな名前を付けて大人しく育てようとしたみたいなんです。でも、腕力も知力もないのに正義感だけはしっかり遺伝した。最悪のパターンです。いろいろあって体の一部だけ腕白になりましたけど」 「体の一部が腕白ってどういうこと?」 「いや、あのー、まあなんにせよ天国の父も母も喜んでいると思います。僕がちゃんと就職できて」 「お母様も亡くなったんだね」 「僕が中学生の時に病気で死んで、それからは祖父母の家で育ちました」 「君も苦労してるんだ。それに比べたら私なんて全然だわ。両親は今でもめちゃくちゃ元気で、口も達者だし本当に電話するたびムカついてる。父親なんて昔気質の九州男児で、女が自由に生きていくことに不寛容なの。どれだけ仕事で成果を出しても全く評価してくれない」  凛子さんにもいろいろあるのだ。ただ怖いだけの人だったけど親近感がわいてきた。 「ところで特殊能力って何なの?」不意を突かれて驚く。 「もしかしてポール栄司さんから聞きました? 絶対に誰にも言わないでってお願いしたのにあいつふざけやがって」 「私が無理やり聞き出したんだよ。君があまりにも規格外だから心配になって電話したら、スペシャルな才能がどうこうって言うから気になったんだよね。詳しくは本人に聞いてくれって言われたんだけど」 「大したことないですよ。忘れてください」 「めっちゃコミュ力が高いとか? さっき職員と仲良くなるためにゴミ出しは手伝うべきだって言ってたよね」 「ある意味でコミュ力は高いかもしれないですね」  視線をそらすと、地上を巡回している制服姿の警察官が見えた。 「警戒してるんですね。それにしても数が少ないような気がするなあ。いつ通り魔が来るかもしれないのに」 「今も脅迫状は届き続けているわけだけど、いつ犯人が来るかわからなから仕方ないよ。警察も忙しいし、ずっと大人数体制を維持するのは難しい。だからほら、学校がお金を出して警備員も増やしたの」確かに警察官と似た格好の男女が警戒して立っている。 「ほんとですね。でもなんか頼りないなあ。頑張れば突破できそうな気もするし。そうか。僕が警備の穴を埋めればいいんだ。うまくいけば捕まえられるかもしれないし」 「ん? なんて?」 「ちょっと行ってきます」 「待って!」  善は急げだ。考えることが大事だと凛子さんから忠告を受けた。どこで犯人を待ち伏せするべきか、長時間の張り込みに向けて何を買い込むべきか走りながら考える。
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