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考えた結果、駐輪場近くの溝の下に潜り込み犯人を待つことにした。果琳さんと出会った際に名刺入れを落とした溝だ。
キャンパス内を巡回する警察官や警備員は頼りになるものの目立つため犯人は警戒して尻尾を見せないだろう。しかし、溝に潜り込めば犯人の意表を突き捕まえることができると判断した。
正門や裏門、キャンパス中心部でもよかったが、身を隠せる溝がそばになかったので駐輪場近くを選んだ。駐輪場のそばには腰の高さぐらいの柵があるので犯人が乗り越えて侵入するかもしれない。が、いつ来るかは定かではないので、食料を買い込み寝袋も持ち込んだ。最低一週間は張り込める装備だ。以前の僕であれば正門で仁王立ちし犯人に鼻で笑われていたことだろう。凛子さんの助言で成長できた。
問題はパンチラだ。溝に潜んでいると数多くの人が無防備に歩く姿を見上げることになる。図らずも格子状のフタ越しにパンチラが目に入り罪悪感がないわけではない。果琳さんが通りがかったらどうしようと考えると心がときめく。しかし、それでも多分体は反応しないだろう。
「暗くなると本当に怖いよ。あの辺から犯人が出てきたりして」
「ちょっとやめてよ」
本日五十一人目、五十二人目のパンチラだ。夜になり徐々にキャンパスからひと気がなくなっていく。今日は何時に寝られるんだろう。ここ数日、キャンパスから誰もいなくなって完全に静まり返ってから寝ることにしているのだ。凛子さんからLINEで続々とメッセージが届くが無視をする。僕は僕のやり方を貫く。
「う!」
男のうめき声が聞こえた。何だろうと神経を研ぎ澄ましていると目の前をオレンジ色のパーカーを来た細身の男が走り去り、ガシャと柵を乗り越えたような音がした。
「うわー!」
悲鳴だ! さっきのはもしかして犯人? 助けに行かなきゃ! しまった。溝のフタが開かない。どうなってんの? 開けよオラ! オラ! 蹴り続けてもびくともしない。せっかくのチャンスなのにもう!
「この辺にまだいるかもしれない! 徹底的に探せ!」
「どこだ! 卑劣な通り魔野郎!」
足音と男の声が響く。警察官がやって来たようだ。出してもらおう。全く自分が情けない。
「おーい」
「ん? なんや?」
「こっちこっち! オレンジ色の奴が逃げたって!」若い警察官と目が合う。
「うわ!」
「どうした?」
「溝の中に男が!」
「ほんまか!」
「しかも迷彩の服を着てますよ!」
「犯人やんか! 絶対に逃すなよ!」
一体どうした? すごいヤバイことになってきた。かといって逃げるのは不自然だし、そもそもフタが開かないから逃げられないし。あ、開いた。と思ったら中から引きずり出された。
「この男ですか?」
屈強な警察官が僕を羽交い締めにし、目の前には白いワイシャツを赤く染めた秘書室長がいた。警察官がタオルで背中を押さえていて、前回の被害者と同じく背後から切りつけられみたいだ。
「いやー、どうでしょう」
声が震えている。ていうか、なんか変だな。何が変って言えないけど引っかかるし、下半身のご意見番がなんだかうるさくなってきた。
「先輩! こ、こいつ」
「お前、ちょっと、ええ?」
視線が僕の体の一部に集中する。
「通り魔サイズや!」まずいことになった。誤解だ。
「午後九時五十一分! 傷害容疑で緊急逮捕!」
地面に組み伏され、手錠をはめられた。このキャンパスは土も草も相変わらず最低の味だ。
取調室に姿を見せたのは親しい顔だった。熱血刑事だった父の親友の鬼塚さんだ。警視庁の所轄刑事課時代の相棒で、父が亡くなってから家庭の事情で地元の大阪府警に転籍した。父のいない僕を不憫に感じたのか、子どもの頃に何度か遊んでくれた。今や府警本部捜査一課を引っ張る存在らしい。
「相変わらず無鉄砲やな。親父と一緒や」
「面目ないです」
「おれがたまたま署に寄る用事があったからよかったけど、下手したら犯人やと勘違いされたまま長期間留置所にぶち込まれたんやで? しかも通り魔とは別の意味でアウトやしな。大学の溝に潜む覗き魔なんてワイドショーの格好のネタやわ」
「違いますよ」
「もちろん分かってるけど、お前のこと知らない奴が取り調べに当たったら一発アウトやねん。よくテレビでアホなわいせつ犯がワゴン車の後部座席で情けない顔さらしてるやろ? あれは捕まった後に検察庁に身柄をいったん送るタイミングでおれらがあえて撮らせてるんや。変なことしたらさらし者になるんやぞっていうメッセージを犯罪者予備軍に送るためにな」
「すみませんって言ってるじゃないですか」
今さらながら危ない橋を渡っていたんだなと驚き心臓がバクバクしてきた。鬼塚さんがいて本当に助かった。
「しかも被害者の目撃証言ぴったしの服装してたし、カッター持ってたし」
「服装はたまたまです。迷彩の方が雰囲気出るかなと思って。あとカッターは護身用ですよ」
「分かってるよ。今回は運が良かったで。おれがいたこともそうやし、被害者が犯人はお前じゃないって証言して、カッターから血液反応も出えへんかった」
本当にそうだ。首の皮一枚でつながった。でも疑問がある。
「なんで秘書室長は僕が犯人じゃないって断定できたんでしょう。犯人も同じような迷彩の服を着ていたそうですが、僕じゃないと断言できる根拠はあるんですか?」
「やっぱり迷彩じゃなかったと言っている。犯人は黒っぽい服装だったと証言を変えたんや。見間違いやって。あと、顔は見てないらしいわ。後ろから切りつけられて、走って逃げる後ろ姿しか見ていないらしい」
「黒と迷彩を見間違えるかな。それに僕、オレンジ色のパーカーを来た不審者を見てるんですよ。秘書室長の悲鳴が聞こえる前ではあったんですけど」
「おれも変やなとは思うけど、たまたま近くにいた大学教授も黒っぽい服を着た不審者が秘書室長の背中を切り付けて逃げるところを見たって証言してんねん。忍者グルメの研究をしている変わり者らしいで」
「忍者グルメ? なんだか素敵ですね。いや、そんなことよりおかしいですよ。じゃあ僕が見たオレンジ色はどうなるんですか?」
「どうせ見間違いやろ。お前、そそっかしいから。それにずっと溝の中にいて目が疲れてたんちゃうん?」
「ひどいな。確かに見たのに。監視カメラには映ってないんですか?」
「自転車置き場の周辺にはない。トラブルがあって壊れてたらしい」
「ああ、そうだ。思い出した。それ僕が壊したんですよ」
「なんで壊したんや」
「インコを助けようとして木登りした時につかんじゃったんですよ」
「ほんまそそっかしいやっちゃな。あえて監視カメラのない死角を見張ってたのかと勘違いしてたわ。どうも自転車置き場の脇の柵から侵入したっぽいんや。他にも侵入できる場所はあるけどカメラがあったり、警察官や警備員が見張ったりしていて難しかった」
「僕が見たオレンジの人も柵から出て行ったんですよ」
「やとしても黒服じゃないとおかしい。疲れてんねん。シャワーも浴びずに何日も張り込んでたんやろ? 臭うねんけど」
鬼塚さんが鼻をつまむ。体臭は気になるけど、それ以上に釈然としない気持ちの方が強い。いくら疲れていたとは言え黒とオレンジを間違えるだろうか。
「本部長がカンカンに怒ってるわ。テレビや新聞が警察の手落ちみたいに報じるからな。ま、今は他にニュースがありすぎて助かってるけど」
「僕にできることはないですか?」鬼塚さんが困っている。助けなきゃいけない。
「ない。余計なことせずに大人しくしといてくれ」
「悔しいけどそうします。ちなみに僕はいつ出られるんですか?」
「いつでも出られるで」
「じゃあ早く出してくださいよ」
「そんなに焦るなよ。久々の再会やのに。それにしてもお前、立派になったな。コンサルってめちゃくちゃ頭使うんやろ? お前らしくないな。勉強なんて全くできひんかったのに」
「頑張りましたからね」ウソだ。頑張ってはいない。特殊能力のことを相談できればどれだけ楽になれるだろう。なぜ躊躇するのか。恥ずかしいから? 自分の中でまだあの人のことをうまく整理できていない。
引っ越してきたばかりの駅前タワーマンションの前で果琳さんを待つ。自宅デートだったら最高だがもちろん違う。インコのクミンちゃんを譲り受けるのだ。鬼塚さんに体臭を指摘されたのでシャワーを浴びて準備は整っている。
約束の十分前に鳥かごを抱えた果琳さんが登場した。名残惜しそうにクミンちゃんとアイコンタクトを交わす姿が愛おしい。
「クミンチャン! クミンチャン!」
僕に気付いたクミンちゃんが挨拶をしてくれた。自分の呼び名をくり返し話すのはインコあるあるだ。祖父母が以前飼っていたインコもやっていた。
「本当にありがとうございます」
「むしろ感謝するのは僕ですよ。にぎやかになりそうなんで今から楽しみです」
「違います。クミンちゃんのこともそうですけど、通り魔を捕まえるために大活躍したと聞いてます。泥だらけになって大立ち回りをしたとか」
鬼塚さんの粋な計らいのおかげか、良いように伝わっている。
「いやー、現場をかき回しただけで何もしてないですよ。お恥ずかしい」持つべきものは父の親友。ただ、あまり深掘りされないうちに話題を変えないと火傷しかねない。パンチラ大好きマンと思われたらたまらない。
「住み慣れた場所を離れるのは大変ですよね。私も就職して東京で一人暮らしを始めた時は慣れないことだらけでよく泣いてました」
「東京にいたんですね」
「あ、上司の方から聞いてないんですね」
「初耳ですけど」果琳さんがふーんと納得した顔を浮かべる。
「一年だけDONDONカレーで働いてたんですよ。そんなことよりクミンちゃん騒がしいけど大丈夫かしら」
「最上階から三フロアを借り切ってるんで心配ご無用です」
果琳さんが不思議そうな顔をしている。もしかしたらDONDONカレー創業者令嬢の果琳さんの実家より広いかもしれない。理事長は社長の座を追われて金銭的に余裕がないようだし。
「僕、自分で言うのもなんですけどボンボンなんですよ。インコの扱いに慣れたお手伝いさんを雇うこともできるし安心して下さい」
亡くなった母はいわゆる良家の娘なのだ。これまで散々無茶して幾度となく生死の境をさまよったが、それでも生活できているのは祖父母の財力によるところが大きい。
「なら安心ですね。図々しいことを言って恐縮なんですけど、たまに会いに行ってもいいですか?」
「たまにと言わず毎日でも来てください。何なら合い鍵もお渡ししますよ」
「合い鍵はさすがに悪いですよ」
果琳さんが笑った。ラブリーで上品で本当に最高だなあ。
「キャー!」
悲鳴だ。通り魔か? 両手を広げ果琳さんをガードしつつ警戒したが異常はない。
「イヤーン!」
「また叫び声がした。くそ! 現場は一体どこなんだ!」
「その変な声、クミンちゃんなんです」果琳さんが申し訳なさそうにしている。
「キャー!」確かにクミンちゃんが叫ぶのを見た。
「最近覚えたんですよ。全く心当たりはないんですけど」
「この前学校で聞いた悲鳴って果琳さんじゃなくてクミンちゃんだったんですね」
「バカーン!」クミンちゃんが叫んだ。にぎやかというレベルを軽く超える騒々しさだ。心配だがちょくちょく果琳さんが来てくれるみたいだし良しとしよう。
果琳さんと別れてマンションのエレベータ前で待っていると、扉が開いて見覚えのあるリーゼントヘアと目が合った。副理事長だ。
「クミンちゃん! クミンちゃん!」クミンちゃんが叫ぶ。敵の登場に殺気立っているのだろうか。
「なんで兄ちゃんがここにいるんだ。それにその鳥どうしたんだよ」
「最近引っ越してきたんですよ。クミンちゃんは僕が預かることにしました。学校には置いておけないし、果琳さんの家でも飼えないそうなので」
「キャー!」クミンちゃんが叫んだ瞬間、副理事長の眉間に力が入るのが分かった。
「近所迷惑だから捨てろ」
「嫌です」即答だ。なんでそんなことまで指図するんだ。
「隣近所の人の安眠が妨害されるだろ。動物の鳴き声って響くんだよ。壁一枚じゃどうしようもならないからな」
「最上階の三フロアを借り切ってるんで、一番上のフロアで飼えば問題ないですよね」
「イヤーン! バカーン!」クミンちゃんが悲鳴を上げ、副理事長があからさまに舌打ちをする。
「新人の癖にお金持ちなんだな。兄ちゃんも俺みたいに株で一財産作った口か」
「全て祖父母に用意してもらいました。僕、ボンボンなんですよ。副理事長や果琳さんと同じです」
「俺を兄ちゃんたちと一緒にするな」
「でも株なんて裕福じゃないとできないじゃないですか」
「種銭は大きいに越したことはないが、俺はバイトでこつこつためた金で勝負を重ねてここまで上り詰めたんだよ。兄ちゃんみたいな苦労知らずのボンボンとは違う」
「キャー!」
「そのうるさい鳥を黙らせろ!」ブチ切れている。副理事長はさっきから何が気にくわないのだろう。
「兄ちゃん、今から引っ越しの準備しといた方がいいぞ」
「どういう意味ですか?」
「言葉通りだよ。口だけの無能な紙芝居屋は首を切る。大人しく東京に帰って大好きなおじいちゃん、おばあちゃんに甘えてろ」副理事長は散々毒を吐いて姿を消した。
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