紅い月はおやすみ

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「おい、そこの君。おい、無視すんな。助けろ。」  大学受験の夏期講習の初日、駅前で、どこからか声をかけられた。声から若い女性と推測されるが、あたりを見渡しても、誰もいない。勉強のし過ぎかと首をかしげる僕に、またもや声がかかる。 「どこ見てんだよ。私はここ。歩道橋だよ。」  言われてみると、確かに歩道橋の上に人がいた。メンドイって思ったけど、性格の悪い奴は合格しないと予備校の先生が言ってたもんで、渋々、歩道橋を駆けあがる。 「遅い。ほら、これの片方を探せ。」  今まで会ったこともない、名前も知らない女の人に、イヤリングを探すように高飛車に命令される。勉強で疲れている上に、お腹が減って力が出ない。何故か紅い月の下、薄暗い歩道橋に両膝を付いてイヤリングを探させられる僕って、何て不幸なんだ。今日の星占いはきっと、最下位だったに違いない。  大きくため息をついた僕の視界の片隅に、キラリと光る物体を見つけた。近寄ってみると、片方のイヤリングだった。 「あのう、これですか。」  これでやっと解放されるって、見つけたイヤリングを差し出す僕に、その女の人は激しく抱きついてくるではないか。 「ありがとう。君、よくやった。」  まあ人並みに恋愛経験がある僕だが、年上の女性、よく見るとかなりの美形に、胸が激しくときめく。意外と胸も大きい。短く整えた髪の匂いと香水、汗の混じった匂いに頭がクラクラする。ヤバイ。 「あのう、では、僕はこれで。」  頭の中で今日の夕ご飯は何かなって必死に考える僕の左腕を、ワニの顎のように掴まれた。 「このまま帰しては、私の女がすたる。付いてこい。夕ご飯、まだだろう。驕るから。」 「嫌、でも。」 「五月蠅い。男は黙って、飯だ。」  どこまでも理不尽だ。あきれるが、お腹が減って反抗する体力もない。正直、この女性に興味を抱いたのも事実だ。 「ほら、ぐずぐずしないで、入れ。」  連れてこられたのは、駅裏の小汚いラーメン屋だった。 「親父、いつもの。二人分。」  店の常連らしく、注文する。どこまでも、僕に選択権はないらしい。 「ありがとう。改めて、礼を言う。死んだ恋人からのプレゼントだ。」 「・・・・・・・・」  料理が出来上がるまでの時間に、そんなこと言われても、驚くしかないじゃないか。黙っていると、不服そうな顔で睨んでくる。迫力あるぞ。 「あのう、恋人さんは、どうして。」  その時の嬉しそうな表情って、スゴイ。網に蝶がかかったときの女郎蜘蛛が人間になったら、こんな顔をするんだろうな。  ラーメン、焼き飯、から揚げ定食が運ばれてきたが、その女性は、よく食べ、よく喋った。おまけに、気分が良いらしく、餃子と生ビールを追加注文するでないか。  予想に反して、今まで食べた中で上位に入るほど美味しい定食だったが、味わう暇などなく、ただただその女性のしゃべくりに圧倒された。 「親父、生ビールおかわり。」  刑事であると聞かされて、逆らうのが怖いのもあるが、死んだ恋人との出会いから始まり、思い出話、死んだときの話が実に興味深かった。  恋人は、やはり殉職。それも、新米刑事だったその女性をかばって犯人に撃たれたらしい。事実は小説より奇なり。不謹慎だが、テレビの刑事ドラマより面白かった。 「おい、おい、竜子ちゃん。いい加減にしろよ。学生さん、困っているじゃないか。」  三杯めの生ビールを注文しようとした女刑事を、たしなめる。 「その名前で呼ぶのはやめてよねって、いつも言ってるだろう。」  そう言いながらも、実の父親も刑事で、ある有名な昭和の刑事漫画に登場する女刑事の名前を付けたことも、ニコニコと説明してくれた。今度、勉強で疲れた時、スマホで探すとしよう。 「親父、お勘定。釣りはいらねえぜ。」  竜子さんは、一万円札をテーブルにバシッと置いた。 「毎度ありがとうございます。気を付けて帰りなよ。」  親父さんに見送られて僕たちは外に出た。紅い月だった。  竜子さんは、ポカンと見上げる僕を、いきなり後ろから抱きしめる。 「今日はゴメンな。付き合わせて。楽しかったよ。お母さんを大切にな。じゃっ、おやすみ。」  耳元で謎の言葉を残して、竜子さんは、颯爽と去って行った。  頭の中に疑問符が飛び交う僕は、そのまま家に帰るのもはばかられ、ラーメン屋に舞い戻った。 「いらっしゃ・・。やっぱ、来たかい。まあ、そこに座れや。」  親父さんは、一枚の写真を見せてくれた。そこには、親父さんを中心に竜子さんと亡くなった元カレが写っていた。 「えっ~。」 「だろう。ワシも学生さんが入って来た時、驚いたよ。」  元カレは、僕にそっくりだった。でも、僕には兄はいないはずだ。母から聞いたことはない。僕のアルバムにも、写真は一切ない。 「学生さん、名字は。」 「佐藤ですが。」  素直に答える僕に、親父さんは首をかしげる。 「オカシイな。確か、加納だったような。」 「えっ、加納。それは、僕の小学校一年生までの名字です。母は、再婚しました。」 「と、なると、元カレは、前の旦那さんとの間との息子さんだね。」 「そうなりますかね。」  僕と親父さんは、深くて長いため息をついた。親父さんの記憶が正しければ、今日が、その元カレの命日らしい。  今度こそ、親父さんに見送られて、家路を急ぐ僕であった。 「只今、戻りました。」 「お帰りなさい。」  義父はまだ残業で帰ってないらしく、母親が出迎えてくれた。 「ご飯は。」 「いらない、マックで食べてきたから。」 「そう。」  それ以上、母親は、何も言わなかった。  僕は竜子さんのことや、僕に兄がいたかどうかを聞きたかったが、全力で我慢した。そろそろ、義父が帰ってくる時間だし、母親の古傷をえぐるような真似はしたくない。それに、義父は仕事熱心だが、家族思いで、僕も大好きだった。 「シャワー浴びて、そのまま寝るから。おやすみ。」 「うん、わかった。おやすみ。」  僕は、シャワー室に逃げ込む。服にはラーメン屋独特の匂い、そして何より竜子さんの匂いがしみ込んでいる気がしてしょうがなかった。僕は、消臭剤を吹きまくり、洗濯機に投げ込んだ。  自分の部屋に戻り、ベッドに入るが、なかなか寝付けない。窓を開けると、紅い月は雲に隠れていた。 「おやすみかい。」  僕は首を振りながら、ベッドに戻るのであった。    
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