3 名前

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 結局、いつのまにか物理的に画面の彼を手放すまで、見ることをやめられなかった。絶えずあくびがこぼれ、少しの頭の痛さに寝不足を痛感する。  どうにか大学生活をやり過ごし、隙があれば音もなく画面を見た。電池はすぐになくなり、コンビニでモバイルバッテリーを買う羽目になった。 「早く来ないかなぁ」  会う約束などしていないのに、会うつもりでいた。  待ち時間、画面の彼を見ていてもよかったけれど、現実の赤曽根さんがおれを見て逃げることを考えるとよそ見はしていられない。スマホに彼を映し出し握ったまま、静かな公園内の音を探る。街灯に虫がぶつかるコツコツという音はあれど、風はなく葉が揺れる音もしない。自らさんざんに振りかけた虫除けの匂いが服にまだ残っているが、手のひらについてしまったべたつきはもうない。  また、あくびが一つ。滲んだ視界で街灯がぼやけた。 「あくびしてんじゃねーか。お子様は帰って寝ろ」  突然降ってきた親切なご提案は待ちわびていた赤曽根さん。 「成人してます」 「へぇ」  興味なさそうな返事。 「赤曽根さん、見てください。この20秒のとこの手の振りすごく可愛いと思いませんか」 「可愛い?」 「ほら」  小さな画面をのぞき込む。たったの54秒は最初から再生しても大した待ち時間は発生しない。 「次くらい」 「これ……」  赤曽根さんに見せつつ画面を覗く。  目の前には彼の頭があって、いつも通り走ってきたはずなのに汗のにおいはしなかった。 「これ俺じゃん」 「そうです」  あほか、と口の中で呟くように言われた。 「可愛いですよねこれ。このパッパッて手で払うみたいなところ」 「それはお前の感想だから何でもいいけど」  馬鹿にされるかと思ったけれど否定されなかった。でも少し呆れるようにして、赤曽根さんは肩を落とした。 「これ何? 三年前? また古いもんを」 「おれの好きな赤曽根さんの癖はあるけど、今のほうが洗練されてる感じはしますね」 「そう? どーも」  赤曽根さんは意外にも嬉しそうにしてくれて、おれも嬉しい。 「まだDVD買えてないのでずっとこれ見てたんですけど、いいなぁって思っちゃうんですよね」 「やればいいじゃん。これ俺が最初に習った先生だよ」 「おれ運動神経がないのでそれは、見るだけでいいんですけど……これ最後まで見ると『リョウ』っていつも呼んでる人がいてそれが」 「呼べば?」 「え」 「俺のこと名字で呼ぶ奴めったにいない」  まったく特別ではないが許可を得た。いっそ名字で呼び続けるほうが――。一瞬何か思ったけれど、素直にみんなと同じになることにした。 「てかDVDって、探したのか」 「探しました。けどあんまりないんですよね。さすがに映ってるかわからないものにお金を出す気はないし」 「簡単に一万出してくるのに」 「それは、分かってるじゃないですか。好きが目の前にあるんだから疑いようがない」  コンサートツアーに参加していたことがわかっても、映像化されたタイミングでいるのかわからなかった。ダンサーの名前は複数あり、映像は当たり前だが複数撮影し継ぎはぎされている。 「今日は踊ってくれますか? あと、あの……撮影したらダメですか? もちろんネットに上げたりはしないです。何なら一筆書いても」 「お前が一人で見んの?」 「そうです。こっそり」 「こっそりって」  リョウさんは笑ってくれた。
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