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その目が選んだ服を着て
「これどうですか」
よく行く店の姿見の前に引き寄せられ、ハンガーごと服を押し付けられた。
どうですかと聞くわりに、ニコニコと、本人の中ではすでに決定済みのようである。
「俺はなんで貢がれんの?」
「ひらひらってするのが好きなんですよ。踊ったときに、こう、ひらひらって」
すとんと落ちるシャツをぱたぱたと揺らして瑠偉は言った。
「スカートでもはこうか」
「あー、それもいいですね」
「後は髪を伸ばすとか」
「それも」
柔らかなスカートがくるりと回る。絵に描いたように滑らかに、弧を描く。足にまとわりつかないように、蹴とばすようにしているだろうに、水面下のばたつきは見えやしない。
「俺は服も髪も操れないんだけど」
「またまたそんな謙遜を」
なぜだか瑠偉にはそのように見えているらしい。服も髪も、事実俺の神経など通っていない。だけどもそれを、意識して華麗に躍らせて見えるらしい。たしかに踊りの上手い女の子を見ると、その肩を超えた長い髪を顔にかぶらせることなく扱っている。でも俺はあいにく今のところ短髪で、言うほどのものもないだろう。
「で、どうですかこれ。教えに行く時とかおすすめですよ。外では寒くて着れなくなっても、練習の時は上着着ないでしょう? それにきっとカッコいいって言われ……もてるのは困るんですけど」
「いいよ。買っても。てかお前が買うんだろ」
「貢ぐのはおれですけど、嫌だったら着ないでしょ? それじゃあさすがに意味が」
「だから、いいよ」
幸か不幸か――こいつの財布にとっては不幸な気がするが――服の好みはそこまでズレてもいない。もっともこいつが選ぶのは、あくまでも俺が踊る時を想定していて、日常のデートなんかは考えられていない。
正直もっと、好きになられたのならもっと、デートやいちゃつくのを求められるかと思ったのだけど、無い。無い、というのを気にしているのは俺ばかりな気がしている。練習するよと声をかければ……声をかけなくても瞬き一つせずに部屋の隅でこちらを見ているけれど、それは何だかこいつの言う通り『推し』への態度のようで違う気もする。
でも不満があるわけじゃない。その視線はあくまでも俺に釘付けになっているし、おそらく頭の中も支配している。そんな自信があるからこそ、『推し』の立場にいる自分に負けている気もする。
「何?」
じっと見てくる目に問う。
「贅沢ですよね」
「うん」
「ちゃんとありがたいことだとはわかってます」
「何が」
「こうしておれの『してほしい』を通すこと」
やはりおそらく俺は俺に負けている。
「くだらねー」
でも俺は俺なのだ。こいつの推しでいるのも、翻るシャツを着ずセックスするのも。
「ほんとならお金とられますよ」
「払う?」
「お金で繋ぎとめられるなら、頑張ります」
こいつはほんとに金払ってくるからな。
自分にそれだけの価値があると、金銭的に証明されている。それは心にゆとりをもたらす。すぐここに俺を欲しがってくれている人がいるのだと、示されることは喜びだ。それに加えさらに、愛する恋人としての言葉や態度まで求めるのは、だいぶ我儘だと思う。でも許されるのだからいいだろう。俺だって相手くらいは見ている。
家に帰れば一度洗濯をしようと、袋をリビングのテーブルに捨て置く。タグを切り、素肌にシャツがするりと落ちる。
ごわつきもないし、たしかに瑠偉の求めていた通り、踊ったときには動きそうだ。裾をもって広げ、そのゆとりを確かめる。うんうん、と瑠偉は頷いて、四角いシルエットを見た。
「まぁ、こんなもんだろ」
俺の背が低いせいではない、尻を隠す長めの丈。ただの羽織にしてもいいだろう。閉じていた小さなボタンを下から外す。
「だめでした?」
「いや、もう風呂入るしなってだけ」
開かれたシャツの襟は形が保たれている。
「……中に着ますよね?」
瑠偉の手が俺の腹を撫でた。そんな当たり前のことを口にする。
「お前は俺を何だと思ってんの」
露出狂じゃないぞ。素肌にこんな薄手のシャツ一枚で出歩くわけもない。体の線は出ないけれど、着心地が悪い。
「いや、えーと、絶対踊ると綺麗だとは思うんですけど」
「今踊る?」
「ぜひ。じゃなくて、服が舞うときに肌が見えちゃうのは、困ります。困るというか嫌です」
「そんな乙女でもあるまいし」
「リョウさんの腹筋綺麗だなーとか思いますよ。ファン目線ではちょっと惹かれるんですけど、家にいるときはやっぱり、おれの恋人だし、そういう目で見ると……不埒な視線に晒されるのは嫌だなって」
不埒な。
「お前はそういう目で見てたのか」
「否定はできません」
すっと視線を逸らされた。瑠偉は反省でもするように床に正座する。
「いいじゃん見れば。ほれ」
シャツをオープンに、見せつけてやる。それからぎゅっと握り閉じた。
「それとも隠されている方がお好みで? なんにせよお前に関しては今更だろ。それに衣装でもなきゃ脱ぎはしねぇよ」
もし衣装で半裸になったとしても、客は俺を見ていない。見ているのなんてこいつくらいだろう。舞台演出の一つである俺のことを抜き出して見ることなんか、普通はない。家の中でもステージの上でも、見ているのなんかこいつだけ。
正座し見上げるその手が、ちらりと服を捲る。裾が長いんだから見えやしないだろうに、「キャー」とでも言いたげにわざとらしく驚いた顔をするもんだから、シャツを握る手を離した。
「カッコいいよってみんなに見せたいんですけど、動画のコメントでエロいとかあるとやっぱり心がざわつくもので」
「へぇ」
「ええと、あの、嫉妬というか、リョウさんをそんな風に見るなよ! みたいな。あ、うーん、これだと結局おれのものだからって言ってる感じか……?」
後半独り言になる弁明。
「言えばいいじゃん。俺のだって」
見合う瞳は先ほどのように大きく開かれていて、期待通りの反応に声を出して笑う。
「言いませんけどね! "彼氏"の存在が邪魔をするっていうのは芸能界隈にはよくあることだし、そもそも、恋人だろうと何だろうと人の感じ方にケチ付けるものでもないし」
「えらーい」
「またそんな、ちっとも思ってなさそうな言い方して」
「本心」
小さくため息をついて瑠偉は立ち上がると、シャツの真ん中からボタンをかけていく。
「風呂入る前に、一曲やるか。お前しかいないんだからこのままでいいだろ」
言えば、嬉しそうな顔をする。ほれいけ、とスタジオに追いやった。
ちらちらと後ろを振り返りながら先を行く背中に、笑いが漏れる。『推し』が一番だったとしても、許してやろうという気にもなるもんだ。
[終わり]
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