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 もうすぐクリスマスだというのに、ガラス職人のテオの家には子供たちが集まっていた。彼の穏やかな雰囲気がそうさせるのか、十五年前、パリ郊外の山小屋に移住してから、近所の子供たちの訪問が絶えない。少年たちは雪の合間を縫って、森に薪を集めに行っている。残された少女たちは床掃除。 「素敵な鏡ね! ヴェルサイユの王宮にあるのと同じ? テオが彫ったんでしょ?」  床に無造作に置いてある鏡を覗き込んで、少女が言った。  その鏡には植物を模した繊細な彫りが縁取るようにびっしりと刻まれている。鏡の表面はガラスなので、鏡を作るのはテオの仕事だ。少女が言う、王宮の鏡を作る仕事をしたのも間違いではない。 「ああ、素敵だわ。王女様は毎日これを見て髪をとかしているのかしら」  床に転がって鏡を覗き込むふたりの少女を、テオは苦笑して眺める。 「王女様は素敵なドレスで、外国の王子様と踊っているんでしょうね。私にも素敵な王子様が現れないかな」 「鏡って、想いをこめて覗いたら将来の恋人が映るっていうロシアのお話、知ってる?」  少女たちは見たこともない王宮と未来の恋人について、色々と空想しているらしい。それからふと思いついたようにテオを見た。 「ねえテオ。テオは結婚していないけど、恋はしたことないの?」  テオは一瞬顔色を変えて、提げているペンダントに左手を伸ばした。指先でペンダントトップのガラス玉をいじる。茶色くくすんだガラス玉は、テオの細い指の中で窓からの光を通して、時々赤く燃えているように光った。 「そんなことは、ないけど」  テオの心の中に、サラサラとした金髪の、天使のように無邪気な青年の笑顔が横切った。  ......恋。  そんなふうに呼ぶにはあまりにもつたなくて。でもきっと、そんな名前しかつかないのだろう。 「ええ、テオの恋のお話聞きたい!」  少女たちは床から飛び起きた。好奇心旺盛な年頃の彼女たちが、無口で不思議な外国人の来歴に興味を持っているのはわかっていた。 「絶対に秘密にできる? お父さんにもお母さんにも?」  テオは、彫りの深い整った眉を少ししかめながら、少女たちに尋ねる。もう終わった話だが、つまらない噂になっても暮らしにくい。 「うん!」 「じゃあ、もう昔のことだし。話そうか」 「やったあ」  少女たちは掃除道具を片づけて、ベッドに腰かけたテオの周りに集まった。 「僕が故郷を離れたときの話だよ。ヴェルサイユの王宮の改築前だったから、一六七七年のカーニヴァルか。二十歳になるまで僕は、ヴェネチア共和国、ここよりずっと南の国の、ムラーノという名前の島に住んでいた。一周するのに歩いても一時間かかからない小さな島。ガラス職人の島だ」 「ガラス職人のための島? 素敵ね!」  テオはもう随分とぼんやりとしてきた記憶をたどって、その島の記憶を呼び覚まそうとした。どこを歩いても、運河か海にぶつかる。水の中に浮かぶ島。いつでもゆらゆらと水の中にたゆたうような。移動は舟か、自分の足しかない。今では、まるですべてが夢だったかのような島の記憶だ。  だが、少女が言うように素敵な島だったとは、彼には今でも思うことができない。  首都であるヴェネチア本島から、ガラス職人は中世のころから長くムラーノ島に移住させられていた。国外に行くことは重罪。死刑となる者も少なくなかった。ガラス技術はヴェネチア共和国の経済を支えていて、その情報流出によって国家が危機に陥ることを恐れてのことだ。 「どうかな......僕たちガラス職人(ヴェトライオ)は、みな、その島で生まれて、その島で死ぬことを運命づけられていた。あの島は美しい、美しい牢獄だった──」
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