危機

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 家に帰ってから、いろいろなことを考えた。そこでふと、ある考えが思いついた。  自分だけを疑っているように見える冬城だが、他の人にも江島と同じようなことを行っていたとしたらどうだろう。  手あたり次第容疑者から様々なことを訊き出すことで、冬城は怪しい人と怪しくない人を、選別していたら。  そう考えると、江島はただその中の一人に過ぎないということになる。  いや、おそらくそうだ。だいたい、何の証拠もないにもかかわらず冬城が江島に近づいてくるはずもないのだ。  下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。  そんな作戦を彼は使っているのだろう。  昨晩、何となくテレビを見ていると、事件がニュースに取り上げられていた。  身を乗り出してテレビを聞いていたが、報道内容は『事件性を考慮して、捜査が進められています』とのことで、冬城から聞いていたこと以上の情報は得られなかった。  今朝学校に行くと、数台のパトカーが門の前に停まっていた。  警察の本格的な捜査が始まったというわけだ。  江島以外の生徒もそれに興味津々の様子で、『やっぱり事件には裏があったんだよ』などという自慢げな声も聞こえてきた。  今日もやはり時短授業で、部活もなし。  ランチタイムのチャイムが鳴り響き、江島は冬城がいないことを祈って、学食へ向かった。  人混みを見回すも、あの長身の姿は、ない。  しかし江島は油断せずに、今日はいつもと違う席に座った。原因不明な胸騒ぎに駆られ、無意識に手を掻く。 顔を伏せ気味にして、ラーメンをすすった。  だが、近づいてくる影が現れ、江島はため息を吐いた。  「あの~、相席——」  「またですか! ‥‥‥って、あっ!」  江島の隣でプレートを抱えていたのは、冬城ではなく小柄な女性であった。  その自信がなさそうな困り顔には、見覚えがあった。  「座ってもいい?」  「あ、ああ、どうぞ」  小柄な女性は、江島の向かいの席に遠慮気味に座った。  何の用があるのかは知らないが、これでより目立ちにくくなった。人混みの中に混ざれば、気付かれにくいだろう。  「ええと、江島証くんだよね?」  「そうですけど、あなたは確か‥‥‥」  「長井葵。ほら、去年同じクラスだった」  「‥‥‥」  黙り込んで記憶を追う。  しかし、何となくこの顔は見たことがあるものの、名前はまったく思い出すことができなかった。  もともと人間に興味がないため、時々クラスメイトが全員同じ顔に見えることがある。  そのせいだろう。  「ちょっと、聞きたいことがあるんだけど、いい?」  「聞きたいこと、ですか?」  正直、もう質問はこりごりである。しかし、今の自分に断る勇気はない。  「真壁先生が亡くなったの、今でも信じられないんだけどさ」  江島が黙り込んだのを承諾と受け取ったのか、長井と名乗った彼女は勝手に話し始める。  やはり、あの事件のことについてだ。  「‥‥‥うん」  「事件のあった夜、江島くんって、プレハブにいなかった?」  「‥‥‥いた」  なるべく嘘は吐きたくなかった。  冬城にはあれだけ嘘を吐いてきたが、できれば他人にはこれ以上嘘を吐きたくない。  「実は私、見てたの。君がプレハブから出て行くところ」  「脅し、ですか」  「いやいや、そういうことじゃなくて!」長井は必死に手を振った。「ただ、あのとき何をしてたのかなーって、気になって‥‥‥」  一瞬、心臓が飛び出るかと思ったが、犯行の瞬間を見ていたわけではないらしく、江島はほっと胸をなでおろした。  天網恢恢疎にして漏らさず、とはこのことか、と江島は変に冷静になって納得した。  だが、正直に話すのもここまでだ。江島は大きく息を吸う。  「帰っている途中に忘れ物に気が付いて、急いで取りに戻っただけですよ」  「それにしては、何も持っていなかったようだけど」  この女、なかなか鋭い。  しかし、江島が彼女を真っすぐ見つめてやると、すぐに焦りだして、「う、疑ってませんよ?」と弁解してきた。  「荷物は、駅に置いてきたんですよ。重かったし」  「何を忘れたの?」  「筆箱、です。勉強に必要で」  「ああ、なるほど」  どうやら簡単にだますことに成功したようだ。一瞬冬城からの回し者なのでは? という考えも浮かんだが、そういうことでもないらしい。  「あの、そのときのぼくって、どんな様子でした?」  「え?」  「あ、いや、その、周りにどんな風にみられていたのか、気になって」  「あー、そうだね」長井は上を向いて、首を傾げた。「そんな表情までは覚えてないな。ごめん」   「なら、いいんです」そのとき、江島の中で邪悪な考えが浮かんだ。「それで、お願いがあるんですけど」   「はい?」  「真壁先生の事件って、どうやら殺人の可能性もあるらしいんですが、ぼくが夜にプレハブを出入りしていたってことが分かったら、間違いなく疑われてしまうでしょう?」  「うん」  「それで、もし警察にプレハブを誰か出入りしたか訊かれても、ぼくが通ったとは言わないでほしいんです」  「え?」  江島は自分が身を乗り出してしまっていることに気づいて、急いで腰を椅子につけた。  長井の表情を窺う。  彼女はやはり困惑しているようだった。  「いや、警察に疑われると面倒くさいじゃないですか」  「いや、そうじゃなくて——」  「家族とかにも迷惑がかかるだろうし」  「そういうことじゃ——」  「どうか、お願いします!」  渾身の演技だった。  周りの視線が向けられるのも躊躇せず、構わず頭を下げる。  ただ、長井の苦しそうに呻く声が聞こえた。  「そ、そういうことじゃなくて、その、ああ」    だいぶ言いづらそうにしているのが分かった。しかし、決心したように長井は口を開く。 「もう、警察に言っちゃったの」  予想していなかった返事に、形容しがたい絶望感が江島を襲った。    頭を下げたまま、体を硬直させる、しばらく、その態勢のまま、思考が停止した。  頭が真っ白になっていた。  昨晩、江島が冬城に吐いた言葉が蘇る。 『そのときなら、家で、勉強していました』  そんなことをあっさりと言ってしまった自分を、殺してしまいたくなる。  そこでさらに嫌な想像が膨らみ、江島はようやく顔を上げて、訊ねた。  「もしかして、その警察官って——」  「すごい背が高くて、ハンサムな人だった。なんかしつこく訊いてきて」  つまり、冬城だろう。嫌な予感がする。  「それで、それを訊かれたのって、いつ?」  「いつって、昨日の昼だけど」  「‥‥‥ああ」  江島は諦めの声を漏らす。  つまり、冬城は知っていたのだ。  江島がアリバイを訊ねられた時点で、すでに。  ならば、江島が嘘のアリバイを言ったことも、冬城は気づいていた‥‥‥。  試されていたのか。  そう悟った途端、どっと肩に重荷が乗り、江島は思わず天井を仰いだ。  冬城、彼はいったい何なのだ。何者なのだ。 「どうしたの?」 「ん。あ、いや、何でもない」江島は慌ててごまかした。「そうか、もう警察に言ったのか‥‥‥」 「その、ごめんなさい」  許さない。  何なら目の前の女を今すぐにでも始末してしまいたかった。それほど江島は憤っていた。本当に恨むべきは冬城なのだが。  しかし、こんな状況になってしまった今、冬城は間違いなくまた自分に近づいてくる。  ならばそこで、昨日のアリバイの話については弁解しておくべきだろう。 「もう、いいです」 「じゃあ、また」  江島が言うと、彼女は苦笑しながらプレートを抱え、立ちあがる。江島はその光景に目もくれずに、ひたすら考えていた。  冬城から逃れるには、いったいどうすればいい?    もういっそ、失踪してしまおうか。  しかし、自分に向けられた疑いは増すだけである。  四面楚歌。  そんな言葉が浮かんだ。もう自分は、逃げられない。  江島はふっと笑った。無意識に手を掻く。  逃げられないのなら、立ち向かうまでだ。     
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