昼飯の推理

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 学校は意外にも翌日には再開となった。  やはりこの動きからして、真壁の死は事故死として片づけられようとしているらしい、ということが分かった。  そして真壁の担当であった江島たちのクラスは、副担任である速水(はやみ)が急遽担当することになった。  事態は思い通りに進んでいる。  そう考えると、笑みをこぼさずにはいられなかった。  学校再開、と言ってもそれ相応の処置は取っているらしく、一授業四十五分の時短授業が実施された。  いつもより早くにランチタイムを報せるチャイムが鳴り、クラスの一行が学食へ向かう。  学食は少なくともいつもよりはにぎわっているようだった。  女性教師の死を受け、話の話題に困らなくなったのだろう。一方、江島には話す相手がおらず、独り醤油ラーメンを抱えていつもの席に座る。  そして、人々の会話に耳を傍立てた。  真壁との思い出について語る者。神妙な面持ちで根も葉もない噂話をする者。そして、くだらない推理を展開して犯人探しをする者。  思わずそちらの方に視線を向けてしまうと、何人かと目が合った。そして怯えたような顔をして、目をそらされた。  どうやら江島が変人だという噂は、かなり広範囲に広がっているらしかった。とすると、今犯人に疑われているのもこの自分だろうか。  瞬時に、嫌な想像が膨らむ。  しかし、証拠はない。  たとえ前のように犯人扱いされ、人々から凄まじい誹りを受けたとしても、ある程度は耐えられる。警察の輩に目をつけられない限り、大丈夫だ。  そのとき、細長い影が目の前を横切った。一瞬視界から消えたものの、すぐにまた視界から現れた。やがて影は江島と目が合った途端爽やかな笑みを浮かべ、ためらわずに向かいの席に座り込む。  その鼻につく顔立ちには見覚えがあった。  「なんですか、刑事さん?」  「偶然、見つけたもので。オタクは醤油派?」  そんなことを訊きながら目の前の男、冬城拾壱郎は呑気にラーメンをすする。そちらは豚骨だろうか。  「なんでそもそも刑事が学食にいるんですか」  「刑事?」  冬城は奇抜なシルクハットを片手で抑えながら、焦った様子で後ろを振り返る。  「あなたですよ、冬城さん」  「ああ、僕のことか」冬城は再びラーメンをすする。「警察手帳を渡したら簡単に通してくれましたよ。いやあ、それにしてもうまいですねぇ。学生時代を思い出すなぁ」  「それで、ぼくに何の用ですか?」  なかなか本題に入ろうとしないので、江島は待ちくたびれて訊く。  刑事が訳もなく食堂で麺をすするはずがなかった。きっと何か、用があるはずなのだ。  「そうそう」江島の問いに、冬城は思い出したように手を叩いた。「推理小説好きなあなたに、少しアドバイスを頂こうと思いまして」  「アドバイス?」  「ええ。真壁さんが教室で亡くなったのはご存知でしょう?」  「はい」  「事件の概要を説明すると‥‥‥」  そう言って、彼は長々と現場の状況を江島に説明してくれた。  まさか、これほど口が軽い男だとは思ってもいなかったのだが、生徒に情報提供してくれるのは助かった。  「‥‥‥ということで、現場の状況からして事故死と考えられているのですが、実は僕は殺人を疑ってましてね——」  「ごほっごほっ」  ラーメンのスープが気管に入り、江島はせき込んだ。食堂にいた半数がこちらを向いた。  そこで冬城の存在に気づいたのだろう。訝し気な視線は、今度は彼へと向けられる。  「大丈夫ですか、江島少年」  「ちょっと、変なところに入りました、スープが」  「ああ、それは不運でしたね。それで、何の話をしていたんだっけ?」  なるべくこのまま思い出さないでもらいたいが、仕方なく「殺人の線についてでは?」と、話を振った。  「思い出した。それで、教師たちの証言から、真壁さんはとても几帳面な方だったことが分かりました」  「はあ」  「しかしながら、教卓の中にしまわれていたプリント類が、ひどく乱れていたのです」  ああ。それは自分だ。教卓の中を弄る自分を思い出し、江島は自分がしてしまったミスを後悔する。  しかし、これくらいなら言い逃れは可能だろう。  「それだけですか?」   「変でしょう?」  「別に‥‥‥これから整理するつもりだったのだと考えれば、説明はつくと思いますが」  「なるほど!」冬城は大袈裟に驚いて見せた。「確かに、それなら説明がつきますね。しかし、もう一点、問題がありまして」  「‥‥‥」  まだあるのか。冬城の話を聞くのがだんだん怖くなってきた。もしかして自分を疑っているのではないか、とさえ思えてくる。  しかし、洞察力の鋭さは認めるが、この阿保面に事件の真相を見抜けるはずがない。  「ついさっき、警部から電話があったんですがね、もう一度遺体の顔を念入りに調べてもらったところ、なんと、真壁さんの鼻骨にヒビが入っているのが分かりました!」  「鼻骨にヒビ?」  「ええ。それも死の直前にできたもののようです」  「だから、なんですか?」  もしかすると‥‥‥と言う考えが浮かんだが、すぐに打ち消した。  「仮にこれが殺人だとすれば、犯人はどういう風に真壁さんを殺害したでしょうか。後頭部の傷口と棚の角の形状が一致したことから、棚に頭をぶつけて亡くなったということは分かっているのですが、だとすれば、例えばこんな感じに」冬城はそう言いながら、顔を伏せてみせた。「真壁さんが屈んでいるときに、棚を持ち上げて、思い切り振り下ろしたらどうでしょう?」  「はあ」  「後頭部に棚の角が打ち付けられると同時に、顔を強く床にぶつけたはずです。この鼻骨のヒビは、その際に入ったとは考えられませんかねぇ?」  「そんなことぼくに訊かれても‥‥‥」江島はそう言って笑った。「第一、棚を凶器に選ぶ人などいるわけないですよ」  「そう考えられることを、犯人は目論んでいたのかもしれませんよ」  そう言って冬城は、意味ありげにほほ笑んだ。  まるで冬城に心を見透かされているような、そんな感覚を覚えた。  「しかし」そこで、江島は繰り出す。「鼻を怪我したことが死の原因だとは考えられないでしょうか?」  「それはすなわち?」  「つまり、真壁先生は死の直前、何かに鼻を強打して怪我をする。その痛みでもがいているときにバランスを崩して棚に頭をぶつけ、亡くなった、というわけです。どうでしょう?」  「素晴らしい!」冬城はわざとらしく手を叩く。「確かに、その可能性もあり得ますね。しかし実際、真壁さんは死の直前、黒板を消していました」  「なら黒板を消している最中に鼻を怪我したのでしょう」  「どこに?」  「それは‥‥‥」  言いよどむ。  それを調べるのがあなた方の仕事だろう、とも言おうとしたが、そこまで相手に敵意をむき出しにしたくはないので、やめた。  そこで江島は、無言で立ち上がる。  「どこへ?」  「水、汲んできます」  「ああ、それはどうも」  行き詰った江島は、とりあえずその場から撤退する道を選んだ。歩きながら冬城とのその後の会話の展開を想像する。 もしかしたら冬城はまだ、この事件が殺人事件だということを示す証拠を握っているのかもしれない。  ならまずは犯人に疑われないことが第一だ。  しかしどうやって?  江島はすでに冬城に対して、何度か失言をしてしまっている。  このまま警察の本格的な捜査が始まったら、真っ先に疑われるのは間違いなく江島だろう。    生徒にもすでに疑いの目が向けられている自分に、何ができるというのか。  そんなことを考えながら、水を汲む。  どこからともなく、視線を感じる。  江島はまたその視線から逃れるようにして、俯き加減に歩いた。冬城のいる席に戻り、無言で座り込む。  汲んできた水を一杯飲み、いつの間にか乾いていた喉を潤す。 「あれ、僕のは?」 「え?」 「あ、いえ。てっきり僕の分も汲んでくれていると思ったので」 「ああ」  てっきり忘れていた。  こういうところだ、と心の中で自分に言い聞かせる。  当然の忖度すらできない自分は、この社会には不適合だ。  「いえいえ。僕が悪かったです。こう見えても結構、周りに変人と言われるんですよ」  冬城はそう言って、自嘲気味に笑った。 「え?」  本人も自分が変人だと自覚していることに驚いた。  「まあ変人と言われても、今更自分を変えることなんてできませんしね。愚痴なら神様に言え、なんて時々思っちゃいます」  「‥‥‥はあ」  もしかして彼も、自分と同じなのか。  今の会話で、妙に親近感がわいた。  もし自分が今まで犯してきた過ちを彼に話せば、分かってもらえるのだろうか。こんな自分を、受け入れてくれるのだろうか。   「しかし、意外でした」冬城は後頭部で手を組んだ。「推理小説が好きなはずなのに、あなたは事故死の線を頑として譲らないようだ」  「現実の事件には興味ないんですよ」  「じゃあこれが架空の事件だと思ったらどうでしょう?」  「何のためですか」江島はあえて怒っている演技をした。「だいたい、なぜぼくに構うんです。ひょっとして、ぼくを犯人と疑っているんですか?」  勢い有り余ってそんなことまで言ってしまい、江島は自分を恨む。  「とんでもない! ただ話が合いそうだと思っただけですよ」  まあ、そんなところだろうな、と江島は納得した。  そもそも、何の証拠もないのに、しかもこの男が自分を疑うなんてあり得ない。  「それならいいですけど」  「では、ごちそうさまでした。またどこかで」  「どこかで」  できれば会いたくはないが、笑顔で手を振る冬城に江島は思わず振返してしまった。  ちょうど江島もラーメンを食べ終わったところだったので、冬城が完全にいなくなったのを確認してから立ち上がる。  そのタイミングでチャイムが学食に鳴り響いた。  江島は、生徒が次々と食堂を去っていく光景を眺めながら、自分があの中に混じることはないのだろう、と考えた。  うらやましくはない。しかし、やるせない。
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