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「お待たせしました、栃木さん」
宇都宮がプレハブの前で待っていると、満面の笑みで冬城が戻ってきた。
だいぶご機嫌なようだ。
「何をやっていたんだ?」
「いろいろと」
予想通りの返事をされ、宇都宮は苦笑する。
時刻はまだ四時で、春の夕方は生暖かかった。
左手に並ぶ木にピンク色が混ざっているのを見て、もう桜の季節か、などと考えていると、冬城は宇都宮を通り過ぎて、本棟へ向かって行った。
「おい、待て拾壱郎。もう帰るんじゃないのか?」
てっきりこれで帰れると思っていた宇都宮は、冬城の予想外の行動に戸惑った。
しかし冬城も冬城で困惑しているようである。
「え?」彼は宇都宮を意外そうな顔で振り返る。「決まっているじゃないですか。聞き込みですよ」
「聞き、込み‥‥」
まだやるつもりか。これほど聞き込みを行って、果たして冬城は何を求めているのだろうか、と宇都宮は気になった。
混乱する宇都宮を無視して、冬城は進んでいく。
「もうすぐ、彼を追い詰められます」
冬城は、校舎を歩きながら、不意にそう言った。
「江島、証か」
昨日、冬城のダメ押しで今回の事件の捜査本部が立ちあげられたらしいが、どういうつもりなのか、宇都宮は知らない。
そもそも、ここまで胸の内を明かさない必要があるのだろうか。
冬城とは、本当に訳の分からない男である。
しばらく歩くと、姿勢のいい男性教師がこちらへ向かってくることに気づいた。
「ちょっと失礼」
案の定、男を見た冬城はすかさず彼に話しかけた。
「ええと、もしかして刑事さん?」
「はい」冬城が警察手帳を取り出す。「亀見署の冬城と申します。こちらが、警部の栃木——」
「宇都宮です」
あだ名として呼ばれるのはいいが、紹介される際にその名を使うのはさすがにアウトだ。
「はあ。それで、私に何か?」
「こちらのライトに見覚えは?」
そう言って冬城が取り出したのは、ジップロックに入れられた被害者が握っていた電灯だ。
持ち手の部分に、微かに血が付着しているのが分かった。宇都宮は質問の意図を探る。
男性教師は、ああ、と口を開く。
「これはたぶん、理科準備室にあるヤツですね。案内しますか?」
「ぜひ」
教師について行くようにして冬城が進むので、訳が分からないまま宇都宮も追う。
階段を上り二階に上がると、理科準備室が現れた。
「確かここにあると思いますが、あまりいじらないようにお願いします」
教師は去っていった。
理科準備室に、二人が取り残される。
何をすればいいのか分からないでいると、早速冬城は動き出した。
教師の忠告を聞いていなかったのか、問答無用で器具やら工具やらを掴み上げ、観察する。
「ほら栃木さんも探して」
「何をだ」
「これと同じようなものです。きっとあるはずです」
冬城がそう言うので、宇都宮も室内を探ることにした。
何か知っている器具を見つけるたびに『こんなのもあったなぁ』などと回想に浸ってしまうのが気がかりだったが、我を見失わずに電灯らしきものを探し出す。
「見つけた」
「なんですと?」
冬城が驚きの声を上げた。
そのとき宇都宮の手には、片手でちょうど握れるくらいの小さな箱が握られていた。
箱には、被害者が握っていたものとまったく同じ電灯の写真が印刷されている。
「どうやら、これで間違いないようだ」
「そうらしいですね。よし! 早速箱を開けてください」
宇都宮は微かな期待をしながら、箱のふたに手をかける。そして、ゆっくりと箱を開いた。
「むむっ?」
「おや?」
箱を開けた途端、二人が同時に声を上げた。
箱の中には、何も入っていなかったのである。
「どういうことか、いい加減教えてくれないか」
「だからもうすぐですって、栃木さん」
「はあ」
箱の中に何も入っていないということが分かったとき、冬城が何やら勝ち誇ったような顔になっていることを、宇都宮は見逃さなかった。
冬城を観察して何とか心を読もうとしても、冬城の顔に浮かぶのは笑顔だけで、完全に無駄だ。
「それにしても、こう来たか‥‥‥」
「それで、今度はどこに向かっているんだ?」
「2―Dの教室ですよ。そこで彼女に待ってもらっています」
「彼女?」
彼女とは、いったい誰のことだ。
宇都宮は冬城を追うようにして、再び階段を上った。廊下に出ると、左手にある教室を冬城は覗き込む。
「どうやら、いたようです」
「ん?」
冬城に倣って教室に入る。
そこでは制服姿の、ショートカットの女性が席に座って読書をしていた。
二人の存在に気づいたのか、すぐに本を閉じ、こちらを見る。
「あ、どうも」
ショートカットの女性はそう言って二人に会釈をした。
「お待たせしてすみません。我々、亀見署の者です」
「うん、聞いてる」
「何をですか?」
早速、冬城節が始まった。
「何をって、あなたたちが刑事だってことだけど」
「それはよかった」
「?」
「ところで、宮崎夏帆さんで間違いありませんね?」
「うん」
どうやら、宮崎は初対面でもタメ口で話せるらしい。どこか偉そうなのが鼻につくが、宇都宮はただただ冬城と彼女との会話を聞くしかない。
「早速ですが、真壁さんが亡くなった事件について質問を」
「ひょっとして、疑われてるの?」
「誰をですか?」
「私を」
「いえいえ、犯人の目星はすでについているのですが、それの裏付けとなる証拠を集めているので。それで、事件のあった日の七時四十五分から十時までの間に、学校に来ましたね」
「うん、そうだけど、何で知ってるの?」
宮崎は訝し気に冬城を見た。
「目撃証言があったんですよ。それで、なぜ学校に来たのですか?」
「それは‥‥‥」
「言えませんか」
冬城の問いに、宮崎はこくりと頷く。
何か後ろめたい理由で学校を訪れたのは間違いないだろうな、と宇都宮は悟った。
冬城は数秒、何かを考えてから、
「では、あなたは学校に来たとき、2―Eの教室を覗きましたか?」
「ええと、覗いた。誰もいないか確かめたくて」
「そのとき、何か異変はありませんでした?」
「うん。誰もいなかったし」
「‥‥‥ほう」
冬城が斜め上方向を向いて、嬉しそうに微笑む。
「おい拾壱郎。いったい何が起こってるんだ?」
宇都宮はとうとう我慢しきれずに、怒り気味に訊いた。
ドラマを途中から見始めたときのように、状況がまったくつかめないのだ。
しかし、冬城は何も言わなかった。宮崎に「どうも、ありがとう」と礼をすると、やはり幽霊に話しかけられたような顔をしている宇都宮を置いて、さっさと教室を出て行く。
「いい情報を仕入れることが出来ました」
ようやく冬城が口を開いたのは、パトカーの中である。彼は運転席でコーヒーを片手に、そう呟いたのだった。
「それで、もう話してくれるんだな?」
「ああ、そうですねぇ」冬城はコーヒーを一杯飲んだ。「いいでしょう。ただし、今から僕が話すことは、誰にも言わないように」
冬城はそう言って、自身の推理を語り始めた。
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